初めてのハッカソン

betterplace Lab x Peace Innovation Lab Berlin が共催する3日間のハッカソンが終りました。ドイツ拠点のクラウドファンディングプラットフォーム betterplace.org への寄付をより魅力的に、ユーモラスに、日常の行動の一部にするためのハッカソン。デベロッバー、デザイナー、クリエイター、起業家、コンサルタントなど異業種の人たちが集まり、アプリケーションやウェブのアイディアを持っている人たちを中心にチームを作り、コンセプトメーキング、デザイン、モックアップ作成、発表という流れでした。

なぜ参加することになったかと言うと、Peace Innoation Lab Berlinを運営している友人がフェースブックでイベント告知しているのを見つけたのが始まり。私がベルリンで取り組んでいるアートプロジェクトが、クラウドファンディングを使わず、自分が育てたコミュニティを基盤に、愛情と信頼関係をすでに築いた仲間同士でお金を贈り、受け取り、流すという、お金の意味づけを転換させる社会実験なので、なにか関係あるかなーと思って申し込みました。

意外なことにドイツでも60%の人は寄付をしないそうで、どうやって「お金を出す」文化を根付かせるか、アメリカやイギリスの先進的例を参考にするあたりは日本と似たようなポジションなんだなーと学びました。

How can we make donations sexy?
How can we make donations interactive?
How can donating add value to the person giving?
How can donating be integrated into our daily routines?
How can we attract the 60% of the Germans, who have never donated?
How can we improve products and services through donations?
How can we catapult donations to the next level?

数々のアイディアピッチが行なわれた後、晩ご飯を食べながら(Abendbrot-夜のパン−が「夕飯」という意味になるドイツらしい、パンとチーズとハム!)興味あるアイディアの人と話したり、似たようなアイディアのグループで合流したり、自発的にチームを作っていき、夜9時過ぎからチームに分かれて作業が始まりました。

私は「お金はもはやセクシーじゃない!時間をドネーションしよう。」というアイディアを出したアルバニア人のチームに入ることにしたよ。アルバニア人、ドイツ人、スロベニア人、日本人という色彩豊かなメンバーです。寄付はワンクリックで済んでしまう瞬間的なトランズアクション。でも、必要なのは共感する気持ちと継続的に支援するコミットメントだよね。そのためには、お金を出す、プロボノを提供するという行動に移る前に、まず興味を抱き、もっとプロジェクトのことを知れて関係性を構築できるスキームが入ればいい。Attention(意識)を傾ける時間をまずは作ろうじゃないか、というのがベース。

クラウドファンディングのためのスマートフォンアプリケーションをデザインする場に立ち会うことになるなんて想像もしていなかったのですが、やってみると単純に面白かったし、私みたいにIT,Fab, Makersのような「タンジブルなものを作る」ことから縁遠い人間でも、チームメンバーとして役割を持って、開発フェーズに付き添えると体験できてよかったです。

やっぱり私の強みは、人が発信したいアイディアの裏にある情熱や思想を掘り出し、ロジックフロー(ストーリーライン)を立て、それをしっかり創作物のデザインに反映させるために、チーム内でコミュニケーションを深く、リズミカルにしていくプロセスデザインだなと実感しました。つまりほんとに初期フェーズ。モックアップを作って試したり、プレゼン資料を作るのは、建築家、医療系テクノロジ—事業家、エンジニアのチームメンバーがやってくれました。私は横から色々言ってるだけw

プロジェクト名はどうする?ロゴは?タグラインは?キーカラーは?

このアプリケーションで一番達成したいことは何?

どうしてそもそもこのアプリケーションを作りたいと思ったの?

国籍も言葉もバックグラウンドも違う初対面の人と、いきなりブレストし、デザインし、成果物を作るのは容易ではないけれど、人間誰しも譲り合うし、人の話を聞いてくれるし、説得しようとするし、こういうのがカッコいいよね、とか、こういう方がもっと人間らしくていいよね、とか、共有する基盤がある。

過去にcross-cultural/Inter-cultural communication理論を学び、global communicationとは何かを研究テーマにしたことがある。そうした知識と多国籍チームでの活動経験を鑑みると、短期的、あるいは連続性のない小さい組織(チーム)活動においてはglobal communication能力がより必要になる。中長期で継続的に活動し、そのため組織にストラクチャーが入ってくるとcross-cultural differenceやinter-cultural relationshipの要素がどんどん大きな役割を占めてくるのかもなー、という所感を覚えました。

猫と瞑想

飽きずにまたヴィパサナに行ってきましたin Deutschland.

インド、日本に続きドイツ。ベルリンから南東に車で下るとおよそ4時間でHofという町に着きます。ベルリンの壁が顕在だった当時、ここにも壁が築かれており、同じ日に崩されたそうです。タクシードライバーのおじさんが教えてくれました。1989年11月9日、彼は今と同じようにHofにいたそうです。壁が壊された後、毎週末になると旧東側の人が西側に物見遊山にやってきて、人で溢れ返ったそうです。Hofからさらに車で30分奥地に移動したTriebelという場所にヴィパサナ瞑想センターはあります。

センターは高級ユースホステルのように快適でビックリしました。日本より綺麗だし設備は整ってるし。キッチンはレストランの厨房さながら。使われている食器や調理用具は派手ではないけれど質のいいものばかり。修道院という仕組みが何十世紀に渡り培われてきた土地ならではの、修行所が提供する慎ましやかなる瀟酒さが伺えました。アジアのThe 修行!という雰囲気とは違う。

今回は数年間継続的にヴィパサナ瞑想をしている経験者のみが受けられる「サティパッタナ」と言われるコースで、1日10時間座るのは7日間のみ、8日目に沈黙が終りました。前後合わせて計10日間。通常の10日間コースより2日短いです。なのであっという間。瞑想が深まるのは6日目辺りからなので、ちょっと短いかなーと思いながら6日目を過ごしたのですが、終ってみたら8日間で期待通りの手応えを得て、かなり先まで歩むことができました。(正確に言うと、0日目と9日目も数時間座ります。)

私が学んだ限りで話すと、ヴィパサナ瞑想とは、「すべては刻一刻と変化する」という自然の摂理を、自らの身体の細胞レベルの変化を感じ取れるようになるまで肉体の感覚を研ぎすましていく方法です。この方法を通してシッダールタは涅槃に入り仏陀となったと伝えられているそうです。人間の苦しみは、この世のものが変わらず残り続けるという幻想から始まると仏教では説いています。この幻想が、「これが欲しい」という欲望、あるいは「これは嫌だ」という排除の欲望を生みます。いずれ消えてなくなってしまうものと分かっていれば、これが欲しいあれが要らないという欲望に苛まれずに済むけれど、つい私たちはいつまでも続くものと誤認しているから欲望が沸き続ける。

この感情的欲求の発露と身体感覚は同時に起こっていると言います。お腹が空いた時。苦手な人が来た時。美しい景色を見た時。病気で苦しんでいる時。いつでも身体は何らかの感覚を醸成しています。仏陀は、欲望が満たされず募るほどに身体感覚の癖が体に刻まれて残っていき、それが諸々の現象に対する人間の反応(怒る、悲しむ、喜ぶなど)を引き出すという風に解いています。

現象→意識による認識→身体感覚→感情的反応(思考や行動も含む)

こんな感じかな。ちゃんとした仏教用語を参照していないのであしからず。あくまで私個人の理解です。

現象が起こることは変えられません。生きている限り意識があるのも変えられません。これは人間の性質です。なので、仏陀は身体感覚を捉えることで、次の段階の反応(サンカーラと呼ばれる)を摩滅することを考え、その手段として瞑想を開発していったと。

ヴィパサナ瞑想をしていると着実に身体感覚が研ぎすまされていきます。通常の意識レベルでは感じられない体内の細かい肉や骨や血流、内蔵を感じられるようになり、さらにそのような境界線を越えたレイヤーの繊維の繋がりを感じ、さらに感覚が鋭敏になると泡粒か砂粒が集まっては崩れ去っていくように身体内を感じ取れるようになります。体のどこの筋肉や神経がどこに繋がっていて、どのように反応し合うかを体で掴めるようになります。経絡やチャクラの位置、あるいは西洋医学での筋肉の付き方や神経経路が感じられるようになる。

例えば私の体は、単純にこの数年間で相当柔らかくなりました。生まれつき左股関節亜脱臼という病気(?)持ちなので、股関節、骨盤を取り囲む肉の付き方が歪んでおり、腰が曲がっていました。簡単に言うと猫背。背骨の下の方で折れ曲がってしまっている。この周辺の筋繊維が大幅に解きほぐされ、お尻から頭の上までほぼ真っすぐに背骨を立たせて座ることができるようになりました。これって椅子だと意識すればできるんだけど、床に直接足をまっすぐ伸ばして座ったり座禅を組むと途端にできなくなる人が多いはず。それができるようになりました。

身体の奥の奥まで意識的にアクセスできるようになり、身体感覚を詳細に詳細に研ぎすましていくと、水を飲んだ時に水が喉を通り、食道を下り、胃に流れていく重力で首が自然にのけぞってしまうくらいに敏感になります。体の内部を通る毛細血管の脈動に全身がシンクして振動しちゃったりします。パンを口に入れるともそもそモゴモゴするので牛乳を流し込むと、パンの状態が一気に水分を吸って変容し、どんどん形状が柔らかくなり液状化し、体積が小さくなっていく、そんなパンを一口放り込み飲み込むまでの一瞬の現象を微細に感じ取ることができるようになります。呼吸を1つすると、吸い込んだ空気が鼻孔を通り、気管を通り、全身に広がって体に吸収されて私の身体を作り、生かしていく様子がわかるようになります。違う土地の空気(粒子)を吸い込むと、私の構成要素は一呼吸毎に変わっていくのだということが体感できます。

このように、体の奥に刻まれた反応という記憶と、それと一緒に刻まれている心理的、理性的な記憶が、常に流転している物理現象だと知覚できるようになると、普段の鈍感な感覚では「肩こり」「腰のだるさ」「頭痛」というように認識されて痛がっていたものが、つぎつぎ溶解し、素粒子的になり、そもそもそのようなしこりはないというミクロレベルに辿り着きます。小さな小さな小さな動きを捉えることができると、「凝り固まって微動だにしなかった部分」は一気に雲散霧消します。肉体的にも精神的にも。

そして、どのような痛みや苦しみがある時にも、自分の身体の中、心の中の微かな平安な振動を感じ取ることができるようになってきました。少しずつ。少しずつ。

これまで自分を形作っていた、時には支えてくれていたアイデンティティを溶解し、失わせ、手放す。そのためにヴィパサナに行ったし、ベルリンに来たんだと改めて気付きました。アメリカに渡った時、私は一度アイデンティティクライシスに陥りました。自分が認識する自己があり、その自己が表現し定義する日本語での私がいます。しかし、アメリカでは自分の母国語ではない英語を使って自己規定を行なわないといけないので、言語がおぼつかなかった初年度に私の認知内で不調和が起こりました。英語が母国語である他者が認識する私の英語(=わたし)と、私自身が規定する日本語での自己の間には大きな大きな深い溝があり、自己というものが捉え切れなくなったんです。

今ではその経験が実に貴重だったし、1度崩壊し、再び創造していく過程を私は存分に楽しみました。その体験を違う文化/言語圏に入ることで再びしたいと思ったという動機も渡欧にはありました。だから、瞑想をしながら、「ああそうか、だからか。」と納得していました。

ベルリンに来る飛行機の中で雑誌ニュートンの『生命とは何か』という特集を読んできました。このテーマを出発の友にするなんて啓示的だなと思いながら。

シュレディンガーは生命には負のエントロピーが働くから生命体を維持できるのだと言いました。ヴィパサナ瞑想は、負のエントロピーという概念そのもの、その概念が機能するためのパラダイムを変えていく業(わざ)なんだろうな。

そうそう、瞑想6日目にお庭でウサギを見かけました。花園で遊んでいたところを私に見られて急いで逃げて行く後ろ姿が印象的でした。猫もいたらしいけれど、私は出会わなかった。

ヴィパサナ瞑想にまた行ってきたよ。

10月9日から20日まで京都ヴィパサナ瞑想センターに行ってきました。10日間座り続けるのではなく奉仕者として申し込んだのですが、どんな役割になるかは行ってからのお楽しみ♪ということで、9日のお昼前に到着すると、センターに長期滞在して奉仕と瞑想を繰り返しているクニちゃんから「コースマネージャーをお願いします。」と言われました。他にどんな役割があるのかも知らないし、センター側が割り当ててくれたのだから、「はい」と答えました。そこから怒濤のOJT(笑)が始まりました。いやはや、とにかく本当にすごい修行でした。

ヴィパサナ瞑想はDAY0からDAY11まであります。着いた日がDAY0。この日の夕方4時から生徒さん(瞑想参加者)が受付にやってきて、6時にお夕飯、7時からオリエンテーション。8時から瞑想が始まります。DAY1からDAY9までは聖なる沈黙と言って、コースマネージャーと瞑想指導者以外の人とは一切の言語・非言語コミュニケーションが禁止されます。視線を合わせたり、ちょっとしたジェスチャーもなし。「まるで自分1人しかいないように過ごす」ことが求められます。他者に触れること、書くこと、読むこと、描くこと、音楽を聞くこと、運動をすることなども禁止です。DAY10の午前中で聖なる沈黙は解かれ、翌日にセンターを離れて下界に降りる心の準備をします。DAY11の朝に最後の瞑想があり、掃除をして終りです。

お仕事は任命されてすぐに始まりました。右も左もわからぬまま、資料に目を通し、奉仕経験のある人を質問攻めにしながら、まずは生徒さん受け入れ準備。最初はまだ全員の奉仕者が揃っていないこともあり、キッチンでネギを切ったりあれこれお夕飯のお手伝いをしながら、受付の準備やオリエンテーションで説明しなければならないことを理解します。そしてあっという間に4時。何をすればいいのか半分くらいしかわかっていないことは内緒のまま、笑顔で「こんにちは。ようこそいらっしゃいました」とレジストレーションをします。そして7時になると、知った顔してコースやセンターでの過ごし方の説明を男女60名弱の生徒さんにします。職業柄、こういうことは慣れているはずだけれど、まるで、初めて入ったプロジェクトでいきなりオーソリティーロール、みたいな状況で、内心あわあわするし、しょっぱなから修行でした。ちなみに男女隔離の生活のため、男女に1人ずつコースマネージャーがいます。私の相方は屋久島からやってきた太一くん。コースマネージャー経験も豊富な頼れる男でした。

1日5〜6時間瞑想をし(生徒さんは10時間)、それ以外は生徒さん1人1人がどんな健康状態でどんな薬を摂っているかを把握し、瞑想中や休み時間での様子に意識を払い、彼女たちの生活ニーズや色々な質問に対応します。26名いたので名前と顔を一致させるのが一苦労。それから、瞑想開始と終了を知らせるベルを鳴らして時間管理をします。毎日、トイレ、シャワー、瞑想ホールや廊下、庭の掃き掃除をし、指導者と生徒さんがコミュニケーションする時の通訳、指導者からの指示への対応などフル稼働でお勤め。瞑想中も生徒さんの動きと指導者からの指示にいつでも応じられるように心構えしながらヴィパサナ瞑想をやるので、意識レベルをどこで保ち、深い無意識との対話と、現実世界で起こっていることをどう両立させていくかが鍵でした。特に生徒さんが指導者に質問をする時の通訳が大変。生徒さん自身、自分がどういう状態で何をどう言葉で表したらいいかわからないので、その言ったことをそのまま通訳するのが難しかった。指導者の言葉を間違えのないよう的確に伝えるのも修練が必要でした。瞑想状態から瞬時に脳の活動範囲をスイッチさせて通訳モードに入るために、自分でも気づいていない莫大なエネルギーを消費していた気がします。「ああー、頭がついていかないーーー」ということが後半になると増えていきました。夜は9時過ぎからメッタバーバナという愛と慈悲の瞑想を、生徒さん、指導者、奉仕者チーム、センター内のすべての生き物に向けて行ない、その後ミーティングをして、10時から10時半頃就寝。瞑想を始めると意識が違うステートに入って睡眠が浅くなるため、何度も目覚めたり、眠っている状態を観察したりしていました。

コースマネージャーは、指導者のすぐ横という瞑想する位置(すべての人の瞑想の座布団の位置は決められている)、生徒さんには許されていない行動の自由、規律を遵守しているかを見守るという役割、指導者と生徒さんを繋ぐという立場から、この12日間だけ形成される組織の中で、指導者の次に強いパワーを相対的に持つことになります。実際は単なる奉仕者その1なので、これといった実権はないのですが、与えられるタスクの性質と瞑想ホールでの物理的な位置関係から自動的にパワーが生まれます。おもしろい現象です。現実世界のパワーダイナミクスも大概こんなものですよね。

その一方で、トイレ掃除、ゴミ箱の管理、虫が出たら取ってあげる、生徒さんが何か必要だと言えば奔走するなど、普段の社会ノームであればパワーバランスが弱い立場の人がやる仕事も同時にやります。また、私のように初めて奉仕者を経験すると、長期滞在をしていて物事を熟知しているメンバーや過去の奉仕経験者にわからないことはすべて聞きます。私には知らないことが山のようにあります。さらに、瞑想に関しては全てを指導者の判断に任せるため、ほんとに小さなことでも自分で判断して受け答えることはタブーで、「先生にお聞きしてきます」と言って指示を仰ぎます。

補足ですが、組織のリーダー格の人たちは、こういう自分のロールやステータスが変わる体験をコンスタントにやって自己認識を刷新するのがいいのではないかなーと感じました。

このように幾種類もの役割、力関係の境界を行ったり来たりしながら、意識レベルも行ったり来たりしながら、自己対峙という繊細な作業を続ける26名の他人とコミュニケーションをとり、他の奉仕者たちと仕事を通じて日々チームビルディングをし、そして自分の瞑想修行をする。ハードコアでした。

そんなタフな12日間をめっちゃ楽しく過ごせたのは、奉仕者チームのメンバーのおかげ。はじめましてで出会ってすぐにチームとして動かなければならない中で、うまくいかない例は山と聞くのだけれど、私は本当にラッキーで全員素晴らしい人たちでした。クニちゃんも「こんなにも暇があれば休憩も取らずにキッチン(奉仕者の基地)に集まって一緒に時間を過ごすチームは珍しい。」と何度も嬉しそうに言っていました。みんな驚くほど仕事が速く、何よりも、どんなダーティージョブでも自然の法として受け入れ粛々とやりこなしてしまうのが尊敬。みんな旅人だったのも共通。ここでしか出会えない人たちばかりだったのに、ミラクルな結束力とチーム力でした。クニちゃん、太一くん、ともちゃん、きたくん、たかくん、和田さん、ようこちゃん、ありがとう!!!!

自分の海へダイブ

現実界に戻ってきた。今回もすごかった10日間。

3月にダラムサラのヴィパサナセンターで出会って、たまたま隣のゲストハウスに住んでたと発覚した日本人の男の子と、京都センターで再会するところから始まりました。どんな確率。

体がどんどん開いていく感じが最高に気持ちよく幸せ。今回の10日間でまたプロポーションが変わり、体内のダイナミズムも変わり、身体のリズムが精神へ浸透していきます。

10日間座り続けるのは理に適っていると思いました。最初の1週間は瞑想中に妄想、回顧、分析、明晰夢、幻覚、睡眠の嵐。7日目からようやっと煩悩がほぼ枯渇し、瞑想のみが立ち表れるようになる。

瞑想は様々な意識レイヤーへの分岐点。

  1. 瞑想
  2. 睡眠
  3. 明晰夢
  4. トランス

という4つの状態を行ったり来たり。この4つの意識状態の差は、眼球運動(黒目がどの位置を向いているか)で出るのではないか、というのが実体験観察から導いた仮説。(眼は瞑っている状態で)黒目の位置が、

  1. 瞑想=両眼とも下方
  2. 睡眠=両眼とも上方
  3. 明晰夢=両眼ちぐはぐな方向で激しく動く(REM)
  4. トランス=左右の眼がそれぞれ違う方向 、あるいは両眼とも真っ正面に固定、かな。

瞑想中、ガクっと瞬間だけ寝入ってしまう時があって、「なんで0.1秒前まで瞑想してるのに瞬時に眠りに落ちるんだ!」とその瞬間を捉えてやろうとしたのが事の始まりでした。

この4つのレイヤーを深く研究しているのがチベット仏教/科学。死とセクシャリティーという人間の実存に関わるが、社会的にタブー視されているものをもしっかりと受け止めた理論体系と実践法です。自分の人生のテーマのすべてが含まれているチベット仏教。何かの縁を感じずにはいられません。

それから、人間の精神の中にある女性性と男性性は、身体的には利き腕利き足側が男性性を司り、反対側が女性性を司るのではないだろうかという仮説も生まれました。少なくとも右利きである私自身は、肉体の内部を探る中で、右側に男性性が、左側に女性性が棲んでいるように感じました。

「あるがまま」とは「在るがまま」であり、また「有るがまま」でもある。ということは「無いがまま」もまた然り!ということを閃いたのが6日目か7日目。

目から鱗体験の一つは、ハートチャクラに直に触れたこと。銃弾が埋め込まれたような尖鋭さで、ドクドクグリグリしてた。チャクラって中医学のツボのようなもので、幻想でも魔術でも何でもなくて、人間が感情を「凝り」や「痛み」として溜め込む最奥のポイントなんだと知りました。感じられるんだね。

仏教には次のような考え方があります。

  1. 意識(awareness)
  2. 感覚(sensation)
  3. 認知(perception)
  4. 反応(reaction)

人間が苦しみ、業が生まれるのは2の感覚の段階で、人生で培ってきた経験や思考パターンを元に「いい」「悪い」「好き」「嫌い」「気持ちいい」「気持ち悪い」と判断を加えてしまい、さらに、その判断に沿った反応をするから。例えば、2の段階で「痒い」と感じ、3で「痒いのは不快だ」となり、4で「掻く」という行動を取ります。「痒い」という身体感覚に、「不快だ」という感情/理性判断を加えることで、苦しみを2倍にしている。だから、2の段階で、感覚を純粋な感覚のまま観察し、静かに受け止めることで、3のジャッジュメントに至らないようにします。ということは、私たちの感情の起源は、すべて物理的なセンセーションということになります。センセーションが皮膚に近い部分で起これば、明らかなので私たちは痛みや痒みとして捉えます。でも、体の奥の方で微々たるセンセーションが生まれた時、鈍った感覚器ではそれを身体的感覚としては認識できず、感情というものとして捉えられるのではないか、と思いました。実際、ヴィパッサナをやっている間、獏とした捉えどころのない胸の周りの落ち着きのない焦燥感を突き詰めて観察して奥へ奥へと貫通していったら、ハートチャクラの抉られるような煮えたぎる痛みに辿り着いたのです。

以前、瞑想中に、頭皮から頭蓋骨へとセンセーションを追っていたらフッと無感覚状態に入って「ここが脳みそか!」と気づくという体験がありました。でも、脳みそには到達したけれど、感覚が十分に研ぎすまされていなかったから脳みそに生じるセンセーションは感知できなかった。完全なる無感覚。今回は、ついに脳を物体として感じられました。

脳みそのセンセーションは至極繊細。筋骨の部分は固い分、ブルブル震動してるし圧力や温度の上下をよく感じられるんだけど、脳みそって柔らかいせいか、なんとも掴みどころがありません。特徴的だったのは、脳みそを感じてる時は、体が自然に八の字を描くようにゆらゆらと揺れ始める。無重力状態みたい。

地球交響曲の龍村仁さんのインタビューで、宇宙飛行士は無重力状態の中で、地球上とは違った脳の動きをするようになるから、宇宙飛行士同士ではテレパシーができるらしいという話が出ていました。私もヴィパサナを始めてから、予知的能力が強まった気がします。恐らく魔法でもなんでもなくて、より多くの感覚器が活性化して、今までは拾えていなかった情報を読み解き、処理しているからわかるようになっているのかも。

311 and me

On March 11th,  I was in the foot of Himalayan mountains in Dehradun, India.

How come? I was undertaking a 10 day course of Vipassana Meditation from March 1st. Vipassana is the way of meditation that Buddha applied in his entering into Enlightenment. Meditators of the course live in a Vipassana meditation center for 12 days and simply sit for 10 days. They are not allowed to carry out any type of communication (verbal, non-verbal, even making a sound). They are prohibited to write, draw, read, run, exercise, practice other meditation techniques, and conduct religious or spiritual rituals. Noble silence must be kept. They share a room with another participant, but they may not communicate with each other at any level. Everyday, we looked down on the floor and soil or looked up to the ceiling or sky to avoid eye contact. In the dining room, nothing but little cracking sounds of cutlery and dishes resonated.

I got the tragic news of my country on the final day of the Vipassana. On Day 10, in order for meditators to gradually go back to normal society, the noble silence ends and they are allowed to look into the others’ eyes and talk in limited areas. During a lunch break, I retrieved my valuables from the reception and turned on my mobile just because I wanted to make sure that “nothing had happened to my family” for the 10 days. As soon as the mobile was on, one text message was delivered from an Indian friend of mine who used to live in Tokyo.

“M9.0 earthquake hit Yokohama.”

The very first information from the world after such intense 10 days of inner exploration was this.

What the fxxk.

Shit.

Really?

OH SHIT.

Looking back, I probably learned about the crisis right after it had actually occurred. Time difference between Japan and India is 3.5 hours. The morning meditation session finished at 11am and the lunch break lasted until 1pm.

The shock I got was incredibly amplified due to the Vipassana effect. I was terrified by the fact that my intuition of “emergency” was right. While shaking, I barely managed to make a phone call to my mom and assured her and my bro’s safety. I was almost resolved to fly back to Japan immediately as thinking of the worst case scenario for my family (luckily that wasn’t the case). When merciless incidents occur in my life, I’m always abroad. I’m used to jumping in an airplane and rushing to my family. Good lord.

On the very last day of the course, this tragedy happened to my beautiful country. This coincidence makes me ponder, what role is given to me?

Threads of life were intertwined and woven strikingly. At the end, my life took me to Dharamsala, the sacred village for both Indian and Tibetan. I led a everyday life there for three weeks. Then I flew back to Tokyo on April 12th.

Despite people’s curiosity of how I coped with being back in Tokyo that drastically changed, I should say that nothing affected me. Regardless of 311, I had been going through transformation during the journey in India (to be precise, it had set about since 2010). I was fully transformed and arrived at Narita with the new senses. Therefore, I could naturally accept the world of Japan as it was.

It’s been almost two months since my return. Japan, especially the northern part of Tokyo and Kanagawa (my city) upward, is facing tremendous danger. The disaster areas are beyond description. Moreover, the nuc plants are miserably severely damaged. Now, three of Fukushima plants are in complete meltdown. (not merely Daiichi). Our gov. is so fxxked up that no information and data is reliably released.

I admit my responsibility that I have been dependent on the Japanese energy system and economic/political policy as a national, and a risk of potential life hazard such as cancer at early age or impairment of pregnancy. Needless to say, I try my best and hardest to protect my healthy body as well as family, friends and people. Nonetheless, in reality, we don’t have the right solution to escape from invisible radiation. We are and will be exposed to it to some degree anyway. I’m scared.

But, I’m a part of it.

Going back to my question that arose on the 10th day of vipassana. What is my role here?

I came to a conclusion towards the end of my trip in India: I’m meant to be there for those who are in need to let their emotions and feelings out as well as support them in thinking through what their life really is. I would come and listen to them only when they ask me so. This year, my focal point is to be shifted to the more individual level.

A few of my friends share with me an intriguing aspect: People residing in the Tokyo Metropolitan area are reluctant to acknowledge that they are also victims of the 311 disaster because “real” victims up in north suffer so devastatingly that Tokyo people feel guilty to consider themselves as victims. Relativism of misfortune. But, we know that we can’t compare the quality of happiness and misfortune with those of others. We individuals are only able to experience what each of us experiences.

And my friends continue like this: Naho is not a victim since she was in India. Having this different angle of looking at Japan as a non-victim Japanese is beneficial. For, thoughts and actions of Tokyo people who went through the 311 are confined, which hinders them from seeing things from a wider perspective. Besides, I could be of help to release their hidden tension and anxiety that they are unwilling to express because of a sense of guilt.

It appears to me that my awareness and my friends’ awareness of my role are in synch.

What makes life fascinating is that inquiries started to come to me soon after I was settled back in Tokyo. It flows naturally.

道理で山奥に籠るわけだ

インドから帰ってきて1ヶ月半。ブログのネタは山ほどあれど、整理しながら文字化するまでには至らず。それができるようになるまでは、ストーリーテリングすることにします。声に出して語り聞かせることの力。文章化する力に弾みをつけてくれる。

今日はヴィパッサナ瞑想についての気付きメモ。

3月2日より10日間、ヒマラヤの麓で行なったヴィパッサナ瞑想が私に与えた影響は眼を見張るものがある。静和尚と一緒に毎月3時間ヴィパッサナをしていたリードタイムが土台となっていることは言うまでもない。あの2年間があればこそ、最初の10日間でこれだけのインパクトがあったのだと思う。センターを出てからも、ほぼ毎日続けている。

身体の一瞬一瞬の状態、諸行無常を物理的に観察する修練をするのがヴィパッサナ。これまで何年も体の奥で眠っていて無感覚になっていたものものが見事に顕在化し、単なる疲労感、倦怠感、凝り、原因不明の体調不良として知覚するのではなく、明確な痛みとして表れてくる。

とにかく痛い。激しく痛い。

インドでは、生まれつき悪かった股関節とそれに付随して負荷がかかっている骨盤、腰、さらにそれらの近くにある腸や子宮といった内蔵器官と向き合い、眼に見える肉体改造が起こった。(今でも続いている。)日本に帰国してからは、ここ5年ほど悩まされている左胸と左の肩甲骨周りの背中の凝り固まりに焦点が移っている。

一昨日から、いよいよ左胸、左背部の痛みが意識化に上がってきた。これだけ広範囲な鋭くじりじり刺すような痛みを、今まで単なる鈍い凝りとしか感じられなかったのが恐ろしくもある。体は毎日を乗り切るために耐性をつけ、異常な状態に慣れていくのだ。

しかし、ヴィパッサナ瞑想は身体/精神にメスを入れる「手術」とも比喩されるように、自己を物理的にも心理的にもブッタ切っていくプロセス。だから、東京のようなタフな日常生活の中で、それをやり続けるリスクも感じている。ヴィパッサナによってあぶり出された痛みをじっくりと受け止めたり、体を休める暇を与えてもらえない。いちよう、マネージできる自負はあるものの、身体の変革の際には体調不良が起こるから、それをこのハードワークをこなしながら受け止めていくのは大変。人は多いしノイズは多いし、満員電車みたいな異常空間に押し込められたりするし、まあなんというアドベンチャー。

10日間、完全に隔離された安全で静寂な場所で行なう意味を改めて感じている。ただ、さればこそ、日々のヴィパッサナをやり続けることで得られる強靭さは、尋常ではないのだということも学び始めている。

というわけで、最近たまに私が体調不良に陥っているのはそういう理由です。激しくテコ入れしてるから当然の身体の反応。心配をかけている人はごめんなさい。でも、この時期を乗り切れば(今年1年はかかるかもだけど)抜け切ると予想しています。激務の後の夜の激込み列車とか、脂っこ過ぎる食事とか、たまにどうしてもかわせないものがあると体にきてしまうけれど、それ以外は、食欲旺盛、からだ開いてきて気持ちいいし、仕事はどんどんますますおもろくなってきているし、何より魂が常にコネクトしているから、かなり幸せ。

みなさまどうもありがとう。これからも愛のエコロジーで循環させていきまっす。

繋がる官能

去年の6月に日本を出てからずっと中南米を旅しているソウルメイトに、

「なんか、不思議だけど全てが繋がっている(奇跡と軌跡)空間にいるね。
なほはこの空間に入ることが多いね(笑)
多分、その星の子なんだね。
星の名前が今はわからないけどね。」

と言われた。

最初は私もその名がわからなかったけれど、ふと閃いたのは、 “Sensuality of Connectivity” というフレーズ。「繋がっているということの官能・魅惑」といったところだろうか。

夕べ、インド出発前は最後となるvipassana瞑想に行ってきた。そこで実に不思議で、かつ自然な小さな奇跡が起きた。

瞑想の始まりと終りに、僧侶が唱える感謝の歌。2座目の終りに僧侶が歌い始めると、部屋の右奥の方に、ふわっと何かの気配を感じ、それから女性が囁く声が聞こえてきた。瞑想中は言うまでもないことだが、vipasannaでは休憩中の私語、目配せ、ボディランゲージもすべて御法度。私は、参加者の1人が呟いたのかと思い、「どうしてもう終るのに話し出すんだろう。瞑想状態が深くなり過ぎて、精神的に不安定な場所に行ってしまったのだろうか?」などと考えながら、僧侶の声と女性の声が耳の奥を流れるに任せていた。僧侶の祈りが終り、2座目が終了。その後、3座目も滞り無く終った。

僧侶は、5年ほど前にアメリカの砂漠で出会った日本人の静和尚。真言密教の出だ。彼が2年前から始めたのが東京vipassana道場。参加者全員で部屋を片づけていると、静和尚が私に「誰か歌っとったな。」と話しかけてきた。瞑想会は区民会館を借りているので隣の部屋では婦人会やら老人会の催し物をやっていた。近くの部屋でカラオケを元気に熱唱するおば樣方がいらっしゃったのでそのことかと思い、「あー。あっちの部屋の?」と返すと、

「いやいや、そうじゃなくて。」

「この部屋で?」

「うん。」

と言われて、2座目の最後の出来事を思い出した。女性の声。

「俺がサン(感謝の歌)を歌ってる時に、一緒に歌い出したやろ。」

「ああ、そうだね。女の人が一緒に囁いてたね。」

私たちの会話を聞きつけた他の参加者たちも加わってきた。

「誰か歌ってた??」

「隣の部屋のおばちゃんたちのカラオケでしょ?」

話を進めていくと、部屋の中にいた6名のうち、静和尚、私の友達、私の3人は女性の歌声を聞き、他の3人は聞いていないことがわかった。

そして静和尚が

「あれは神さまやん。」

と言った。

静和尚は過去にも何度か同じ体験をしていると言う。修行中、何十人もの僧侶とお経を唱えていると、ごくたまに神様が遊びに来て挨拶したり、一緒に歌い出したりすることがあるそうだ。さらに、彼が2年前にインドへ旅したのは、静和尚企画の音楽祭の最中に(彼はロック坊主でもある。)ヴィシュヌが降りてきて大音量で歌う声を耳にして、「インドに行かな!」と直観で思い立ったからだそう。彼曰く、「呼ばれたんやな。」

「ナホがインドに行くから祝福しに来たんやろ。歌ってたからサラスヴァティ(技芸の女神。日本では弁財天)かもな。」

さらりと言われた。

サラスヴァティは以前、アートフェスティバルでモチーフにしたことがあったので馴染み深い。サラスヴァティを表す梵字を左腕に描き込み、舞を踊った。それに、地元の鎌倉や江ノ島には弁財天の社が多く、小さい頃から身近な神さまだ。

私には霊感はまったくない。超常現象には疎いし、「見える」という類いの人にもいたって辛辣(個人的に信頼を寄せている例外は3名いる)。心理学(トランスパーソナル、催眠療法etc.)や東洋哲学をアカデミックに研究してきたバックグラウンドが、逆にニューエイジ系の物事を批判的かつ冷静にジャッジさせる。

しかし、あれは肉声だった。現実に、確実に、声が響いていた。幻聴でも夢うつつでもない。だから参加者の誰かだと当たり前のように思ってすぐに忘れたのだ。

あの「ふわり」という人の気配。そして囁くような女性の歌声。恐怖や不気味さは微塵も感じさせなかった。時間が経つごとに、興奮と畏怖がふつふつと沸いてきた。

「ナホもインドに呼ばれてるんやな。いい旅になるで。」

という静和尚のあっけらかんとした表情が、あれは現実だったことを裏付けていた。

今回のインドの旅の目的の1つは10日間のvipassanaを受けること。

2005年頃からカリフォルニアで徐々に認知度を広めていたvipassanaの存在はずっと知っていた。ただ当時は、曹洞禅に集中していたのと、10日間隔離された特別な場所で瞑想をして神秘体験をしたと錯覚し、その後日常に帰ってから瞑想を続けるでもなく耽溺した生活に戻る人びとをたくさん見てきていたので、私はまったく関心を示さなかった。10日間みっちりより、着実に日々の生活に織り込んでいくことが重要だと感じていた。

静和尚はインドに「呼ばれて」旅をしている最中にvipassanaに出会い、その衝撃から修行を続けていくことを決意。日本に帰国して東京vipassana道場を主催することとなった。彼の思いは私と似ていた。10日間休暇をとって山奥に籠ることのできる現代人は、特に日本では非常に少ない。だから、平日の夜に3時間vipassana瞑想をする場を提供することにより、日常において修練することができる。

真言密教の僧侶であるにもかかわらず、宗派も国境も越えて修行に専心する(カリフォルニアで私に禅を教えてくれたソウルマザーとその旦那様・秋葉老師は、偶然にも静和尚の禅の師匠でもある)、信頼する彼が開く場であることと、新宿で平日夜に開催する裏にある彼の心情に共感。2年前、サンフランシスコから帰国して間もなかった私は、どうにか日本に拠り所を見つけるべく葛藤しており、迷わず参加し始めた。

そんな東京vipassana道場での夕べの出来事。静和尚との縁。弁財天との縁。vipassanaとの縁。インドとの縁。

縁起が絡まり合い、表しようのない魅惑的な音色を奏でる。

サラスヴァティの歌声のように。

複数の真実

父が亡くなってから2年半。
彼の死因にこだわっていた。

父の死に様を見て、「彼はこうこうこうだったから」「きっとこれがよかったのよ」と、
そこに何彼と意味を付与しようとする人びとに対して激しい憤りと嘔吐感を抱いた。

「あの人の死に方はあの人らしく立派だった。」

「あの子がどうしてあんな死に方をしたのかしら。」

「あんな死に方をするのも当然だ。」

人は他者の終焉によって、その人生をジャッジする。

「お父さんが今亡くなったことは、あなたにとって何かしら意味があるんだよ。」
と慰めてくれる人たちの気持ちに深い感謝はしたけれど、
まったくもって私はそうは信じていなかった。

そんな意味はクソ食らえ!なのである。
父が死ななければ見出せない使命や意図が私の人生にあったとしたら
そんなものはいらないし、自力で手に入れるから父を死なせるな。

そう思っていた。
これは現在でも変わらない。

父の急逝を機にこう考えるようになった。

人間の生命において、私たちは自律を持って人生を過ごしていくことができるし、
無数の意味あることと、意味のないことが、絡まって進んでいく。
しかし、生まれる瞬間と死ぬ瞬間だけはどうやってもコントロールできない。
死という現象に関してはとりたてて意味はない、と。

「死」、否、「死にゆき方」に意味を見出すのは、地球上の生命で人間だけだ。
それは言語と理性を極度に発達させた異例の動物だからかもしれない。

でも私は思っていた。
道ばたに転がっている雀の屍と、棺に入った父の遺体の一体何が違うのかと。
山の中で倒れている巨木と、人間の死体。一体何が違うのか。
土や海に還るだけなのに。

死を特別視し過ぎだ。

生まれ方はそこまで取り沙汰されないのに。
未熟児や帝王切開で生まれたことで、人格をジャッジすることはない。

意味というものを何にでも与えようとし過ぎだ。

意味をなしえないものもある。

人との出会いには意味がある、すべては繋がっている
という信念を持っていた私にとって根本を覆された。
28年間構築した世界観が木っ端みじんに崩壊し、
条理と不条理の狭間で血の滲むような葛藤を経験した。

最初は瓦礫の上で途方に暮れ、
それから何ものにも向けられない怒りと哀しみに翻弄され、
粉々の瓦礫を修復しようとして絶望し、
新しい材料を集めて1つ1つ積み上げていくほかないと思い知らされた。

1年、2年と時間が経過するうちに、
相反する2つの大きな世界観はいつしか共生するようになっていった。
矛盾が矛盾でなくなった。

一方で、人間の死に様に意味はないという自分の主張と裏腹に、
父の死因にずっとひっかかったままだった。

「なぜあんな風に死んだのか?」

自分が「そうである」と信じていて、他人に伝える考え方(espoused theory)と、
実際に具体的な言動や感情に表出され、espoused theoryとは一致しない
素の自分(theory-in-action)の間に、ギャップがあるのが人間の常だ。
このギャップは他人には割と容易に感知さ れるのだが、
当の本人は無意識で、自分は理想的なespoused theoryを
実践していると錯覚していることが多々ある。

あるいは、ギャップに気づいていてもどうすることもできないのだ。

私は後者だった。ギャップに気づいてたが、埋める術を知らなかった。
ただ、その溝の狭間で痛みを伴う違和感を感じていた。

そして今日。
遺影を見つめていたら、
「どっちでもいいや」
とぽつりと思った。

どう死んだか、何が原因で死んだかは、見る角度によって、感じ方によって変わる。

やっと、自らの主張する世界観を歩き始めた瞬間だった。

A blog post while on the air!

What I miss about America:

I miss raw broccoli, pretzel, beets, artichoke, eggs Benedict, eggnog latte, hot apple cider.

I miss toughness of Chinese American,
liveliness of Mexican immigrants,
humor of African American,
gentleness of Thai,
queerness and particularity of gay people,
craziness of Russian Jews,
assertiveness of Indian,
joyfulness of hippies,
rhythm of Brazillian.

I miss this diversity. Amazingly different lives and values exist out there.

I’m comfortable with being a stranger. I love it.  

30歳最後の数日と31年目最初の1週間

30歳から31歳の変わり目は、19歳から20歳より、29歳から30歳より濃厚だったと思う。新しい仕事に挑戦する緊張、同志を得た時の歓喜、誰かに惹かれる高揚、家族の未知の領域に足を踏み入れる不安と抵抗、聴いているだけで笑顔になってしまう音楽の恍惚、仲間に囲まれる安心感、死と対峙する痛みと哀しみ。そんな色とりどりの感情が大潮のようにやってきた。

11月28日。友人がオーガナイズした温泉でチルアウトミュージックを愉しむという大人な日曜の午後イベントに行く。そこでトリを務めたミュージシャン。私は遠くに座っていたにもかかわらず、部屋に入って来た彼に気付き、何故かはさっぱりわからないが、しばらく凝視した。そしてデジャヴを覚える。演奏が始まった。観客と彼とで最初のチューニングが始まる。

どんなお客さんだろう?
ノリはいいのかな?

この人のギターはどうだろう。
歌声は?

彼のリズム感とアレンジ力は秀逸だった。でもそれよりも、気になっていたのはこの妙な感覚。パフォーマンスの合間合間に入るMCを聞いていてデジャヴのわけがわかった。この人、もしもう1人自分がいて、今と違った人生を歩んでいたらこんな感じだろう、というような人物像にそっくり。物理的にもう1人いたら、という話もそうだけど、今すでに自分の中にいる何人かの自分のうちの1人みたい。「僕の音楽にメッセージなんてない。ただ気持ちいいからする」と屈託のない笑顔で言い切った彼。「ああ、そうそうそれそれ!」と私は心が温かくなった。

11月29日。30歳最後の日。2ヶ月振りの2連休。アメリカから来た友達と遊び、夜は仲間とミーティングと称した前夜祭。

11月30日。お誕生日ファンドレイザーというお調子企画を実施。非常にゆるーーーい企画だったので一体誰がいつ来るのか、何人現れるのかよくわからなかったから内心ドキドキものだった。仕事先のオフィスをお借りしてポトラックパーティー。総勢20名近くの友人がお祝いをしてくれた。空き箱を使って即席募金箱を作成。グラスルーツ感満載。来れないからと国内外から振込んでくれた友達もいて。嬉しいとありがとう以外言葉がない。

12月1日。先月始めた新規プロジェクトのシリーズ第1回が無事終了。アメリカ帰国後からの2ヶ月間続いた大きな山を登り終えた充足感と安堵でこと切れる。

12月2日。MIT教授のオンラインコースの課題に取り組む。personal change project とorganizational (not necessarily professional) change projectを実際に起こしていくというもの。組織文化についての理論と分析法を学ぶ。とてもいい復習。夜はお世話になっている方のイベントに行き、色んな人から話が聞きたいと声をかけていただき名刺を頂戴する。改めて、自分が関わっているものの影響力を実感。イベントもテーマが組織文化で驚く。

12月3日。アポイントメント4件をこなす。夜は仲間と薬膳鍋に舌鼓を打ちつついくつかのプロジェクトの振り返り。なんのためにこんな活動をしているのか?それはビジョンや目的といった達成すべき対象のためじゃなく、 「ただ好きだから。惹かれたから」でもいいのだということ。そして、家族の死と、それに向き合うことに話は及んだ。父が急逝してすぐに近所の道端で見た雀の死骸を思い出す。父の死体と雀の死骸に、違いはなかった。同じ屍。

12月4日。予てより計画していたorganizational change projectに具体的に着手する。大きな大きな一歩を踏み出した。緊張と不安は大きかったが、やってみると普通に時間は過ぎた。問題は、これから続けていくということ。その過程での不確定要素に寛容であること。夜は先週出会ったミュージシャンが地元にライブに来るという偶然を満喫。やっぱり似てる。

12月5日。10年来の音楽踊り仲間たちと集まり、友人の3周忌を祝った。懐かしい映像、音、エピソード。動く彼を、みんな久しぶりに見た。ご両親もいらっしゃっていた。そして、彼と共に音楽を創り続けてきた私の兄のような人と、音と共にしか在れない彼らを支え続けた私の姉のような人。この大事な人たちにとって大事な人は、私にとっても大事なのだと痛感。

曲が未完成のままこの世を去った友人。それをどんな思いで私の兄貴は完成させたのだろう。最後に遺作をライブでしてくれた。彼が遺した彼の分身を、ギターで、ハーモニカで演奏しながら、兄貴はどこに旅していたんだろう。父が遺した手記のことが頭に浮かんだ。半分以上読めていないままだ。来年の春にはこちらも3周忌。感情と記憶はごちゃまぜになり、涙をこらえきれなくなった。

帰り道、鉛のように足が重く、すぐ近くにある駅に辿り着くのにけっこうかかった。体を刺し貫く痛みを伴なった美しすぎるメロディーラインに震撼して、どこにも帰れなかった。そんな時、もう1人の自分かとデジャヴを覚えた彼の幸せそうな声を思い出した。「快楽のために音楽をやっているんだよ」

音楽と共にしか生きることを知らない人々。喜びと暖かさを運ぶ彼らの紡ぐ音色。でも、快楽にもなれば苦悩にもなる。生を愛しむのか、死に誘われるのか。

極上に美しいにもかかわらず、快楽とは程遠かった日曜の夜のライブ。先週の日曜の繊細で無防備で喜びに満ちた時間と、鮮明なコントラストを描いていて、私は体を貫く哀しみに溢れた音楽をどうすればいいかわからなかった。

だけど、同じなのかもしれない。
音はいのちなんだ。