我輩は

「それは太陽のせいだ」
カミュの異邦人にアイデンティティを見出した10代。

ヘッセの描いたシッダールタの如く、盲目に欲望を満たし痛みと対峙し、河を目指した20代。本は棺桶に入れて燃やした。

そして本厄年女を迎えんとする30代折り返し地点(数えの年齢に目を剥きつつ。。。) 心境は意外にも若い頃にはあまり縁のなかった日本純文学。「吾輩は猫である。名前はまだ無い。」

猫のように、名前をつけてもらうことはあまり期待していない。何者でもないまま、ひっそりと死んでいく。物悲しい諦観のように聞こえるが決してそのような悲観的なものではなく、逆に満ち足りた清々しさに包まれている。名前というのは、あってもなくてもどちらでもいいのである。

職業を一から作り、働き方を作り、組織を作り、生計の立て方を作り、さらに島を出て、わたしの日々の人生をアートする試みを始めた。親から与えられた名前で生きた数十年に思い残すところはなくなった。至高の暮らしに行き着いた。名前というアイデンティティが象徴する命に満足すると、その先には何があるのか、見るのを待ちわびた1年だった。

答えは「名前はまだ無い」

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