文化の変容は社会システム変革の後に起こるのかも

今年はヨーロッパに渡ろうと思ってます。

大学3年の就活前に、組織心理学が自分の礎となる学問だと感じたのと、10~15年後には日本にもマーケットが開き始めるはずという勘があったから、就活をせずに好きなことして暮らし、卒業後アメリカに渡って勉強をした。

その直観は幸運なことに敵中していて、特に去年から今年にかけて、自分が勝手につくり出した職業「コミュニケーション・プロセス・デザイナー」や、その方法論の1つとして使っている組織心理学の視点は、日に日にニーズを増している感覚がある。既存のシステム内で新しいものを作ればよかった時代は終わり、システム自体を作り変えないとならない時代に入ったわたしたち。組織心理学は、社会システム構築のための建築学みたいな役割なので、急ピッチで注目が上がってきているのかなと思う。

ヨーロッパに行くのは、あの頃と似たような妙な勘が働いているから。

今の日本では、自分の体のリズムや信念に合うライフスタイルを送るためにはけっこうな努力が要る。他者との関係を疎かにしてしまう羽目になりそうだし、自分の機会損失、あるいは信頼損失にも繋がりかねなかったりして(24時前に寝るには21時には都内を出ないといけないとなると、仕事やそれに関する活動の時間が狭まったりだとか。満員電車はどうしても理解できないし、気分が悪くなっちゃうから避けてスケジュールを組むとか。)自分の送りたい生活が「よいね。っていうか当たり前でしょ。」と習慣化されてる社会/文化にいないと、無駄なエネルギーを払って必死に獲得するものになっちゃう。

じゃあ、それが当たり前の場所に行けば楽チンじゃない!確かに、そこで待っている根本的なカルチャーショックと向き合うのは生半可なことではないけど。

ヨーロッパの中でも、特にラテンカルチャーがなんだかひっかかる。あの人たちは、日本人からすっぽり抜け落ちちゃってる人間的なものを大事にしてるとこがあるんだよね。時間の価値観とか、愛情関係の価値観とか、表現への貪欲さとか。これから10年くらい経ったら、日本でも「そーゆー考えがいいかも!」って、今のソーシャルイノベーションのムーブメントみたいになってる気がするんだよねー。

国や民族単位でパラダイムシフトが起こる時、まず最初に社会システムの抜本改革が興り、続いてそのシステムから醸成されて生まれる文化の変革になるのだろうなーと思った。今、私たちは社会システムの転換期にあるから、次の10~15年で社会システムだけでなく、文化の変革に至るんじゃないかと。

なので、ラテン文化をわたしが芯まで吸収して日本に戻ってくることは、のちのち日本で何かしらベネフィットになるんじゃないかなぁと思う。

緩い。。。
アメリカ西海岸ベイエリア文化も、日本の文化/社会的枠組みの影響で日の目を見てなかった私のエッセンスにピッタリだったからズコーーーンとそこを開発できて、今それが日本に帰ってきて役に立ちまくってるし。

まずは行ってみよーと思うのです。(それについてのプロジェクトも立ち上げた!)

メッタの瞑想

大きな病にかかっている人、貧困にあえぐ人、自分より明らかに苦境に立たされ、しかも生命の危機に晒されていような人たちに慈愛と哀れみ与えるのは、実はそんなに難しいことではない。人は、そういう風にできているから。それよりも本当に難しいのは、身近な人間関係の中で、自分の体や精神や心の領域を、自分にとって好ましくない、望ましくない方法で脅かす人に対して、怒りや牙を剥けず、罵らず、蔑まず、それでも愛情を「示す」ことだ。愛情を持っていても、恐れから示さないことが私たちはよくある。それは怒りや憎しみ、諦めや自己否定に変化する。

だから、愛情をかけている人と、自分の身を守ることが先決であると感じるようなギリギリの辛い状況に陥った時に、それでも愛情を示すことが大事だ。私はそうする。

ヴィパサナ瞑想では10日目に「メッタの瞑想」を習う。自己の身体を通して時々刻々と移り変わるありのままを観るヴィパサナに対し、メッタは、ただ純粋に内から湧き出る愛を周りに広めていく瞑想だ。内なるエネルギーを周りに共有するものなので、自分の中で違和感がある時はやらないようにと教えられる。自ずとメッタを捧げたいと感じた時にだけやるべき瞑想だ。

ヴィパサナを毎日やってきたこの10ヶ月の間、一度もメッタの瞑想をしようと感じたことはなかった。でも今朝は、自然とそうなっていた。祈るように、メッタの瞑想をした。

心の平安というものが何か、初めて体で少し感じ取れたんだと思う。

 

posted on FB on January 13th, 2012

意識のスペクトラム

という言葉はずいぶん昔にケン・ウィルバーの本で初めて知った。瞑想中に何が起こっているかというと、この意識のスペクトラムを行ったり来たりしているのだと思う。

これまで生きてきた過程で経験したこと、その時に沸き上がってきた感情の数々。記憶は脳に刻まれるように体にも刻まれる。通常は脳から指令がいって体が動くのだが、瞑想中は、身体から脳をアクティベートしているよう。脳と体のインタラクションが精緻になっていくにつれ、意識は明瞭ながらも揺らぎ、スペクトラムの深みへ深みへと降りていく。鮮明な視覚的聴覚的な記憶と共に、感情的なものや体の感覚が蘇ってくる。さながら退行催眠をしているように、唐突に無秩序に過去の記憶がフラッシュバックする。

そうしていると、「わたしの過去はこれこれこうだったから今こうなんだ」という精神分析学的な問題把握と解決が起きるし、「こういう状況に陥るとわたしはこれこれこう反応してしまうからああしよう」という認知行動学的な問題把握と解決も起きるし、「今のわたしはこう感じているのだからこうしてあげよう」というゲシュタルト療法的な問題把握と解決も起きる。多様な意識レベルを浮遊する。

しかし、最終的に行き着くところは、過去にフォーカスすることでも、原因(過去)と結果(未来)のメカニズムにフォーカスすることでも、今だけにフォーカスすることでもないのだ。

体の感覚を細部まで観察していると、最初は表面の皮膚しか知覚できないが、そのうち体内にある筋肉、骨、臓器、そして脳みそを知覚できるようになってくる。継続すると視点はさらにズームインされていき、血管内の血の巡りや、筋肉を組成する組織(tissues)にまで及び、細分化のプロセスは終りがない。不思議なのは、感覚がミクロになればなるほど体の各パーツに意識が向いてしまい断片的な現状把握になるかと思いきや、逆に身体全体が1つの何の隔たりもないものとして感じられるようになってくること。

金属板でも入ってるのかと思うように凝り固まってしまった体のさまざまな部位。それに対して凝った、痛いと反射的に反応してしまうと、それは岩のように厳然と立ちはだかる。しかし、どんなに堅くて微動だにしないものも、ミクロレベルでは躍動する粒子でできていのだということが感じられるようになってきた。動かぬものの内部には無数のダイナミズムが潜んでいる。そこを突く。そこに入っていく。そうすると、鉄板のようだった凝り固まりが、繻子のリボンのように解けていく。

大きな塊として知覚していたものが、じょじょに小さくなっていき、さらに細かくなり、ついには粒子の波のようになる。この身体レベルでの現実認知の変化は、上記の心理学的な現実認知と呼応していると思う。現在、未来、過去といった時間軸による経験と意識の蓄積が、じょじょに不可逆的な時間の理解を越え、過去、現在、未来といった隔たりはなくなり、ついには時間感覚は空間が混ざった波となる。

身体を流れるエネルギーは時間を超越しているのだ。

 

 

封印していた龍が蘇る

昨日は8年振りに救急車に乗った。人生で2回目か。全身から汗が滴り、激痛に身悶えしながら、冷静な声で助けを呼ぶ。う~ん、大人になったものだ。痛みへの対応は随分とうまくなった。

自分と向き合う、自分を受け入れることは大事だとよく言われる。私もそう思う。でも、これって単なる言葉のパフォーマンスになってる場合が往々にしてある。あるいは、理屈で理解してるだけ。「自己と対峙することは重要だ」なーんて。でも、これってそーんな甘っちょろいもんじゃない。単純にメンタルなものでもなければ、エモーショナルなものでもない。本当は、体の隅々まで意識を網の目に巡らせて、その有り様すべてを受け入れてくという、何っともタフな作業なんだと昨日、改めて思い知った。

半年間で2度の10日間ヴィパサナを行い、毎朝1時間座り続けている。これは、自分への慰めでも自己満足でも何でもない。確実に血となり肉となる実践だ。だからこそ、昨日の卒倒→点滴劇は、自分は生半可なことをやってるんじゃないんだって、改めて気を引き締めさせる出来事になった。

でもこれって、五体満足だからこんなスっとぼけたことが言えるのであって(気管支炎や諸々アレルギーや生まれつき足が悪いとかあるにしろ)、そうじゃなければ、物心ついた時から直面することなんだろうな。生まれ持った身体がもたらす全てのconsequencesを受け入れる。足がないとか、耳が聞こえないとか、顔が変形してるとか、心臓が悪いとか。

物理的に存在しているこの身体が生み出す現実。それを無感覚に、無意識に、直視せずに過ごせるってことは健康で安全な印。私の歪んだ骨は、99.9%は健康で何不自由ない私に、その事実を突きつけて来る。

生まれつきの骨格が生み出す、仕方のない痛みと不調。31年間(あるいは生まれる前の胎児の頃から)蓄積し続けたものものと、日々、真っ正面から向き合っている。とにかく痛い。身がよじれるほどに痛いこともある。痛みとして格納され、無感覚になって、休​火山みたいに奥底に眠っているものをあぶり出している。だから、通常では鈍って認識できない強烈なセンセーションがでろでろと表面に出てきている。その浄化の過程で、封印していたとんでもない龍が蘇った、とでも言うような状況が昨日。

今なら乗りこなせそうな気がする。

でも、今年は毎月気をつけないとなー。

大事をとって休むことはしてかないと。

お坊さん友達が言うように、娑婆での修行がもっともキツい。

311 and me

On March 11th,  I was in the foot of Himalayan mountains in Dehradun, India.

How come? I was undertaking a 10 day course of Vipassana Meditation from March 1st. Vipassana is the way of meditation that Buddha applied in his entering into Enlightenment. Meditators of the course live in a Vipassana meditation center for 12 days and simply sit for 10 days. They are not allowed to carry out any type of communication (verbal, non-verbal, even making a sound). They are prohibited to write, draw, read, run, exercise, practice other meditation techniques, and conduct religious or spiritual rituals. Noble silence must be kept. They share a room with another participant, but they may not communicate with each other at any level. Everyday, we looked down on the floor and soil or looked up to the ceiling or sky to avoid eye contact. In the dining room, nothing but little cracking sounds of cutlery and dishes resonated.

I got the tragic news of my country on the final day of the Vipassana. On Day 10, in order for meditators to gradually go back to normal society, the noble silence ends and they are allowed to look into the others’ eyes and talk in limited areas. During a lunch break, I retrieved my valuables from the reception and turned on my mobile just because I wanted to make sure that “nothing had happened to my family” for the 10 days. As soon as the mobile was on, one text message was delivered from an Indian friend of mine who used to live in Tokyo.

“M9.0 earthquake hit Yokohama.”

The very first information from the world after such intense 10 days of inner exploration was this.

What the fxxk.

Shit.

Really?

OH SHIT.

Looking back, I probably learned about the crisis right after it had actually occurred. Time difference between Japan and India is 3.5 hours. The morning meditation session finished at 11am and the lunch break lasted until 1pm.

The shock I got was incredibly amplified due to the Vipassana effect. I was terrified by the fact that my intuition of “emergency” was right. While shaking, I barely managed to make a phone call to my mom and assured her and my bro’s safety. I was almost resolved to fly back to Japan immediately as thinking of the worst case scenario for my family (luckily that wasn’t the case). When merciless incidents occur in my life, I’m always abroad. I’m used to jumping in an airplane and rushing to my family. Good lord.

On the very last day of the course, this tragedy happened to my beautiful country. This coincidence makes me ponder, what role is given to me?

Threads of life were intertwined and woven strikingly. At the end, my life took me to Dharamsala, the sacred village for both Indian and Tibetan. I led a everyday life there for three weeks. Then I flew back to Tokyo on April 12th.

Despite people’s curiosity of how I coped with being back in Tokyo that drastically changed, I should say that nothing affected me. Regardless of 311, I had been going through transformation during the journey in India (to be precise, it had set about since 2010). I was fully transformed and arrived at Narita with the new senses. Therefore, I could naturally accept the world of Japan as it was.

It’s been almost two months since my return. Japan, especially the northern part of Tokyo and Kanagawa (my city) upward, is facing tremendous danger. The disaster areas are beyond description. Moreover, the nuc plants are miserably severely damaged. Now, three of Fukushima plants are in complete meltdown. (not merely Daiichi). Our gov. is so fxxked up that no information and data is reliably released.

I admit my responsibility that I have been dependent on the Japanese energy system and economic/political policy as a national, and a risk of potential life hazard such as cancer at early age or impairment of pregnancy. Needless to say, I try my best and hardest to protect my healthy body as well as family, friends and people. Nonetheless, in reality, we don’t have the right solution to escape from invisible radiation. We are and will be exposed to it to some degree anyway. I’m scared.

But, I’m a part of it.

Going back to my question that arose on the 10th day of vipassana. What is my role here?

I came to a conclusion towards the end of my trip in India: I’m meant to be there for those who are in need to let their emotions and feelings out as well as support them in thinking through what their life really is. I would come and listen to them only when they ask me so. This year, my focal point is to be shifted to the more individual level.

A few of my friends share with me an intriguing aspect: People residing in the Tokyo Metropolitan area are reluctant to acknowledge that they are also victims of the 311 disaster because “real” victims up in north suffer so devastatingly that Tokyo people feel guilty to consider themselves as victims. Relativism of misfortune. But, we know that we can’t compare the quality of happiness and misfortune with those of others. We individuals are only able to experience what each of us experiences.

And my friends continue like this: Naho is not a victim since she was in India. Having this different angle of looking at Japan as a non-victim Japanese is beneficial. For, thoughts and actions of Tokyo people who went through the 311 are confined, which hinders them from seeing things from a wider perspective. Besides, I could be of help to release their hidden tension and anxiety that they are unwilling to express because of a sense of guilt.

It appears to me that my awareness and my friends’ awareness of my role are in synch.

What makes life fascinating is that inquiries started to come to me soon after I was settled back in Tokyo. It flows naturally.

複数の真実

父が亡くなってから2年半。
彼の死因にこだわっていた。

父の死に様を見て、「彼はこうこうこうだったから」「きっとこれがよかったのよ」と、
そこに何彼と意味を付与しようとする人びとに対して激しい憤りと嘔吐感を抱いた。

「あの人の死に方はあの人らしく立派だった。」

「あの子がどうしてあんな死に方をしたのかしら。」

「あんな死に方をするのも当然だ。」

人は他者の終焉によって、その人生をジャッジする。

「お父さんが今亡くなったことは、あなたにとって何かしら意味があるんだよ。」
と慰めてくれる人たちの気持ちに深い感謝はしたけれど、
まったくもって私はそうは信じていなかった。

そんな意味はクソ食らえ!なのである。
父が死ななければ見出せない使命や意図が私の人生にあったとしたら
そんなものはいらないし、自力で手に入れるから父を死なせるな。

そう思っていた。
これは現在でも変わらない。

父の急逝を機にこう考えるようになった。

人間の生命において、私たちは自律を持って人生を過ごしていくことができるし、
無数の意味あることと、意味のないことが、絡まって進んでいく。
しかし、生まれる瞬間と死ぬ瞬間だけはどうやってもコントロールできない。
死という現象に関してはとりたてて意味はない、と。

「死」、否、「死にゆき方」に意味を見出すのは、地球上の生命で人間だけだ。
それは言語と理性を極度に発達させた異例の動物だからかもしれない。

でも私は思っていた。
道ばたに転がっている雀の屍と、棺に入った父の遺体の一体何が違うのかと。
山の中で倒れている巨木と、人間の死体。一体何が違うのか。
土や海に還るだけなのに。

死を特別視し過ぎだ。

生まれ方はそこまで取り沙汰されないのに。
未熟児や帝王切開で生まれたことで、人格をジャッジすることはない。

意味というものを何にでも与えようとし過ぎだ。

意味をなしえないものもある。

人との出会いには意味がある、すべては繋がっている
という信念を持っていた私にとって根本を覆された。
28年間構築した世界観が木っ端みじんに崩壊し、
条理と不条理の狭間で血の滲むような葛藤を経験した。

最初は瓦礫の上で途方に暮れ、
それから何ものにも向けられない怒りと哀しみに翻弄され、
粉々の瓦礫を修復しようとして絶望し、
新しい材料を集めて1つ1つ積み上げていくほかないと思い知らされた。

1年、2年と時間が経過するうちに、
相反する2つの大きな世界観はいつしか共生するようになっていった。
矛盾が矛盾でなくなった。

一方で、人間の死に様に意味はないという自分の主張と裏腹に、
父の死因にずっとひっかかったままだった。

「なぜあんな風に死んだのか?」

自分が「そうである」と信じていて、他人に伝える考え方(espoused theory)と、
実際に具体的な言動や感情に表出され、espoused theoryとは一致しない
素の自分(theory-in-action)の間に、ギャップがあるのが人間の常だ。
このギャップは他人には割と容易に感知さ れるのだが、
当の本人は無意識で、自分は理想的なespoused theoryを
実践していると錯覚していることが多々ある。

あるいは、ギャップに気づいていてもどうすることもできないのだ。

私は後者だった。ギャップに気づいてたが、埋める術を知らなかった。
ただ、その溝の狭間で痛みを伴う違和感を感じていた。

そして今日。
遺影を見つめていたら、
「どっちでもいいや」
とぽつりと思った。

どう死んだか、何が原因で死んだかは、見る角度によって、感じ方によって変わる。

やっと、自らの主張する世界観を歩き始めた瞬間だった。

佇まい

年越しは10年来の遊び仲間と長野県戸隠に行っていました。蕎麦で有名な戸隠の中でも人気のお蕎麦屋さんに並んで年越し蕎麦を堪能し、元旦は温泉で体を温めてから戸隠神社に初詣。

戸隠には思い出があります。ちょうど10年前の2001年、音楽、踊り、旅を通じて出会った仲間達と戸隠で平和のための祭を開催したんです。祭の一週間前にニューヨークの911があり、何の巡り合わせだろうと感じたものでした。

戸隠は一面深い雪景色。手に取ると優しい感触を残すふわふわの粉雪に家々が埋もれていました。宿からスキー場までは板を履いてそのまま滑って行き来できます。

久々に見る豪雪に感動して涙が出そうになりました。別に何ってわけじゃないんです。ただ雪景色を見ただけ。

自然の美しさはストーリーなどいらず、ダイレクトに琴線に触れます。私は昔から荒涼とした崖や岩肌、枯れ木を見てはあまりに綺麗で羨ましく思います。他の存在を必要とせず、ありのままで美しくあれる。自然の型どる曲線美は、生きる以外、何のためでもないのです。

人間だって自然の一部なのですから、ストーリーを語らずとも佇むだけで美を表せるはず。そんな女性になりたいなぁと思います。