Psycholinguisticな日本語とドイツ語の話

9月より本格的にドイツ語に力を注いでいます。ヨーロッパでは土地柄、他/多言語を学ぶのは当たり前。カフェでよくタンデムを見かけます。違う母国語同士の人がペアになってお互いの言語を教え合うこと。私もドイツ人の友達とタンデム始めたよ。彼は日本語の他にスウェーデン語、フランス語、ヘブライ語も勉強中。驚異的だよねw

ヨーロッパには言語習得の難易度を表す「桃栗3年柿8年」のようなフレーズがあるらしい。誰かが単に言ってただけかもしれないけど。なんだったっけな。「イタリア語1年、フランス語3年、ドイツ語30年」だったような気がする。それに、こんな映像が作られちゃうくらい、ドイツ語はヨーロッパである意味「ネタ」な言語の様子。

How German sounds compared to other languages

日々ドイツ語が耳に入れば集中して耳を傾けて、機会があればドイツ語を話すように心がけます。ベルリンは名実共にな国際都市だから、かなりの確率で英語が通じる。ベルリンに3、4年住んでるけれどまったくドイツ語話せませんって人は山ほどいるみたい。それでも生きていけるくらいドイツ人の英語習熟度が高いのと、外国人の比率が高い街なのだ。引っ越して間もないこともあって、まだまだドイツ人友達の数が少ないしねー。だから隙あらばドイツ語を聞き、話そうと意識を高く持っておかないと、ドイツにいるのに案外触れる機会は少ないのです。

必死にドイツ語の音をピックアップし、文法を学んでは実際に話したり書いているうちに、第1言語、第2言語に影響を及ぼし始めてるなーとここ数日で気づきました。例えば、ドイツ語では名詞の先頭を必ずキャピタルレターにします。英語では文頭と固有名詞だけキャピタルにすればいいんだけど、気づかぬうちに英語でもすべての名詞の最初をキャピタルで書いてしまっていたり。

ドイツ語でもう一つ特徴なのが動詞の位置。基本的な文章では動詞が2番目にきます。「セカンドポジション」「セカンドアイディア」などと言われるルール。そのかわり、文章の先頭は常に主語じゃなくてもいいし、2番目に動詞を持ってきたら、その後に続く単語はそこそこの自由度で並べ替えが可能(いちよう大まかな法則はある)。これを無意識のうちに英語にも適用し始めちゃってるみたい。英語を書いてると頭の中で二つの言語の文構造が交わり始めて、まるで靄がかかったような視覚的に不透明な感覚に陥って、どこに動詞を置いたらいいか、どこに強調の副詞や否定語を挿入すればいいか、だんだんよくわからなくなって、ほんの一瞬なんだけど手が止まる現象を体験しています。目では自分が打っている英語を見てるのに、目から得た情報を処理する脳みそ側がドイツ語で行われてるというか。

英語とドイツ語はアルファベットがほぼ同じだし文法が似ているから、混同する現象が起こるのは理解しやすい。だけど、同じような認知上の「ズレ」が日本語にも起き始めているんだよね。びっくり。日本語の文章を読んでいるのに、「なんだこれは?何を言いたいのかよくわからないぞ。」と首をひねってしまう。「単にわかりにくい日本語なんじゃない?」という突っ込みがあるだろうけど、私が体験しているのはちょっと違うもの。「そんな日本語じゃ何言ってるかわからん!」ってなつまらない講演や、長々と書かれた的を得ない意見のようで意見じゃない文章(よくあるねw)に対する、「わからんよー」という反応は、意味論(シマンテック)や運用法(プラグマティクス)の範疇。でも、私が日本語に対して抱き始めている違和感現象は、文章構造を作りだす法則=統語論(シンタックス)の範疇。言語を司る脳みそのどこかで、何かしらの変化が起きてるみたいなんだよね。英語と同じことが起きてるのだとしたら、恐らく、日本語の文章を読んでいる(視覚情報として日本語が入ってくる)にもかかわらず、それを処理する脳内プロセッサーはドイツ語設定、ということだ。これによって何が起きるかというと、まず、さっき英語について書いたような視覚的なぼやーっとした感じになる。日本語の文章が融解/分離していくような。文章が文章としてとどまってないというか。パソコンの画面に映る日本語が少し遠く感じるというか。なんだろう。うーん、新しい体験だから的確に文字で描写できないねぇ。とにかく、視覚的なぼんやりした感じが脳内に広まり、そうすると意味もよくわからなくなってきて、浮かんでくる質問は

「この部分の行為者は一体誰?」

「この文章の行為の受け手は一体誰?」

「この部分は何を対象にして、誰に向けて、何の話をしてるの?」

「これって結局誰のことを指してるの?」

曖昧模糊とした文字の羅列に頭がついていけなくなっていくの。簡単にざっくり言ってしまうと、各文章の主格と目的格、そして文全体の意図(誰が誰に向けて、何について話しているのか)を語彙表現ではなく、文構造(シンタックス)の内に明瞭に見いだそうとしているのだ。これはとてもドイツ語的。

もう一つ特筆すべきは、第3言語の介入による第1言語、第2言語の遊離現象は、今のところライティングとリーディングで起きてる。スピーキングとリスニングでは起きてない。目の運動と目からの情報と手の運動。そして、口の運動と耳からの情報。これらに関連性があるのかしら。

第3言語を習得し始めたことによって、過去に学んだもののすっかり忘却の彼方だったフランス語やスペイン語が急に口をついて出たり。

言語と脳の関係っていつでもfascinating。

Leave a Reply

Fill in your details below or click an icon to log in:

WordPress.com Logo

You are commenting using your WordPress.com account. Log Out / Change )

Twitter picture

You are commenting using your Twitter account. Log Out / Change )

Facebook photo

You are commenting using your Facebook account. Log Out / Change )

Google+ photo

You are commenting using your Google+ account. Log Out / Change )

Connecting to %s