封印していた龍が蘇る

昨日は8年振りに救急車に乗った。人生で2回目か。全身から汗が滴り、激痛に身悶えしながら、冷静な声で助けを呼ぶ。う~ん、大人になったものだ。痛みへの対応は随分とうまくなった。

自分と向き合う、自分を受け入れることは大事だとよく言われる。私もそう思う。でも、これって単なる言葉のパフォーマンスになってる場合が往々にしてある。あるいは、理屈で理解してるだけ。「自己と対峙することは重要だ」なーんて。でも、これってそーんな甘っちょろいもんじゃない。単純にメンタルなものでもなければ、エモーショナルなものでもない。本当は、体の隅々まで意識を網の目に巡らせて、その有り様すべてを受け入れてくという、何っともタフな作業なんだと昨日、改めて思い知った。

半年間で2度の10日間ヴィパサナを行い、毎朝1時間座り続けている。これは、自分への慰めでも自己満足でも何でもない。確実に血となり肉となる実践だ。だからこそ、昨日の卒倒→点滴劇は、自分は生半可なことをやってるんじゃないんだって、改めて気を引き締めさせる出来事になった。

でもこれって、五体満足だからこんなスっとぼけたことが言えるのであって(気管支炎や諸々アレルギーや生まれつき足が悪いとかあるにしろ)、そうじゃなければ、物心ついた時から直面することなんだろうな。生まれ持った身体がもたらす全てのconsequencesを受け入れる。足がないとか、耳が聞こえないとか、顔が変形してるとか、心臓が悪いとか。

物理的に存在しているこの身体が生み出す現実。それを無感覚に、無意識に、直視せずに過ごせるってことは健康で安全な印。私の歪んだ骨は、99.9%は健康で何不自由ない私に、その事実を突きつけて来る。

生まれつきの骨格が生み出す、仕方のない痛みと不調。31年間(あるいは生まれる前の胎児の頃から)蓄積し続けたものものと、日々、真っ正面から向き合っている。とにかく痛い。身がよじれるほどに痛いこともある。痛みとして格納され、無感覚になって、休​火山みたいに奥底に眠っているものをあぶり出している。だから、通常では鈍って認識できない強烈なセンセーションがでろでろと表面に出てきている。その浄化の過程で、封印していたとんでもない龍が蘇った、とでも言うような状況が昨日。

今なら乗りこなせそうな気がする。

でも、今年は毎月気をつけないとなー。

大事をとって休むことはしてかないと。

お坊さん友達が言うように、娑婆での修行がもっともキツい。

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