30歳最後の数日と31年目最初の1週間

30歳から31歳の変わり目は、19歳から20歳より、29歳から30歳より濃厚だったと思う。新しい仕事に挑戦する緊張、同志を得た時の歓喜、誰かに惹かれる高揚、家族の未知の領域に足を踏み入れる不安と抵抗、聴いているだけで笑顔になってしまう音楽の恍惚、仲間に囲まれる安心感、死と対峙する痛みと哀しみ。そんな色とりどりの感情が大潮のようにやってきた。

11月28日。友人がオーガナイズした温泉でチルアウトミュージックを愉しむという大人な日曜の午後イベントに行く。そこでトリを務めたミュージシャン。私は遠くに座っていたにもかかわらず、部屋に入って来た彼に気付き、何故かはさっぱりわからないが、しばらく凝視した。そしてデジャヴを覚える。演奏が始まった。観客と彼とで最初のチューニングが始まる。

どんなお客さんだろう?
ノリはいいのかな?

この人のギターはどうだろう。
歌声は?

彼のリズム感とアレンジ力は秀逸だった。でもそれよりも、気になっていたのはこの妙な感覚。パフォーマンスの合間合間に入るMCを聞いていてデジャヴのわけがわかった。この人、もしもう1人自分がいて、今と違った人生を歩んでいたらこんな感じだろう、というような人物像にそっくり。物理的にもう1人いたら、という話もそうだけど、今すでに自分の中にいる何人かの自分のうちの1人みたい。「僕の音楽にメッセージなんてない。ただ気持ちいいからする」と屈託のない笑顔で言い切った彼。「ああ、そうそうそれそれ!」と私は心が温かくなった。

11月29日。30歳最後の日。2ヶ月振りの2連休。アメリカから来た友達と遊び、夜は仲間とミーティングと称した前夜祭。

11月30日。お誕生日ファンドレイザーというお調子企画を実施。非常にゆるーーーい企画だったので一体誰がいつ来るのか、何人現れるのかよくわからなかったから内心ドキドキものだった。仕事先のオフィスをお借りしてポトラックパーティー。総勢20名近くの友人がお祝いをしてくれた。空き箱を使って即席募金箱を作成。グラスルーツ感満載。来れないからと国内外から振込んでくれた友達もいて。嬉しいとありがとう以外言葉がない。

12月1日。先月始めた新規プロジェクトのシリーズ第1回が無事終了。アメリカ帰国後からの2ヶ月間続いた大きな山を登り終えた充足感と安堵でこと切れる。

12月2日。MIT教授のオンラインコースの課題に取り組む。personal change project とorganizational (not necessarily professional) change projectを実際に起こしていくというもの。組織文化についての理論と分析法を学ぶ。とてもいい復習。夜はお世話になっている方のイベントに行き、色んな人から話が聞きたいと声をかけていただき名刺を頂戴する。改めて、自分が関わっているものの影響力を実感。イベントもテーマが組織文化で驚く。

12月3日。アポイントメント4件をこなす。夜は仲間と薬膳鍋に舌鼓を打ちつついくつかのプロジェクトの振り返り。なんのためにこんな活動をしているのか?それはビジョンや目的といった達成すべき対象のためじゃなく、 「ただ好きだから。惹かれたから」でもいいのだということ。そして、家族の死と、それに向き合うことに話は及んだ。父が急逝してすぐに近所の道端で見た雀の死骸を思い出す。父の死体と雀の死骸に、違いはなかった。同じ屍。

12月4日。予てより計画していたorganizational change projectに具体的に着手する。大きな大きな一歩を踏み出した。緊張と不安は大きかったが、やってみると普通に時間は過ぎた。問題は、これから続けていくということ。その過程での不確定要素に寛容であること。夜は先週出会ったミュージシャンが地元にライブに来るという偶然を満喫。やっぱり似てる。

12月5日。10年来の音楽踊り仲間たちと集まり、友人の3周忌を祝った。懐かしい映像、音、エピソード。動く彼を、みんな久しぶりに見た。ご両親もいらっしゃっていた。そして、彼と共に音楽を創り続けてきた私の兄のような人と、音と共にしか在れない彼らを支え続けた私の姉のような人。この大事な人たちにとって大事な人は、私にとっても大事なのだと痛感。

曲が未完成のままこの世を去った友人。それをどんな思いで私の兄貴は完成させたのだろう。最後に遺作をライブでしてくれた。彼が遺した彼の分身を、ギターで、ハーモニカで演奏しながら、兄貴はどこに旅していたんだろう。父が遺した手記のことが頭に浮かんだ。半分以上読めていないままだ。来年の春にはこちらも3周忌。感情と記憶はごちゃまぜになり、涙をこらえきれなくなった。

帰り道、鉛のように足が重く、すぐ近くにある駅に辿り着くのにけっこうかかった。体を刺し貫く痛みを伴なった美しすぎるメロディーラインに震撼して、どこにも帰れなかった。そんな時、もう1人の自分かとデジャヴを覚えた彼の幸せそうな声を思い出した。「快楽のために音楽をやっているんだよ」

音楽と共にしか生きることを知らない人々。喜びと暖かさを運ぶ彼らの紡ぐ音色。でも、快楽にもなれば苦悩にもなる。生を愛しむのか、死に誘われるのか。

極上に美しいにもかかわらず、快楽とは程遠かった日曜の夜のライブ。先週の日曜の繊細で無防備で喜びに満ちた時間と、鮮明なコントラストを描いていて、私は体を貫く哀しみに溢れた音楽をどうすればいいかわからなかった。

だけど、同じなのかもしれない。
音はいのちなんだ。

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