メッタの瞑想

大きな病にかかっている人、貧困にあえぐ人、自分より明らかに苦境に立たされ、しかも生命の危機に晒されていような人たちに慈愛と哀れみ与えるのは、実はそんなに難しいことではない。人は、そういう風にできているから。それよりも本当に難しいのは、身近な人間関係の中で、自分の体や精神や心の領域を、自分にとって好ましくない、望ましくない方法で脅かす人に対して、怒りや牙を剥けず、罵らず、蔑まず、それでも愛情を「示す」ことだ。愛情を持っていても、恐れから示さないことが私たちはよくある。それは怒りや憎しみ、諦めや自己否定に変化する。

だから、愛情をかけている人と、自分の身を守ることが先決であると感じるようなギリギリの辛い状況に陥った時に、それでも愛情を示すことが大事だ。私はそうする。

ヴィパサナ瞑想では10日目に「メッタの瞑想」を習う。自己の身体を通して時々刻々と移り変わるありのままを観るヴィパサナに対し、メッタは、ただ純粋に内から湧き出る愛を周りに広めていく瞑想だ。内なるエネルギーを周りに共有するものなので、自分の中で違和感がある時はやらないようにと教えられる。自ずとメッタを捧げたいと感じた時にだけやるべき瞑想だ。

ヴィパサナを毎日やってきたこの10ヶ月の間、一度もメッタの瞑想をしようと感じたことはなかった。でも今朝は、自然とそうなっていた。祈るように、メッタの瞑想をした。

心の平安というものが何か、初めて体で少し感じ取れたんだと思う。

 

posted on FB on January 13th, 2012

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