猫と瞑想

飽きずにまたヴィパサナに行ってきましたin Deutschland.

インド、日本に続きドイツ。ベルリンから南東に車で下るとおよそ4時間でHofという町に着きます。ベルリンの壁が顕在だった当時、ここにも壁が築かれており、同じ日に崩されたそうです。タクシードライバーのおじさんが教えてくれました。1989年11月9日、彼は今と同じようにHofにいたそうです。壁が壊された後、毎週末になると旧東側の人が西側に物見遊山にやってきて、人で溢れ返ったそうです。Hofからさらに車で30分奥地に移動したTriebelという場所にヴィパサナ瞑想センターはあります。

センターは高級ユースホステルのように快適でビックリしました。日本より綺麗だし設備は整ってるし。キッチンはレストランの厨房さながら。使われている食器や調理用具は派手ではないけれど質のいいものばかり。修道院という仕組みが何十世紀に渡り培われてきた土地ならではの、修行所が提供する慎ましやかなる瀟酒さが伺えました。アジアのThe 修行!という雰囲気とは違う。

今回は数年間継続的にヴィパサナ瞑想をしている経験者のみが受けられる「サティパッタナ」と言われるコースで、1日10時間座るのは7日間のみ、8日目に沈黙が終りました。前後合わせて計10日間。通常の10日間コースより2日短いです。なのであっという間。瞑想が深まるのは6日目辺りからなので、ちょっと短いかなーと思いながら6日目を過ごしたのですが、終ってみたら8日間で期待通りの手応えを得て、かなり先まで歩むことができました。(正確に言うと、0日目と9日目も数時間座ります。)

私が学んだ限りで話すと、ヴィパサナ瞑想とは、「すべては刻一刻と変化する」という自然の摂理を、自らの身体の細胞レベルの変化を感じ取れるようになるまで肉体の感覚を研ぎすましていく方法です。この方法を通してシッダールタは涅槃に入り仏陀となったと伝えられているそうです。人間の苦しみは、この世のものが変わらず残り続けるという幻想から始まると仏教では説いています。この幻想が、「これが欲しい」という欲望、あるいは「これは嫌だ」という排除の欲望を生みます。いずれ消えてなくなってしまうものと分かっていれば、これが欲しいあれが要らないという欲望に苛まれずに済むけれど、つい私たちはいつまでも続くものと誤認しているから欲望が沸き続ける。

この感情的欲求の発露と身体感覚は同時に起こっていると言います。お腹が空いた時。苦手な人が来た時。美しい景色を見た時。病気で苦しんでいる時。いつでも身体は何らかの感覚を醸成しています。仏陀は、欲望が満たされず募るほどに身体感覚の癖が体に刻まれて残っていき、それが諸々の現象に対する人間の反応(怒る、悲しむ、喜ぶなど)を引き出すという風に解いています。

現象→意識による認識→身体感覚→感情的反応(思考や行動も含む)

こんな感じかな。ちゃんとした仏教用語を参照していないのであしからず。あくまで私個人の理解です。

現象が起こることは変えられません。生きている限り意識があるのも変えられません。これは人間の性質です。なので、仏陀は身体感覚を捉えることで、次の段階の反応(サンカーラと呼ばれる)を摩滅することを考え、その手段として瞑想を開発していったと。

ヴィパサナ瞑想をしていると着実に身体感覚が研ぎすまされていきます。通常の意識レベルでは感じられない体内の細かい肉や骨や血流、内蔵を感じられるようになり、さらにそのような境界線を越えたレイヤーの繊維の繋がりを感じ、さらに感覚が鋭敏になると泡粒か砂粒が集まっては崩れ去っていくように身体内を感じ取れるようになります。体のどこの筋肉や神経がどこに繋がっていて、どのように反応し合うかを体で掴めるようになります。経絡やチャクラの位置、あるいは西洋医学での筋肉の付き方や神経経路が感じられるようになる。

例えば私の体は、単純にこの数年間で相当柔らかくなりました。生まれつき左股関節亜脱臼という病気(?)持ちなので、股関節、骨盤を取り囲む肉の付き方が歪んでおり、腰が曲がっていました。簡単に言うと猫背。背骨の下の方で折れ曲がってしまっている。この周辺の筋繊維が大幅に解きほぐされ、お尻から頭の上までほぼ真っすぐに背骨を立たせて座ることができるようになりました。これって椅子だと意識すればできるんだけど、床に直接足をまっすぐ伸ばして座ったり座禅を組むと途端にできなくなる人が多いはず。それができるようになりました。

身体の奥の奥まで意識的にアクセスできるようになり、身体感覚を詳細に詳細に研ぎすましていくと、水を飲んだ時に水が喉を通り、食道を下り、胃に流れていく重力で首が自然にのけぞってしまうくらいに敏感になります。体の内部を通る毛細血管の脈動に全身がシンクして振動しちゃったりします。パンを口に入れるともそもそモゴモゴするので牛乳を流し込むと、パンの状態が一気に水分を吸って変容し、どんどん形状が柔らかくなり液状化し、体積が小さくなっていく、そんなパンを一口放り込み飲み込むまでの一瞬の現象を微細に感じ取ることができるようになります。呼吸を1つすると、吸い込んだ空気が鼻孔を通り、気管を通り、全身に広がって体に吸収されて私の身体を作り、生かしていく様子がわかるようになります。違う土地の空気(粒子)を吸い込むと、私の構成要素は一呼吸毎に変わっていくのだということが体感できます。

このように、体の奥に刻まれた反応という記憶と、それと一緒に刻まれている心理的、理性的な記憶が、常に流転している物理現象だと知覚できるようになると、普段の鈍感な感覚では「肩こり」「腰のだるさ」「頭痛」というように認識されて痛がっていたものが、つぎつぎ溶解し、素粒子的になり、そもそもそのようなしこりはないというミクロレベルに辿り着きます。小さな小さな小さな動きを捉えることができると、「凝り固まって微動だにしなかった部分」は一気に雲散霧消します。肉体的にも精神的にも。

そして、どのような痛みや苦しみがある時にも、自分の身体の中、心の中の微かな平安な振動を感じ取ることができるようになってきました。少しずつ。少しずつ。

これまで自分を形作っていた、時には支えてくれていたアイデンティティを溶解し、失わせ、手放す。そのためにヴィパサナに行ったし、ベルリンに来たんだと改めて気付きました。アメリカに渡った時、私は一度アイデンティティクライシスに陥りました。自分が認識する自己があり、その自己が表現し定義する日本語での私がいます。しかし、アメリカでは自分の母国語ではない英語を使って自己規定を行なわないといけないので、言語がおぼつかなかった初年度に私の認知内で不調和が起こりました。英語が母国語である他者が認識する私の英語(=わたし)と、私自身が規定する日本語での自己の間には大きな大きな深い溝があり、自己というものが捉え切れなくなったんです。

今ではその経験が実に貴重だったし、1度崩壊し、再び創造していく過程を私は存分に楽しみました。その体験を違う文化/言語圏に入ることで再びしたいと思ったという動機も渡欧にはありました。だから、瞑想をしながら、「ああそうか、だからか。」と納得していました。

ベルリンに来る飛行機の中で雑誌ニュートンの『生命とは何か』という特集を読んできました。このテーマを出発の友にするなんて啓示的だなと思いながら。

シュレディンガーは生命には負のエントロピーが働くから生命体を維持できるのだと言いました。ヴィパサナ瞑想は、負のエントロピーという概念そのもの、その概念が機能するためのパラダイムを変えていく業(わざ)なんだろうな。

そうそう、瞑想6日目にお庭でウサギを見かけました。花園で遊んでいたところを私に見られて急いで逃げて行く後ろ姿が印象的でした。猫もいたらしいけれど、私は出会わなかった。

Everyday of my life is a piece of art

2003年8月、23歳だった私はバックパック1つとスーツケース1つを持ってカリフォルニアに渡りました。大学時代に就職活動をせず、米大学院で組織心理学を学ぼうと決めたからです。でも、これといった出願準備も移住準備もしていませんでした。外国の学校なんて日本で情報集めて考えてるだけじゃわからない。実際に行って探索して決めていこう。そんでどうせなら、その前にバーニングマンに行っちゃおう!というわけで、最初はロスに入ってのんびり。そこからバーニングマンに一緒に向かう仲間とレンタカーをしてバークレーへ北上。さらに仲間と合流してネバダの砂漠に乗り込みました。1週間の狂宴の後、仲間が日本に戻った後も1人残り、友達の友達の家に転がりこみ、アメリカ生活が始まりました。

5年後、日本に帰国。そしてまた5年経ちました。

2013年6月、33歳の私はスーツケース2つを持ってベルリンに渡り、友達の家に転がり込みました。健康保険、銀行、ビザ関連の調査など日本でやっておくべきことだけはしっかりと整えて来たのは、アメリカ時代でのスリリング(今は笑えるけど相当な綱渡りだったなぁ)なやり方から得た教訓。でもそれ以外は、いやそれ以上に、これからここで何をするのか、どう人生を描いていくのか、まったくの白紙。駐在でもないし、学校に行くわけでもない。私の中に眠っている種が芽生える新しい土と水と太陽のある場所にやってきました。だから種が芽生えていく様子を観察したいんです。

10年前は真っ白い砂嵐にまみれながら精神と身体のギリギリを真っ向から味わった1週間が、新しい暮らしのキックオフでした。今回はドイツの美しい平原に囲まれた奥地で沈黙とともに精神と身体の境界線を越えていく1週間を過ごした後、ベルリンでの生活が始まります。

大いなる成長がありながら、まったくもって幾つになっても変わらない魂。

解放

年末年始は家におにぃが帰ってきています。今夜は葉山のお寿司屋さんにママンと3人でお夕食を食べに行きました。私の渡欧の件、昨年の春頃からママンには刷り込んできていました。秋にはおにぃに報告し「好きにしなさい。」と言ってくれました。

不思議なもので、1対1だと気張れば言えることが、同じ相手でも「皆揃って」になると言い辛くなることってあって。なんだろね。「公認の事実」のパワーすごし。

「よし、新年2日目だし改めて家族の前で渡欧のことを話そう!」と思い、ドキドキしながら言う機会を伺っていたら、ママンが予期せぬキラーパス。「ナホちゃんまた出てっちゃうのよ。」

いや〜、集団の利点は自分だけで気張らなくてもいいとこですね(笑)。全部1人でやろうとしなくても、相手が勝手にやってくれる時がある。そんなわけで、和やかに家族内の周知のこととなり、渡欧へ大きく大きく一歩近づきました!何と言っても、ただ1つの心配は、初めての1人暮らしになるママンと、とにかく色んなことをまるっと引き受けてくれてるおにぃだったからね。

ママン「すぐ帰ってくればいいのに〜。」

おにぃ「1、2年、楽しんだら帰ってきたらいいよ。」

という言葉にはホッとしたわぁ。行くことも、帰ってくることも異議無し。井口家は、各々の人生を相談することが皆無に近い。決断に反対することもない。

今夜、もう1つ大きな変化があった。父のことがおにぃの口から出た。葬式で棺桶の蓋を閉めている時に涙を少し流したのが、彼の唯一の父の死に対する反応だった。あれから4年と8ヶ月。家族3人で初めて父の話が出た。ほんの少しだったけど。

日本に帰国してからの日々は、父の死との葛藤だった。葛藤は、わたしを己と向き合わせた。対峙すると、生まれてから重ねた齢の分だけ蓄積された、心や記憶や体のあくなき探求へ導かれた。何度も何度も嘔吐のような脱皮を繰り返した。32歳の時、先天的なものと後天的なもの、両方合わせて自分が持っているすべてを引き受けられたと感じた。受精してから今までという「過去」に降服した。過去をすべて見渡すと、過去は今となり、もう過去を捉えたり、癒したりすることで今を感じようとせずに済むようになった。生まれつきのことや、幼い頃にたまたま与えられた環境や、過去の出来事と、現在の私の因果関係から解放された。あるのは今と未来と、それを支えてくれる過去。

父の死という現象からの解放と共に、32年間の自我からの解放が起こり、これから新たな地(知)(血)へ赴きます。

ヴィパサナ瞑想の質も変化してきました。これまでは、無意識層の身体に潜む過去を解きほぐしていく手術と治癒のプロセスだったのが、最近は、自分の死をきちんと取り扱うための「意識化の技」を身につけるためにやっています。死はわたしたちの未来です。未来に向かってする準備の瞑想。

ヴィパサナ瞑想にまた行ってきたよ。

10月9日から20日まで京都ヴィパサナ瞑想センターに行ってきました。10日間座り続けるのではなく奉仕者として申し込んだのですが、どんな役割になるかは行ってからのお楽しみ♪ということで、9日のお昼前に到着すると、センターに長期滞在して奉仕と瞑想を繰り返しているクニちゃんから「コースマネージャーをお願いします。」と言われました。他にどんな役割があるのかも知らないし、センター側が割り当ててくれたのだから、「はい」と答えました。そこから怒濤のOJT(笑)が始まりました。いやはや、とにかく本当にすごい修行でした。

ヴィパサナ瞑想はDAY0からDAY11まであります。着いた日がDAY0。この日の夕方4時から生徒さん(瞑想参加者)が受付にやってきて、6時にお夕飯、7時からオリエンテーション。8時から瞑想が始まります。DAY1からDAY9までは聖なる沈黙と言って、コースマネージャーと瞑想指導者以外の人とは一切の言語・非言語コミュニケーションが禁止されます。視線を合わせたり、ちょっとしたジェスチャーもなし。「まるで自分1人しかいないように過ごす」ことが求められます。他者に触れること、書くこと、読むこと、描くこと、音楽を聞くこと、運動をすることなども禁止です。DAY10の午前中で聖なる沈黙は解かれ、翌日にセンターを離れて下界に降りる心の準備をします。DAY11の朝に最後の瞑想があり、掃除をして終りです。

お仕事は任命されてすぐに始まりました。右も左もわからぬまま、資料に目を通し、奉仕経験のある人を質問攻めにしながら、まずは生徒さん受け入れ準備。最初はまだ全員の奉仕者が揃っていないこともあり、キッチンでネギを切ったりあれこれお夕飯のお手伝いをしながら、受付の準備やオリエンテーションで説明しなければならないことを理解します。そしてあっという間に4時。何をすればいいのか半分くらいしかわかっていないことは内緒のまま、笑顔で「こんにちは。ようこそいらっしゃいました」とレジストレーションをします。そして7時になると、知った顔してコースやセンターでの過ごし方の説明を男女60名弱の生徒さんにします。職業柄、こういうことは慣れているはずだけれど、まるで、初めて入ったプロジェクトでいきなりオーソリティーロール、みたいな状況で、内心あわあわするし、しょっぱなから修行でした。ちなみに男女隔離の生活のため、男女に1人ずつコースマネージャーがいます。私の相方は屋久島からやってきた太一くん。コースマネージャー経験も豊富な頼れる男でした。

1日5〜6時間瞑想をし(生徒さんは10時間)、それ以外は生徒さん1人1人がどんな健康状態でどんな薬を摂っているかを把握し、瞑想中や休み時間での様子に意識を払い、彼女たちの生活ニーズや色々な質問に対応します。26名いたので名前と顔を一致させるのが一苦労。それから、瞑想開始と終了を知らせるベルを鳴らして時間管理をします。毎日、トイレ、シャワー、瞑想ホールや廊下、庭の掃き掃除をし、指導者と生徒さんがコミュニケーションする時の通訳、指導者からの指示への対応などフル稼働でお勤め。瞑想中も生徒さんの動きと指導者からの指示にいつでも応じられるように心構えしながらヴィパサナ瞑想をやるので、意識レベルをどこで保ち、深い無意識との対話と、現実世界で起こっていることをどう両立させていくかが鍵でした。特に生徒さんが指導者に質問をする時の通訳が大変。生徒さん自身、自分がどういう状態で何をどう言葉で表したらいいかわからないので、その言ったことをそのまま通訳するのが難しかった。指導者の言葉を間違えのないよう的確に伝えるのも修練が必要でした。瞑想状態から瞬時に脳の活動範囲をスイッチさせて通訳モードに入るために、自分でも気づいていない莫大なエネルギーを消費していた気がします。「ああー、頭がついていかないーーー」ということが後半になると増えていきました。夜は9時過ぎからメッタバーバナという愛と慈悲の瞑想を、生徒さん、指導者、奉仕者チーム、センター内のすべての生き物に向けて行ない、その後ミーティングをして、10時から10時半頃就寝。瞑想を始めると意識が違うステートに入って睡眠が浅くなるため、何度も目覚めたり、眠っている状態を観察したりしていました。

コースマネージャーは、指導者のすぐ横という瞑想する位置(すべての人の瞑想の座布団の位置は決められている)、生徒さんには許されていない行動の自由、規律を遵守しているかを見守るという役割、指導者と生徒さんを繋ぐという立場から、この12日間だけ形成される組織の中で、指導者の次に強いパワーを相対的に持つことになります。実際は単なる奉仕者その1なので、これといった実権はないのですが、与えられるタスクの性質と瞑想ホールでの物理的な位置関係から自動的にパワーが生まれます。おもしろい現象です。現実世界のパワーダイナミクスも大概こんなものですよね。

その一方で、トイレ掃除、ゴミ箱の管理、虫が出たら取ってあげる、生徒さんが何か必要だと言えば奔走するなど、普段の社会ノームであればパワーバランスが弱い立場の人がやる仕事も同時にやります。また、私のように初めて奉仕者を経験すると、長期滞在をしていて物事を熟知しているメンバーや過去の奉仕経験者にわからないことはすべて聞きます。私には知らないことが山のようにあります。さらに、瞑想に関しては全てを指導者の判断に任せるため、ほんとに小さなことでも自分で判断して受け答えることはタブーで、「先生にお聞きしてきます」と言って指示を仰ぎます。

補足ですが、組織のリーダー格の人たちは、こういう自分のロールやステータスが変わる体験をコンスタントにやって自己認識を刷新するのがいいのではないかなーと感じました。

このように幾種類もの役割、力関係の境界を行ったり来たりしながら、意識レベルも行ったり来たりしながら、自己対峙という繊細な作業を続ける26名の他人とコミュニケーションをとり、他の奉仕者たちと仕事を通じて日々チームビルディングをし、そして自分の瞑想修行をする。ハードコアでした。

そんなタフな12日間をめっちゃ楽しく過ごせたのは、奉仕者チームのメンバーのおかげ。はじめましてで出会ってすぐにチームとして動かなければならない中で、うまくいかない例は山と聞くのだけれど、私は本当にラッキーで全員素晴らしい人たちでした。クニちゃんも「こんなにも暇があれば休憩も取らずにキッチン(奉仕者の基地)に集まって一緒に時間を過ごすチームは珍しい。」と何度も嬉しそうに言っていました。みんな驚くほど仕事が速く、何よりも、どんなダーティージョブでも自然の法として受け入れ粛々とやりこなしてしまうのが尊敬。みんな旅人だったのも共通。ここでしか出会えない人たちばかりだったのに、ミラクルな結束力とチーム力でした。クニちゃん、太一くん、ともちゃん、きたくん、たかくん、和田さん、ようこちゃん、ありがとう!!!!

メッタの瞑想

大きな病にかかっている人、貧困にあえぐ人、自分より明らかに苦境に立たされ、しかも生命の危機に晒されていような人たちに慈愛と哀れみ与えるのは、実はそんなに難しいことではない。人は、そういう風にできているから。それよりも本当に難しいのは、身近な人間関係の中で、自分の体や精神や心の領域を、自分にとって好ましくない、望ましくない方法で脅かす人に対して、怒りや牙を剥けず、罵らず、蔑まず、それでも愛情を「示す」ことだ。愛情を持っていても、恐れから示さないことが私たちはよくある。それは怒りや憎しみ、諦めや自己否定に変化する。

だから、愛情をかけている人と、自分の身を守ることが先決であると感じるようなギリギリの辛い状況に陥った時に、それでも愛情を示すことが大事だ。私はそうする。

ヴィパサナ瞑想では10日目に「メッタの瞑想」を習う。自己の身体を通して時々刻々と移り変わるありのままを観るヴィパサナに対し、メッタは、ただ純粋に内から湧き出る愛を周りに広めていく瞑想だ。内なるエネルギーを周りに共有するものなので、自分の中で違和感がある時はやらないようにと教えられる。自ずとメッタを捧げたいと感じた時にだけやるべき瞑想だ。

ヴィパサナを毎日やってきたこの10ヶ月の間、一度もメッタの瞑想をしようと感じたことはなかった。でも今朝は、自然とそうなっていた。祈るように、メッタの瞑想をした。

心の平安というものが何か、初めて体で少し感じ取れたんだと思う。

 

posted on FB on January 13th, 2012

意識のスペクトラム

という言葉はずいぶん昔にケン・ウィルバーの本で初めて知った。瞑想中に何が起こっているかというと、この意識のスペクトラムを行ったり来たりしているのだと思う。

これまで生きてきた過程で経験したこと、その時に沸き上がってきた感情の数々。記憶は脳に刻まれるように体にも刻まれる。通常は脳から指令がいって体が動くのだが、瞑想中は、身体から脳をアクティベートしているよう。脳と体のインタラクションが精緻になっていくにつれ、意識は明瞭ながらも揺らぎ、スペクトラムの深みへ深みへと降りていく。鮮明な視覚的聴覚的な記憶と共に、感情的なものや体の感覚が蘇ってくる。さながら退行催眠をしているように、唐突に無秩序に過去の記憶がフラッシュバックする。

そうしていると、「わたしの過去はこれこれこうだったから今こうなんだ」という精神分析学的な問題把握と解決が起きるし、「こういう状況に陥るとわたしはこれこれこう反応してしまうからああしよう」という認知行動学的な問題把握と解決も起きるし、「今のわたしはこう感じているのだからこうしてあげよう」というゲシュタルト療法的な問題把握と解決も起きる。多様な意識レベルを浮遊する。

しかし、最終的に行き着くところは、過去にフォーカスすることでも、原因(過去)と結果(未来)のメカニズムにフォーカスすることでも、今だけにフォーカスすることでもないのだ。

体の感覚を細部まで観察していると、最初は表面の皮膚しか知覚できないが、そのうち体内にある筋肉、骨、臓器、そして脳みそを知覚できるようになってくる。継続すると視点はさらにズームインされていき、血管内の血の巡りや、筋肉を組成する組織(tissues)にまで及び、細分化のプロセスは終りがない。不思議なのは、感覚がミクロになればなるほど体の各パーツに意識が向いてしまい断片的な現状把握になるかと思いきや、逆に身体全体が1つの何の隔たりもないものとして感じられるようになってくること。

金属板でも入ってるのかと思うように凝り固まってしまった体のさまざまな部位。それに対して凝った、痛いと反射的に反応してしまうと、それは岩のように厳然と立ちはだかる。しかし、どんなに堅くて微動だにしないものも、ミクロレベルでは躍動する粒子でできていのだということが感じられるようになってきた。動かぬものの内部には無数のダイナミズムが潜んでいる。そこを突く。そこに入っていく。そうすると、鉄板のようだった凝り固まりが、繻子のリボンのように解けていく。

大きな塊として知覚していたものが、じょじょに小さくなっていき、さらに細かくなり、ついには粒子の波のようになる。この身体レベルでの現実認知の変化は、上記の心理学的な現実認知と呼応していると思う。現在、未来、過去といった時間軸による経験と意識の蓄積が、じょじょに不可逆的な時間の理解を越え、過去、現在、未来といった隔たりはなくなり、ついには時間感覚は空間が混ざった波となる。

身体を流れるエネルギーは時間を超越しているのだ。

 

 

封印していた龍が蘇る

昨日は8年振りに救急車に乗った。人生で2回目か。全身から汗が滴り、激痛に身悶えしながら、冷静な声で助けを呼ぶ。う~ん、大人になったものだ。痛みへの対応は随分とうまくなった。

自分と向き合う、自分を受け入れることは大事だとよく言われる。私もそう思う。でも、これって単なる言葉のパフォーマンスになってる場合が往々にしてある。あるいは、理屈で理解してるだけ。「自己と対峙することは重要だ」なーんて。でも、これってそーんな甘っちょろいもんじゃない。単純にメンタルなものでもなければ、エモーショナルなものでもない。本当は、体の隅々まで意識を網の目に巡らせて、その有り様すべてを受け入れてくという、何っともタフな作業なんだと昨日、改めて思い知った。

半年間で2度の10日間ヴィパサナを行い、毎朝1時間座り続けている。これは、自分への慰めでも自己満足でも何でもない。確実に血となり肉となる実践だ。だからこそ、昨日の卒倒→点滴劇は、自分は生半可なことをやってるんじゃないんだって、改めて気を引き締めさせる出来事になった。

でもこれって、五体満足だからこんなスっとぼけたことが言えるのであって(気管支炎や諸々アレルギーや生まれつき足が悪いとかあるにしろ)、そうじゃなければ、物心ついた時から直面することなんだろうな。生まれ持った身体がもたらす全てのconsequencesを受け入れる。足がないとか、耳が聞こえないとか、顔が変形してるとか、心臓が悪いとか。

物理的に存在しているこの身体が生み出す現実。それを無感覚に、無意識に、直視せずに過ごせるってことは健康で安全な印。私の歪んだ骨は、99.9%は健康で何不自由ない私に、その事実を突きつけて来る。

生まれつきの骨格が生み出す、仕方のない痛みと不調。31年間(あるいは生まれる前の胎児の頃から)蓄積し続けたものものと、日々、真っ正面から向き合っている。とにかく痛い。身がよじれるほどに痛いこともある。痛みとして格納され、無感覚になって、休​火山みたいに奥底に眠っているものをあぶり出している。だから、通常では鈍って認識できない強烈なセンセーションがでろでろと表面に出てきている。その浄化の過程で、封印していたとんでもない龍が蘇った、とでも言うような状況が昨日。

今なら乗りこなせそうな気がする。

でも、今年は毎月気をつけないとなー。

大事をとって休むことはしてかないと。

お坊さん友達が言うように、娑婆での修行がもっともキツい。

自分の海へダイブ

現実界に戻ってきた。今回もすごかった10日間。

3月にダラムサラのヴィパサナセンターで出会って、たまたま隣のゲストハウスに住んでたと発覚した日本人の男の子と、京都センターで再会するところから始まりました。どんな確率。

体がどんどん開いていく感じが最高に気持ちよく幸せ。今回の10日間でまたプロポーションが変わり、体内のダイナミズムも変わり、身体のリズムが精神へ浸透していきます。

10日間座り続けるのは理に適っていると思いました。最初の1週間は瞑想中に妄想、回顧、分析、明晰夢、幻覚、睡眠の嵐。7日目からようやっと煩悩がほぼ枯渇し、瞑想のみが立ち表れるようになる。

瞑想は様々な意識レイヤーへの分岐点。

  1. 瞑想
  2. 睡眠
  3. 明晰夢
  4. トランス

という4つの状態を行ったり来たり。この4つの意識状態の差は、眼球運動(黒目がどの位置を向いているか)で出るのではないか、というのが実体験観察から導いた仮説。(眼は瞑っている状態で)黒目の位置が、

  1. 瞑想=両眼とも下方
  2. 睡眠=両眼とも上方
  3. 明晰夢=両眼ちぐはぐな方向で激しく動く(REM)
  4. トランス=左右の眼がそれぞれ違う方向 、あるいは両眼とも真っ正面に固定、かな。

瞑想中、ガクっと瞬間だけ寝入ってしまう時があって、「なんで0.1秒前まで瞑想してるのに瞬時に眠りに落ちるんだ!」とその瞬間を捉えてやろうとしたのが事の始まりでした。

この4つのレイヤーを深く研究しているのがチベット仏教/科学。死とセクシャリティーという人間の実存に関わるが、社会的にタブー視されているものをもしっかりと受け止めた理論体系と実践法です。自分の人生のテーマのすべてが含まれているチベット仏教。何かの縁を感じずにはいられません。

それから、人間の精神の中にある女性性と男性性は、身体的には利き腕利き足側が男性性を司り、反対側が女性性を司るのではないだろうかという仮説も生まれました。少なくとも右利きである私自身は、肉体の内部を探る中で、右側に男性性が、左側に女性性が棲んでいるように感じました。

「あるがまま」とは「在るがまま」であり、また「有るがまま」でもある。ということは「無いがまま」もまた然り!ということを閃いたのが6日目か7日目。

目から鱗体験の一つは、ハートチャクラに直に触れたこと。銃弾が埋め込まれたような尖鋭さで、ドクドクグリグリしてた。チャクラって中医学のツボのようなもので、幻想でも魔術でも何でもなくて、人間が感情を「凝り」や「痛み」として溜め込む最奥のポイントなんだと知りました。感じられるんだね。

仏教には次のような考え方があります。

  1. 意識(awareness)
  2. 感覚(sensation)
  3. 認知(perception)
  4. 反応(reaction)

人間が苦しみ、業が生まれるのは2の感覚の段階で、人生で培ってきた経験や思考パターンを元に「いい」「悪い」「好き」「嫌い」「気持ちいい」「気持ち悪い」と判断を加えてしまい、さらに、その判断に沿った反応をするから。例えば、2の段階で「痒い」と感じ、3で「痒いのは不快だ」となり、4で「掻く」という行動を取ります。「痒い」という身体感覚に、「不快だ」という感情/理性判断を加えることで、苦しみを2倍にしている。だから、2の段階で、感覚を純粋な感覚のまま観察し、静かに受け止めることで、3のジャッジュメントに至らないようにします。ということは、私たちの感情の起源は、すべて物理的なセンセーションということになります。センセーションが皮膚に近い部分で起これば、明らかなので私たちは痛みや痒みとして捉えます。でも、体の奥の方で微々たるセンセーションが生まれた時、鈍った感覚器ではそれを身体的感覚としては認識できず、感情というものとして捉えられるのではないか、と思いました。実際、ヴィパッサナをやっている間、獏とした捉えどころのない胸の周りの落ち着きのない焦燥感を突き詰めて観察して奥へ奥へと貫通していったら、ハートチャクラの抉られるような煮えたぎる痛みに辿り着いたのです。

以前、瞑想中に、頭皮から頭蓋骨へとセンセーションを追っていたらフッと無感覚状態に入って「ここが脳みそか!」と気づくという体験がありました。でも、脳みそには到達したけれど、感覚が十分に研ぎすまされていなかったから脳みそに生じるセンセーションは感知できなかった。完全なる無感覚。今回は、ついに脳を物体として感じられました。

脳みそのセンセーションは至極繊細。筋骨の部分は固い分、ブルブル震動してるし圧力や温度の上下をよく感じられるんだけど、脳みそって柔らかいせいか、なんとも掴みどころがありません。特徴的だったのは、脳みそを感じてる時は、体が自然に八の字を描くようにゆらゆらと揺れ始める。無重力状態みたい。

地球交響曲の龍村仁さんのインタビューで、宇宙飛行士は無重力状態の中で、地球上とは違った脳の動きをするようになるから、宇宙飛行士同士ではテレパシーができるらしいという話が出ていました。私もヴィパサナを始めてから、予知的能力が強まった気がします。恐らく魔法でもなんでもなくて、より多くの感覚器が活性化して、今までは拾えていなかった情報を読み解き、処理しているからわかるようになっているのかも。

仏教的視座ーヴィパッサナとコミュニケーション・プロセス・デザイン

18歳の頃から始まった自己探求。勉強、遊び、恋愛、旅、サブカル、社会人の真似事、、、やりたいことには正直に、貪欲に。

その核にあったのは、自分の魂と繋がること。

最初は自分でも言っている意味はよくわかっていなかったと思う。「魂ってなに?心臓?人魂?」とついビジュアルを想像したくなったりして。でも、胸の奥の奥の、誰の手にも届かないところに、自分を突き動かす何かがあることは知っていて、例えば「神」という言葉のように、見えないものを具体化するために「魂」という言葉を選びとっていたのかもしれない。

私の場合、自分の魂と繋がること=人間の精神を理解すること、だった。だから、東洋/西洋哲学、心理学、文化人類学、宗教学などの講義を取り、図書館に入り浸った。そのうち書物漁りでは飽き足らなくなり、瞑想なるものを試し出した。高野山で阿字観を学び、月輪観を体験し、鎌倉の臨済禅を嗜み、アメリカ西海岸にて曹洞禅に辿り着いた。知的好奇心から始まった瞑想との関わりは、いつしか悲しいときや辛いときに心を静める大切な時間となった。

28歳で生けるものとしての不条理な挫折を味わい、完膚なきまでに打ちのめされた私は、日本に帰国して放心状態だった。そんな中で出逢ったのがヴィパッサナ瞑想。ゴータマ・シッダールタが仏陀となった際に行なっていたとされる、心を浄化するための瞑想法だ。意味は「あるがままを観る。」

ヴィパッサナ瞑想では、物質的な人間の肉体を徹底的に解剖していく。

どうやってするのか?

ひたすら「呼吸」を捉えることに全神経を注ぐ。そして呼吸を軸に、身体の感覚(センセーション)を皮膚、爪、髪、筋肉、骨、血管、内蔵、脳、さらには細胞レベルでまで知覚できるように意識を研ぎすませていく技術だ。

私たちは起きている間はもちろん、食べていても、寝ていても、セックスしていても、泳いでいても、植物状態になってさえ、必ず呼吸をしている。死ぬまで変わらない唯一の事実。それは呼吸だ。幸せなときも、恍惚としたときも、緊張しているときも、怒っているときも、泣き叫んでいるときも、我慢しているときも、呼吸は続く。仏陀は、呼吸の「自然な」状態を観察する能力を培うことで、心を一時的に穏やかにするだけでなく、心や頭の乱れの根本を捉え、心をまるごと浄化し、苦から逃れる術を確立し、涅槃に至ったと言う。呼吸の自然な状態とは、意図的にコントロールすることなく、呼吸が浅ければ浅い、息苦しければ息苦しい、微々たるものであれば微々たるまま、一瞬一瞬の呼吸の質を観察し、認識し、それに対して反応をしないということ。

人間活動の最小単位を呼吸と定めてアプローチした仏陀。

ヴィパッサナ瞑想を始めてから間もなく、私は長かった学生モラトリアムに終止符を打ち、「コミュニケーション・プロセス・デザイナー」という職業を創ってフリーランスとして動き出した。この根底には、次のような世界観がある。

私たちは、コミュニケーションを絶やすことはない。友達や家族、恋人と一緒にいても、商談でも、授業でも、診察を受けていても、セックスしていても、スポーツしていても、一人でいても頭の中のもう1人の自分と、寝ていても夢の中で、コミュニケーションをする。だから、自分のコミュニケーションがどのような過程を踏んで成り立っているか、自分のコミュニケーションスタイルがどういったもので、それがどう周囲や自身に影響を及ぼしているのか意識化することで、毎日が笑顔で美しいものになると考えた。いつでも幸せでいられるわけではないけれど、辛く悲しい状況になっても、自分のコミュニケーションの術を心得ていると、落ち着いて感情を受け止めてあげることができる。

人間活動の最小単位はコミュニケーションである、と考えて生み出したコミュケーション・プロセス・デザイン。

こんなところに共通項があったとは。

311 and me

On March 11th,  I was in the foot of Himalayan mountains in Dehradun, India.

How come? I was undertaking a 10 day course of Vipassana Meditation from March 1st. Vipassana is the way of meditation that Buddha applied in his entering into Enlightenment. Meditators of the course live in a Vipassana meditation center for 12 days and simply sit for 10 days. They are not allowed to carry out any type of communication (verbal, non-verbal, even making a sound). They are prohibited to write, draw, read, run, exercise, practice other meditation techniques, and conduct religious or spiritual rituals. Noble silence must be kept. They share a room with another participant, but they may not communicate with each other at any level. Everyday, we looked down on the floor and soil or looked up to the ceiling or sky to avoid eye contact. In the dining room, nothing but little cracking sounds of cutlery and dishes resonated.

I got the tragic news of my country on the final day of the Vipassana. On Day 10, in order for meditators to gradually go back to normal society, the noble silence ends and they are allowed to look into the others’ eyes and talk in limited areas. During a lunch break, I retrieved my valuables from the reception and turned on my mobile just because I wanted to make sure that “nothing had happened to my family” for the 10 days. As soon as the mobile was on, one text message was delivered from an Indian friend of mine who used to live in Tokyo.

“M9.0 earthquake hit Yokohama.”

The very first information from the world after such intense 10 days of inner exploration was this.

What the fxxk.

Shit.

Really?

OH SHIT.

Looking back, I probably learned about the crisis right after it had actually occurred. Time difference between Japan and India is 3.5 hours. The morning meditation session finished at 11am and the lunch break lasted until 1pm.

The shock I got was incredibly amplified due to the Vipassana effect. I was terrified by the fact that my intuition of “emergency” was right. While shaking, I barely managed to make a phone call to my mom and assured her and my bro’s safety. I was almost resolved to fly back to Japan immediately as thinking of the worst case scenario for my family (luckily that wasn’t the case). When merciless incidents occur in my life, I’m always abroad. I’m used to jumping in an airplane and rushing to my family. Good lord.

On the very last day of the course, this tragedy happened to my beautiful country. This coincidence makes me ponder, what role is given to me?

Threads of life were intertwined and woven strikingly. At the end, my life took me to Dharamsala, the sacred village for both Indian and Tibetan. I led a everyday life there for three weeks. Then I flew back to Tokyo on April 12th.

Despite people’s curiosity of how I coped with being back in Tokyo that drastically changed, I should say that nothing affected me. Regardless of 311, I had been going through transformation during the journey in India (to be precise, it had set about since 2010). I was fully transformed and arrived at Narita with the new senses. Therefore, I could naturally accept the world of Japan as it was.

It’s been almost two months since my return. Japan, especially the northern part of Tokyo and Kanagawa (my city) upward, is facing tremendous danger. The disaster areas are beyond description. Moreover, the nuc plants are miserably severely damaged. Now, three of Fukushima plants are in complete meltdown. (not merely Daiichi). Our gov. is so fxxked up that no information and data is reliably released.

I admit my responsibility that I have been dependent on the Japanese energy system and economic/political policy as a national, and a risk of potential life hazard such as cancer at early age or impairment of pregnancy. Needless to say, I try my best and hardest to protect my healthy body as well as family, friends and people. Nonetheless, in reality, we don’t have the right solution to escape from invisible radiation. We are and will be exposed to it to some degree anyway. I’m scared.

But, I’m a part of it.

Going back to my question that arose on the 10th day of vipassana. What is my role here?

I came to a conclusion towards the end of my trip in India: I’m meant to be there for those who are in need to let their emotions and feelings out as well as support them in thinking through what their life really is. I would come and listen to them only when they ask me so. This year, my focal point is to be shifted to the more individual level.

A few of my friends share with me an intriguing aspect: People residing in the Tokyo Metropolitan area are reluctant to acknowledge that they are also victims of the 311 disaster because “real” victims up in north suffer so devastatingly that Tokyo people feel guilty to consider themselves as victims. Relativism of misfortune. But, we know that we can’t compare the quality of happiness and misfortune with those of others. We individuals are only able to experience what each of us experiences.

And my friends continue like this: Naho is not a victim since she was in India. Having this different angle of looking at Japan as a non-victim Japanese is beneficial. For, thoughts and actions of Tokyo people who went through the 311 are confined, which hinders them from seeing things from a wider perspective. Besides, I could be of help to release their hidden tension and anxiety that they are unwilling to express because of a sense of guilt.

It appears to me that my awareness and my friends’ awareness of my role are in synch.

What makes life fascinating is that inquiries started to come to me soon after I was settled back in Tokyo. It flows naturally.