Chicken Wing Waffle

What’s hot in Chicago nowadays?

It’s Chicken Wing Waffle!

You may wonder if you heard right or not. “Waffle is supposed to be sweet with whip cream and fruits. How can chicken wing play a role here???”

Well, you gotta be creative. Waffle can be savory at times, like crapes. Chicken Wing Waffle in question is literally a pile of chicken wings on top of waffles.

Here you go!

Blog entry from Chicago

It’s always exciting to land in the new place.

The first morning in Chicago welcomed me nicely. I woke up at 5ish am. The city was still dark.

I crash at my friend, Hiro‘s studio. It’s located in an industrial area, one of the old buildings renovated into a super nice apartment. SimpleScott used to live here, has just moved out, and Hiro took it over and shares with another crew from The Post Family.

Big rusty engine noises of trucks driving around in the hood in the early morning tell me that people are starting another day of life. Through the big window by the bed,  sky scraper of the chic town Chicago is silhouetted against the dawn. Smoky orange sky.

Chicago is a clean, neat, and lovely city. Flat land. Big, tall, square buildings. Wide roads. Quiet. Grounded.

Yesterday, as I was moving up from Chicago Midway Airport in SimpleScott’s car, I thought that this city seemed suitable for truly creative people, who can give a birth to the new from scratch.

Chicago isn’t filled with too much materialistic stimulus and amusement of external world, unlike Tokyo, but does have space and freedom. Definitely different flavor it has from San Francisco, New York, Paris, Barcelona, and London. Despite rather stoic atmosphere, designers and artists gather here. That makes me ponder, “how do they get inspiration and stay creative?”  My immediate answer is: creators living in Chicago need to generate stimulation and inspiration internally. They should be able to build up novel things without visually and auditory vivid, buzzy stuff. This is what I mean by “truly” creative.

Gigantic To-go Coffee Cup @ SimpleStudio

TEDxTokyo yzのブレストでグラフィック・ファシリテーション

先週の水曜日に三田にあるTokyo International School (TEDxTokyo 共同創始者パトリックが創った学校)のお部屋を借りて、TEDxTokyo yz のアクションミーティングをやりました。

photo by Charlie, VYP

photo by tuitui, TEDxTokyo yz

アクションミーティングでは、せっかく多忙なメンバーが予定を合わせて集まる貴重な数時間なので、チームの実務作業も一緒にやってしまいます。話し合いだけで終始してしまいがちなミーティングを、行動を主眼としたものにしているから「アクション」ミーティング。お家に帰れば家族のこと、TEDxTokyo yz以外の活動のことがあるし、昼間は本職で忙しい。そんな中でTEDxTokyo yzのために時間を充ててるのがミーティングなわけだから、その時にタスクをじゃんじゃんこなしてっちゃえばいい!という話です。仲間がいる方が質問できるし、つい先送りしてしまう作業にも身が入ります。だから、凝縮した話し合いベースのミーティングを1時間ほどやった後に、各チームに別れて活動するというスタイルを取っています。ウェブを更新したり、スポンサーに向けての書類を作成したり、イベントに向けて備品リストを作成したり。何時間もミーティングしている場合は買い出し隊だけショッピングに出て行って、また後でミーティング場所に戻って来たりしてます。

photos by tuitui, TEDxTokyo yz

このアクションミーティングのもう一つの特徴は、新規メンバー候補に対する説明会も兼ねている点です。単に「TEDxTokyo yzとはこんなんであんなんです。質問ありますか?はい、じゃ、ここにメールアドレスの記入をお願いいたします。」だけではつまらないですし、一方通行。

チームに入ろうかどうしようか迷ってる人にわかりやすい形がいい。だから、yzチームにはどんな人がいて、どんな役割や作業があって、実際どんな風に活動しているかの断片を体験できるよう、初めての人にもアクションミーティングの後半部に参加してもらっています。言ってみれば「チームメンバー体験」かな。

今回、さらにもう一つの要素を加えてみました。「公開グラフィック・ファシリテーション生現場」です。

私はコミュニケーション・プロセス・デザイナーとして、コミュニケーションを言語/論理だけに納めず、非言語部分を最大限活かし、人間のポテンシャルを自由に解放することを日々考えていて、そういった世界観のもとでお仕事したり遊んだりしています。グラフィック・ファシリテーション(GF)はその中の一つの顕われ。

GFを日本で始めて1年弱、少しずつ関心を集めてきていて、「GFって何なの?」「どうやってやるの?」「何に役立つの?」という風に聞かれることが多々あります。GFを行なう時はクライアントの現場に入っているので、知りたい、学びたい、自分の会社にも使ってみたいと興味を抱いて下さる方々に公開することは難しい。でも、GFは生で見て体験してみてこそ、利点や価値に納得がいきます。だから、GF現場を見てもらう機会を作っていかねば、と考えていたところでした。10月23日に GF+beyond を学ぶワークショップ “Visualize Your Process” を開催することもあり、「そうだ!TEDxTokyo yz のアクションミーティングでGF使って、公開しちゃおう!」と思いつきました。

思いついたら即実行。Visualize Your Processチームと、TEDxTokyo yzチーム双方に話し、2つのまったく違ったプロジェクト/グループだったものを少しずつ混ぜていきながら、先週の「TEDxTokyo yz アクション公開GFミーティング」になったわけです。

photos by Charlie, VYP

TEDxTokyo yz のことを知りたくて来た「ソーシャルイノベーション」「ベンチャー」「TED」「デザイン」「起業」「環境ビジネス」「テクノロジ—」などの分野にいる人たちと、GFを見てみたくて来た「コーチ」「ファシリテーション」「コンサルティング」といった分野にいる人たち。他の場所では交差することのなかった人種が同じ部屋に集まり、なんだかよくわからない新しいコンセプトである「TEDxTokyo yz」と「グラフィック・ファシリテーション」を目の前にしている様子は、仕掛人としてとにかくワクワクする、素晴らしい空間でした!このチャレンジをしてみて本当によかった。

photo by tuitui, TEDxTokyo yz

TEDなんてよくわからんしどーでもいい人と、TEDxTokyo yz ver.1.0に参加して刺激受けまくりだった人が、同じ輪の中で、第2回TEDxTokyo yz にはどんなテーマがいいかのアイディアを出し合うフィッシュボールをする。たまにミーティングの進め方という「プロセス」について意見をする人がいたり。入り乱れ無差別級。

そんな不安定で先の見えない坩堝に陥ってしまいそうな危機を回避し、場をきちんとホールドしてくれたのはグラフィックファシリテーションという、50余名のはじめましてな人たちの意識を集めておく先、可視化された自分たちのアイディアの集積と、その繋がりを示した白い大きな紙があったからだなぁと思いました。

GFってその場で、みんなで作っていく地図みたい。私は測量師+地図製作者かな。

ワークショップのデザイン

先週木曜日に行なわれた green drinks へゲストスピーカーの1人として呼んでいただきました。テーマはこのブログエントリーと同じ「ワークショップのデザイン」。「ワークショップ的なデザインの仕方でプロジェクトを回す例」としてTEDxTokyoTEDxTokyo yz の “how” の部分をかいつまんで話しました。

モデレーターのYoshから事前にもらっていた質問は3つ。それに対して3つのグラフィックを描きました。

(1)コミュニケーションプロセスデザインって何ですか?

コミュニケーション、プロセス、デザインとは、

「自分のやりたいことを3つのキーワードで表現したらどうなる?」

と問われたら答えとなるエッセンスです。それを繋げて自分の職業名にしただけ。こういう分野や職業がもともとあったわけではなく、ロールモデルがいるわけでもなく。想い描くままにアイディアを形にしている段階です。仕事を始めた頃は、経験も何もない自分が「コミュニケーションプロセスデザイナー」と名乗る自信がありませんでしたし、言ったところでわかってもらえないだろうなぁという不安もあった。だから、「組織開発系コンサルタントです」とか「戦略人材育成やっています」とか「異文化コミュニケーションのトレーニングします」とか「キャリアカウンセリングしてます」とか、聴き手がわかる既存の言葉をとっかえひっかえ使って説明していました。

でも、4ヶ月くらいが経った時に

「言っちゃったもん勝ちじゃない?」

とはたと気づき、コミュニケーションプロセスデザイナーと名乗り出すようになりました。こちらが言ってしまえば、人は私のことをそう認識し、その道のプロとして扱うようになります。周りからの認識や期待に応じ、自我はそれに合わせて行動しようとするので、言ってみれば、自分の夢を叶えるために社会心理学的な他己像とアイデンティティーの関係性を逆手に取った感じです。

コミュニケーションプロセスデザイナーの詳細については別のエントリーで。

次の質問。

(2)いい空気が流れるプロジェクトメンバーを見つける秘訣は?

私がディレクターを務める TEDxTokyo、そして代表をしている TEDxTokyo yz は、「TED」というグローバルムーブメントになっている明確なブランドがあります。TEDからライセンスを取得した独立任意団体が TEDxTokyo および TEDxTokyo yz です。だから、TEDのことを知っていたり、TEDx に関わってみたいと考えている人という時点でマッチングの可能性が高い。自分たちと仲間としてやっていける人かどうかを見極めるのに、自分の組織(会社でもチームでもグループでも)のコンセプトやブランディングを明確に打ち出すことは重要です。その土壌があってこそ、その他の仕組み作りがスムーズにいきます。戦略は大きく3つ。

  1. 人的リソースを最大限活かす(例:信頼している人に「これぞ!」という人を推薦してもらう)
  2. 組織デザイン(例:求める人材を獲得するための適切なアンケートの作成;目指すものと一致した組織風土を維持;組織風土に合った日々の活動プロセスや意思決定方法を選択;これを常に振り返り、改善/調整していく)
  3. コミュニケーション力(例:メールベースで信頼を構築するための文字対話のスキル)

これについても、別途さらに詳しく書こうと思ってます。

最後の質問です。

(3)多様なメンバーを同じ目的に向かって前に進めるにはどうしたらいい?

氷山のモデルを拝借してみました。人間が意識している部分は海面に出ている氷山の一角のようにほんの少しで、氷山のほとんどが海中に隠れているように、無意識と言われる茫洋たる領域があることを説明するモデルです。

これは組織デザインやワークショップデザインにも言えることだと思います。「私たちチームのビジョンはほにゃほにゃです」「今年のうちの会社の目標ははにゃはにゃです」と明文化されたものは意識の上にあるので氷山の見えてる部分。

次にそれらを達成するために起こしている実際のアクションがありますが、それは海面と海中両方にまたがります。つまり、意識できている部分もあるし、無意識になってしまっている行動もたくさんある。

そして、組織に所属するメンバー1人1人のニーズがあります。ここが一番意識されにくい。チームやグループの結成当初は、志を同じくして集まったと信じる人たちですが、いざ目標に向かってタスクを毎日こなすようになると、その方法論の違い、目標をどう解釈するかの違い、目標に対する情熱の違いなどが明るみになります。メンバー個々人がそれぞれ満足し、得たいと願うものを獲得しながら一つの組織としてのビジョンも追いかけていくには、日常的に微調整を図っていくことが不可欠。私のやり方は、細やかなコミュニケーションを取り続けることに尽きます。

これら3つのポイントは、ワークショップという一見「単発」のもの(長くても3〜7日間)をデザインするのにも共通して言えることです。

  • 何を目的としたワークショップで、
  • 誰に参加して欲しいかというコンセプトを明確にし、
  • 参加して欲しい人にちゃんとアピールするようなブランディングをし、
  • 参加者ターゲット層と、達成したい目的に沿ってプログラム全体の流れをデザインします。「ストーリー作り」をしましょう。
  • 徐々に細部に目を向けて、目標着地点に降りられるような最適なメソッドを選んでいきます。(体を動かすアイスブレーカー?ペアワークがいい?自然に出て行く?ワールドカフェ?フューチャーサーチ?独自のを作る?)
  • ワークショップをデザインするファシリテーター側の意図と、参加者の期待値を意識しながら、双方のニーズが満たされるようにします。双方が一致していなくても、2重の意味づけができるようにデザインすれば大丈夫。
  • ワークショップ当日に参加者の反応を観察し、その場に生まれ出る空気に合わせて変更/修正ができるように「余白」を残したプログラムにします。

ワークショップをデザインするのに、複数の人間が集まって何かをする時に一体どんなことが起こりうるか、人間の反応や組織の発達段階についての基礎知識を持っていると、とても助けになります。理論だけじゃどうにもならないのだけど、現場を見ていて不思議に思った人たちが研究して理論が生まれるので、現場にいる人たちは学者が作ってくれた知識をまた現場に戻して活用してあげるのが大事と思います。組織論や社会心理学、臨床心理学、文化人類学などを応用する場がワークショップデザイン!

フリーランスになったきっかけ

会社勤めの経験がないまま、学生からいきなりフリーランスになることは珍しいとよく言われます。どうしてこういう道を選んだのか、何が決め手になったのか、不安はなかったか、色々な質問を受けることが増えてきました。答えているうちに、いくつかの判断材料が見えてきたので書いてみることにします。

背景として、中高時代からずっと留学したいと思っていました。最初は大学在学中に1年交換留学と思ったけれど、いざ大学に入るとおもしろかったから、これを1年削るのはもったえないなと。日本の大学にいるからこそ得られる優位点は山ほどあったのでそれを満喫したいと思いました。さらに、大学3年になって徐々に自分の得意分野(心理学を使ったなにか)が見えてくると、学部生中に1年留学するだけでは自分が修めたい学問をすることは無理だと気づきます。じゃ、まずは4年きっちりやって卒業しちゃおう。

代わりに、就職活動期になって大学院留学の意志を固めました。主な動機は至極単純。

「大学で学んだことを直接使って食べていける仕事をしたい」

でした。

要は、好きなことだけして生きていきたかった。

そのためには、好きなことを追究しないといけない。仕事的な感じで言い換えれば、専門性を高めないといけない。専門性を高めるならば「好き」だけでなく、自分の生まれながらの性質に合っていて自然にできることがいい。それが私にとっては、心理学系のなにか、でした。

卒業後1年半ほどは日本でのらりくらりとし、それから渡米します。学校選びから院受験まで現地で行い、渡米後2年して大学院に入ります。修士とその後のトレーニングでさらに3年。計5年アメリカで過ごします。

日本への帰国は突然決まり、まっさらな状態でした。アメリカでの就業経験ゼロ。日本での社会人経験もゼロ。ネットワークはまるでなし。おまけに「そんな分野は日本にあるの?」と言われるような仕事だったので、一体どうやって働き始めるのか、雲を掴むようなもの。就職すべきかフリーランスでいくか、どちらも魅力的でどっちがいいのかさっぱりわからない。ヘッドハンターに会ったり、アメリカ時代のメンターに相談したり、親友や兄貴姉貴分たちの考えを聞いたり、模索が始まりました。当然アドバイスを与える側も「まずは組織に入らないと」という人と、「専門性を活かして自分で何かやった方がいいと思う」という2派に別れます。

なので、企業に就職する線とフリーランスで進む線の両方を同時並行で進めていきました。文字通り唯一のコンタクト(頼みの綱!)であった、院生時代に研究のためにインタビューした都内の小さなブティックコンサルティング会社に交渉してインターンシップを始めつつ、大手リクルーティング会社や個人ヘッドハンターと正攻法の就職活動をひたすらやっていきました。日系、外資、大手、中堅、ベンチャー含め、4ヶ月で30〜40社当たったと思う。リーマンショックの起こった2008年9月から就職活動始めたという強運の持ち主(笑)。いまさら考えてみれば、踏んだり蹴ったりだったのだなぁ。でも当時は、青天の霹靂のような人生の転換と、アメリカから日本という環境の変化のおかげで、ニュースから縁遠い生活を送っていて、そういう認識が欠如していた。逆にその鈍感さがよかったのなと思います。

4ヶ月経って最終面接までいった数社も採用をクローズし、「ふーむ。」と思って明けた2009年。とあるネットワーキングの会で、私がフリーランスの道をさくっと最終決定するきっかけが起こります。TEDxTokyo の共同創始者の1人、Todd Porterとの遭遇です。その時に彼と話した時間はおよそ10分。名刺を交換し、お互いが何をやっているか、それはそれは抽象的な話をし、「何か一緒にできるかもしれないね。」で終了。

でも、私の動物的嗅覚が働き、帰宅後すぐにメールして1週間後にランチミーティングをしました。さらに数日後には彼の家に集まり、TEDxTokyo の目指す大きなビジョンに向けてのブレインストーミングと、カンファレンスに向けてオペレーションチームを育てるというタスクに取りかかりました。

そして、就職活動をパタッとやめたという次第。

そこからは自然発生的に流れるままに、いただく仕事を受けて今に至ります。

人生のターニングポイントにおける決断は、直感に従う。これに尽きる!

ただ、その時の直観だけではなく、やはり過去から今、未来へと向かう時間という歴史的要素(=私の場合は中高時代から感じていたこと、考えていたこと)が現在、何かを判断したり決定する時の源になっていることは確か。直観は、自分の奥を脈々と流れる深い河を見つけ、どんどん上流へと遡ってその水源を発見することによって、研ぎすまされていくのかもしれません。

その他にも、より実際的な判断材料がいくつかあるので列挙。

  • 自分がどういう環境でもっともハイパフォーマンスになるか、条件を考える。

私にとってのハイパフォーマンスの定義は

  1. 第一に心身ともに健康
  2. 次にモチベーション高く
  3. チームプレーをしながら
  4. 求められる以上の成果を出す

もともと臨床心理に関心が高いような人間なので、人間関係には異常に敏感で、見なくてもいいものが見えたり、気にしなくていいことを気にしすぎる傾向があります。特に、自分と誰かの関係が悪いことより、自分の所属する組織やグループ内での他メンバー同士の不和や衝突が多大なストレスになります。周りを気にする小心者の側面があって、グループとしての調和をものすごく重要視する性格。そうなると、会社勤めってストレスの塊。やりたい仕事、すべき仕事以外の要らぬしがらみが多い組織体の中でハイパフォーマンスは無理だろうな、胃腸や精神を痛めて終る可能性大だな、と思いフリーランスを選択。

  • 自分と組織との関係性を捉える。

小さい頃から一つのグループに所属せず、複数グループを渡り歩く独り癖がありました。それは今でも変わらず、一つの組織に属することに執着がないし、逆に違和感さえ覚える。いろいろな組織に同時的に属し、それを繋げていくのが自然体。だから、プロジェクトベースで動いていくノマド・ワーキングスタイルがぴったりしていました。


  • 心と体のケア。どういう環境下だと健康を維持できるか。

いい仕事をする前に、生きていくのには健康第一。心と体を大事にするのは私の責任。だから、体調が良くない時に素直に「よくないので休みます」と言える環境を作ることが絶対条件でした。ちょっとお腹痛くなる度に「やすみまーす♪」と言うわけではないのでご安心を!そりゃーもちろん、激しく体が弱ってるのにやらなきゃいけないこともあります。でも、それをやり抜いた後に、数日寝込んで回復することが許される環境、というのでしょうか。


  • どんなライフスタイルをデザインしたいか

カリフォルニアのベイエリアという地域に5年住んで帰国したので、時間と空間に対する認識に大きな変化がありました。時間がかかっても空いてる普通電車、という風に。年齢を重ねる毎に体質の変化もありました。混んでる場所では人酔いするようになってたし、夕方4時以降にカフェインを摂取すると夜眠れないようになった。平均睡眠4時間がどれだけ続いても持っていた体は、今では8時間ほど欲するように。体はどんどん正直に、私に訴えかけるようになってきていました。それに、どうして東京ではこんなに就業時間が多くないと仕事が回らないのか不可思議で仕方なかった。たまの数ヶ月に激務ならいいけれど、東京の人は年がら年中忙しくて、平日の夜に会えるのは夜8〜9時過ぎ。遅いと10時以降!そのくせバケーションもほとんどない。

「なんで???」

意味がわからないことはしなーい!ということで、混んでる時間帯に電車に乗らずに済み、自宅のある逗子でのんびり仕事をすることが可能で、タイミングさえ見計らえばしっかりバケーションを取れる、そんなライフスタイルを創っていける在り方を選びました。

  • 3年後にどこにいたいか想像する

日本に帰国する時に「3年でまた海外に出る」と決めていました。なんとなく。ほんとーになんとなく。私が社会に出た年齢は29歳。大多数の同い年と7年のキャリアギャップがあります。それだけの実りを3年間に凝縮して、海外へのステップアップを図るには、組織に入ってしまうとなかなかハードル高いだろうなーということでフリーランス。一般的に、フリーランスの方が移動/転居の選択は自由ですしね。今でも2011年末から2012年のどこかで海外に行きたいと思っています。別に具体的な案は何もありません。

こんなところだろうか。

死生観を考えるワークショップをそのうちするよ。

土曜日はgreen drinks湘南に参加してきました。「green drinksって?」という人は

こちら

gd湘南のオーガナイザーの1人で、今回の会場となった平塚、宝善院のお坊さんである弓月くんとは、去年末に「R水素と仏教」というトークショーでご一緒させていただき、それから仲良くしています。3月末には成田山まで一緒に断食道場合宿に行ってきました。初挑戦だったので3日間しかやりませんでしたが、逆に3日目でやめるのが一番体にとってはきついんだって。実際、私は2日目、3日目と飢餓症状というものが出てギリギリを経験しました。今度は5日間やってみよっかなー。

と、今回はその話ではない。

土曜にgd湘南で「百字偈(ひゃくじのげ)」という菩薩様のお経の写経と、和綴じ製本を初体験してきました。

写経&和綴じ製本キット

できあがり

筆を握り文字を書くという行為とあまりにも長い歳月離れ過ぎていたため、体の変なところに力が入ってうまくバランスが取れず苦労しました。それに、難しい書き慣れない文字が多かったので、漢字の形を目で追ったり書き順に戸惑ったりと、瞑想とはほど遠い状態でした。呼吸と共に筆を下ろすということに、体が馴染み始めてテンションがうまく弛み出した頃に100字終了。茶道と同じで、まずは作法と所作を体が覚え込み、動きが無意識に出るようにならないと、自己と対峙するというところには行き着けないのだろうなと感じました。その後、針と糸で表紙を留めていき、手づくり経本が完成!

green drinksの最後は、お酒を飲みながら好きなことを語らいます。その時に弓月くんと話した私たちの野望(笑)について少し。

それは、日常において「死」と「生」に向き合い、自分の世界観はどのような骨組みになっているのか考えるスペースをワークショップを通して創っていくことです。弓月くんは職業柄、お葬式、法事と人の死とそれに関連する儀礼に立ち会うことがしょっちゅうあります。私は父の死によって、自分がそれまで信じて存在してきた世界観の崩壊を経験し、瓦礫の山から新しい世界を構築している、まさにその道すがらにあります。やっとこさ、瓦礫の下敷きになってたところから這い出して来た。父の死を受け止め、悲しみを表現するgrief processを進めてきています。

弓月くんと私はそれぞれ違う立場から「死=生」というものと日々触れています。だから、一見、日々の生活には関係ないような「死」という重々しいテーマを考え内面化していくことが、自分たちのなにげない1日の過ごし方に多大な影響を与えることを実感しています。どんな仕事をし、どんな伴侶を選び、どういったライフスタイルを作っていくかは、どんな風に生き、どんな風に死にたいかに直結していると思うのです。「死」の概念を問い直すことが、ポジティブに生に関わっていく原動力ともなる。

こんなことを安心、安全、居心地のいい空間で話していけるような活動をしていきたい。来年かなー。

ジル・ドゥルーズ『ノマドの思考』から思うこと

ちくま学芸文庫より出版されている『ニーチェは、今日?』(”Nietzsche Aujourd’hui?”)は、1972年にフランスで行なわれた、ジャック・デリダ、ジル・ドゥルーズ、ジャン・フランソワ・リオタール、ピエール・クロソウスキーという4人の巨匠による「で、ニーチェってなによ?」という討論会を収録した本です。

クロソウスキーの『悪循環』

リオタールの『回帰と資本についてのノート』

ドゥルーズの『ノマドの思考』

デリダの『尖鋭筆鋒の問題』

と、合間合間に解説が入るという編成。

最初にこの本を買った動機はデリダだったのだけど、数年経った最近ひさびさに手に取ってみて惹かれたのは「ノマド」という文字。既存のキャリアパスを踏まず、既存の産業分野に属さず、企業組織に属さず、しかも物理的に、日々あちこちのオフィスとカフェと自宅を行ったり来たりしている自分の働き方がノーマディック。そして、その関係から松村タロさんと「ノマドワーキングスタイルの実験/研究したいね」という話をしていたこともあって、「ノマド」は気になるキーワードなんです。

『ノマドの思考』はドゥルーズの視点から「(当時の)現代に生きるニーチェ主義者ってどんな人だろうね?」ということを解き明かしています。ニーチェの著作は超絶難解なので私の口から語ることはできないけど、『ノマドの思考』は割とわかりやすく書いてあって、「へー。ニーチェってそういうこと言ってたんだ」という発見がありました。ニーチェっていうとネガティブでペシミスティックな理論を構築するという印象の哲学者だったけど、意外とポジティブ。

結論から言うと、

「私ってドゥルーズが言うところのニーチェ主義者かも!」

です。

ドゥルーズ曰く、

ニーチェにとって社会とは、法、契約、制度という3つのコード(共通の暗号。決まりごと)に従ってまわっている人間を縛る官僚的構造です。法とは文字通り法律であったり宗教の聖典のこと。契約とは例えば、物がお金に等価値で交換されるという資本主義でのルール。制度は、家族だったり教育だったり、社会保障だったり軍隊だったり、社会を秩序だって構成するものものとそのメカニズムのこと。

これらって、人間が集団行動していくために必要とされているものだけど、人間が生まれながらにして持っているものを覆い隠し、触れ合うことを難しくしてしまいます。反対に、人間はコード(意味/記号)に従ってお互いを「翻訳」したり「解釈」したりしています。

そこからの逃走、脱コード化、をニーチェは試みます。脱コード化とは、(3つの)コードが縦横無尽に走る社会という枠を越えて純粋なる「外」と直接接続すること。「外」との関係にこそ、人間のありのままの必然性があるとニーチェは感じていたようです。

決まったコードから解釈されることをせず、もっとも流動的に、活動的に、固定されずに生み出されている運動は、法、契約、制度化されていない社会の枠組みの外からのみやってくる。「脱領土化」という言葉にもなっています。

ドゥルーズは、ニーチェのこのような、既存の社会に違和感を感じて外から運動がやってくるという思想を「ノマド的」と表現しているらしい。

興味深いのは、ドゥルーズは自分の属する西洋統一国家と対比させて、アジア諸国の原始的な農村共同体を基盤とした体制について触れているところ。農村共同体の領土は、書記、神官、役人を率いた専制君主に支配され、固定化されているけれど、その領土の周辺では、遊牧民的なもう一つのまとまりが形成されていて戦争している。戦争とは異なるコードを持ったものたちの敵対。つまりは、領土内外でコード化と脱コード化が同時進行している状態ってこと(p.185)。

話を戻して。

遊牧民のように戦いながら移動していくノマド的生活者もいるけれど、ノマド的とは地理的移動に制約されない、とドゥルーズは言っています。国家社会の敷くコードから逃れ、同じ場所で生き続けるためにノマド的生活を送る人もいる(p.188)。そういう人たちは社会を内から作りかえていくというより、自分の思考を外と直接繋ぎ合わせていきます。あれやこれやと言葉を使って定義し、固定化してしまうのではなく、流れるままに意味とは反対の方向へ進んでいく。

人間だからきっと、新しい意味記号を作ってしまうんだけれど。

ドゥルーズの紐解くノマド的なニーチェ主義者。革命家や政治家として国家装置を転覆させようという野心ではなく、既存のコードとは離れて勝手気ままに、「枠」から「外れた」自由奔放な思考回路で、周辺でわらわらと共同体をつくってムーブメント(運動)を起こそうとしている自分と仲間たちのことみたいだなと感じ、ニーチェに初めて親近感を抱きました。

国際知識経済都市会議っていうのに参加してきました

7月6〜9日は福岡に出張してきました。福岡の人は人なつこくホスピタリティに溢れていました。焼き鳥もおいしかった。

福岡で何をしてきたかというと、国際知識経済都市会議International Regions Benchmarking Consortium)にて、4つのパネルディスカッションをグラフィックレコーディングしてきました。そのグラフィックレコードは、会議の最後におこなわれた参加者、モデレーター、スピーカーのための対話の場(オープンスペーステクノロジ—とワールドカフェ)で活用されました。

Graphic recorded by Naho Iguchi

お話をいただいたきっかけは2月中旬に遡ります。スピーカーとして出させてもらった西村ゆうやんのダイアログバーの参加者の方がこの国際会議の実行委員で、プランニング中に私のことをふと思い出し、4ヶ月後にひょいっとメールをくださったのです。こうやって公の場に出て自分の活動について地道に語っていくことは、必ず次に繋がるのだなぁと実感すると共に、機会を与えてもらえることに感謝感謝です。

このお仕事は私にとってチャレンジがいくつかありました。

  1. 「知識経済」「知識経済都市」ってなんだよ?な状態だったこと
  2. 英語でのパネルディスカッション(1セッション90分)×4を英語でグラフィックレコードすること

知識経済とは(わたし解釈)、

知識創出を教育機関・行政・産業が恊働して促し、知識をきちんと保管、伝承していきながらマネタイズもしてその地域の経済を活性化させていく、という考え方とその取り組みのこと

らしい。

知識経済都市を作っていこうとする北米、ヨーロッパ、オーストラリア、アジアの中くらいの都市のネットワークがこの会議。ベンチマークしながら地域経済活性化してこうぜ、という交流と学びの場でした。

今回で3回目になった本会議では、知識経済という学問分野においてベース理論である「トリプルヘリックス」から発展して、「トリプルヘリックスとコア」という新モデルをもとに議論がなされました。トリプルヘリックスはいわゆる産官学のコラボレーション。でも実際問題、「産官学寄り集まっても何にも起こらんじゃんね」というのがあって、産官学を繋げる専門の役割が必要じゃないか、というアプローチ。それが「コア」。

Graphic recorded by Naho Iguchi

会議ではバルセロナ、ヘルシンキ、ストックホルム、メルボルン、シアトル、バンクーバー、福岡といった各都市の行政、教育研究、産業分野で都市改革を押し進める実践者たちがプレゼンテーション、パネルディスカッション、ダイアログを繰り広げました。すでに実行された/されているプロジェクトのリーダーたちの、実例交えた話はGRするのも楽しかったです。

Graphic recorded by Naho Iguchi

英語でのGRは日本に帰国してからはほとんどする機会がなかったので、これもドキドキでした。「書くスピードが間に合うかな」「アクセントのある英語が聞き取れるかな」「専門用語や都市特有の固有名詞が出てきたらどうしよう」などなど、本番前日までは不安もありましたが、始まってしまえばやれるだけをやるしかないので、ある意味「諦観」の心が育ちます(笑)。

一つ珍しかったのが、2日目の会場が能楽堂で、そこでGRしたこと。なかなか経験できることじゃないよね。GRは自分と紙とペンがあればどこでもできるポータブルなものなのだけれど、実は物理的空間のアレンジ(壁が真っ平らとか、テープ貼っていいとか、人から見える位置でやるとか、いろいろある)は非常に重要です。能楽堂の照明は暗いし、能舞台の周りは石が敷き詰めてあってGRできる状況じゃないし、用意してもらった紙を貼るパネル(黒板でした)は高くて、ちびっこの私にフィットしてなかったりと、難問はあったもののクリアして仕事ができてよかったです。

もう一つミーハーな出来事は、スペイン、バルセロナにある超有名で私の大好きなガウディの建築、サグラダファミリアの主任彫刻家、外尾悦郎さんとお話する機会があったこと。最終日のワールドカフェで同じテーブルになり、「『トリプルヘリックスとコア』というモデルは平面(2D)でしかない。でも、もっと立体的に捉えていく必要がある」という外尾さんのアイディアに、「じゃあ立体で創ってみましょう」と私が提案し、テーブルにおいてあった紙を切ったり折ったり、人間の本質を構成するエレメントを表わす3Dモデルを作ってみました。外尾さんと即興コラボレーション。感激です!

地方とのお仕事もっとしていきたいなー。これからは、「グラフィックレコーディングとはどう使うものか」をわかっていないと最大限の効果が得られないので、その部分から伝えていってプランニングの段階から参画していきたい。さらには、グラフィックレコーディングでなく、「グラフィックファシリテーション」(=レコーディングをしながら、実際に私が場のholdをしていく)を普及、応用していきたいです。

TEDxTokyo yz ver.1.0 +

今年に入ってから TEDxTokyo yz という10〜30代に焦点を置いたTEDx イベント及びコミュニティ創りを始めています。

「なにそれ?」

という方は詳しくはこちら→ TEDxTokyo yzウェブサイト

ちなみに、「テッドエックストーキョーワイズィー」と読みます。

兄貴分イベントであるTEDxTokyo は generation X を主なターゲットにしたコミュニティです。ここに属する人のほとんどがすでになんらかの分野の先駆者、先達として何十年も活躍し、人的/経済的/物的リソースとネットワークを持っており、社会にアウトプットを出して多くの人に影響を与えています。

このTEDxTokyo の莫大なる資源を活かしていくには、より若い世代のコミュニティも必要じゃなかろうか!っていうか、うちらの世代こそより長い間この世に生きていくし、おもしろアイディアどんどん浮かぶし、エネルギーまだまだあるんだからイニシアチブ取ってこーぜ、ということで TEDxTokyo yz を立ち上げることになりました。1月には私1人だったけれど、3月末には10名前後のチームに育ちました。

先月19日にキックオフイベント、TEDxTokyo yz ver. 1.0 を青山学院の共催によって大盛況のなか終えました。ぱちぱちぱち。本当にみなさまありがとう!!!!! 10数名しかいなかったTEDxTokyo yz コアチームがこのキックオフイベントを以て、参加者、スピーカー、スポンサー、パートナー、当日運営メンバー、ustream視聴者などなどに囲まれて、200人に近いコミュニティへとメタモルフォーズ第1段階を遂げました。第2回は早ければ今夏には開催したいなぁ。コアチームメンバー募集中!興味のある人は naho@tedxtokyoyz.com まで♪

でも、TEDxTokyo yz コミュニティを回し始めたのって、断続的にTEDx イベントを開催する「イベント企画運営」が目的なのではありません。TEDみたいなかっこいい刺激的でエンターテインメントに富んだイベントを開催する、それだけでも実りあることですが、それだけでは、そこで止まってしまう。打ち上げ花火。せっかく打ち上げ花火を見に集まってくれた類い稀なる人びととのネットワークが、ゆる〜〜っと、それとな〜〜く作られた「ように」見えるけど、あとは放置プレー。「また来年の花火でね!」ではもったえない。

TEDxTokyo yz という名前のカンファレンス運営は単に手段でしか過ぎない、というのが私の見方。TEDが確立したブランドと、TEDx というグローバルコミュニティ構築のスキームは秀逸で、TEDx とそれに付随するキーワードにひっかかる人達のアンテナの張り具合は抜群。そして、TEDxTokyo が去年から培ってきた信頼と価値も日々成長しています。だから、TEDxTokyo yz という新たなる屋号を立てて、それに鼻をくんくんして寄ってくるおいしい若者達をざばーーっと大網漁のように捉えます。そこから、「TEDxTokyo yzに参加してますつながり」だけでは終わらない、メンバーシップとオーナーシップが芽生えるコミュニティへと形をぺたぺたこねこね整えていく。そのコミュニティから、未来のTEDxTokyo あるいはTED のスピーカーになっちゃうようなアクションプロジェクトを立ち上げていきたい。その大きなうねりのような社会システム/プロセスデザインをするのが私の計画です。こういったコミュニティ創り、新しい働き方/生き方を実行するためのプロセスデザインこそ、私の仕事「コミュニケーション・プロセス・デザイン」の中核を成します。

肝は、

  1. 定期的、継続的にTEDxTokyo yz イベントを様々なフォーマット、規模感、テーマでやっていくこと。
  2. TEDxTokyo yz イベントと次のイベントの間に流れる日々の中で、イベント参加者のネットワークが「才能ある人の烏合の衆」に陥ることなく、地に足着いた「生活」「社会」にグイっと食い込めるようなものを生み出すハブにしていくこと。(これはTEDxTokyo yz という名前を掲げる必要はないので、掲げない。)

生まれてから5ヶ月の取り組みです。これからどうなるか。秋には2の方の実験第1弾を打つ予定なので乞うご期待!

皆既日食

私にとって皆既日食は、ソウルメイトとの約束です。

同じ場所から、共に、くっきりと、太陽が月になり、そして消える瞬間をこの目に納めること。

2005年春、「パナマに皆既日食を見に行く」と彼は言いました。日本から中米へと太陽を追って旅立った彼を北米から見守りました。

同じ夏、その足跡をどうしても辿りたくて、私はメキシコ、グアテマラへ赴きました。テオティワカンの太陽と月のピラミッドの上から広い空と大地を眺めながら、ティカル遺跡のピラミッドの上から深いジャングルを見下ろしながら、ソウルメイトの確かな温もりを感じました。

2006年3月、彼はトルコへ皆既日食を捉えに行きました。私はその時も夢叶わず行けませんでしたが、当時住んでいたバークレーの家から瞑想をして繋がりました。

2009年7月、日本に戻っていた私はいよいよこの足で皆既日食ハンティングに出ました。種子島の海辺で1週間キャンプをしながら待ちました。彼は硫黄島の近くで船上から日食を待ち望んでいました。当日は曇りでダイアモンドリングは見えなかったけれど、皆既の時に訪れる神秘的な暗闇を体感し、心から畏怖の念を感じました。

2010年7月11日、イースター島での皆既日食。彼はまた旅立ちました。私はライブストリーミングで、完璧な雲一つないダイアモンドリングを初めて目にしました。今頃その余韻に浸って、笑顔で海と空と太陽を噛み締めているんだろうと思います。

次は2012年11月。約束を果たしに向かいます。