感謝の瞑想

瞑想、座禅といったものに関心を持ち始めたのはおよそ10年前。大学生の頃だった。それから、色んな種類・流派を体験した。時にはまったく離れてしまう時期もありながら、自分の無意識を探求し、魂と繋がり、知恵を培う時空間である瞑想をのらりくらりと続けてきた。友人曰く、「種を持ち続けた」。

じょじょに自分の生活に浸透してきたのはアメリカに住んでいる頃。「多感な時期」とは10代の思春期に使う表現だが、私にとっては20代こそさらに多感な時期で、迷ったとき、苦しい時、心を鎮めたい時に座った。

それが、自分の中で「あ、毎日座ろう。」とごく自然に切り替わった瞬間があった。今年の6月だ。毎日座るように努力して日課にする、I try to sit everyday ではなく、毎日座る、I sit everyday。自分の内側から能動的に、空気を吸うがごとく不可欠なものとなるのは、こういうことなんだと実感した。瞑想会や禅堂でおこなうほど長時間はやっていないが、毎朝5〜20分座っている。

今朝はまた切り替わる「その瞬間」があった。私は直観的で大らかでおおざっぱなのだが、一方、実は小心者でものすごい細部にこだわる。プランを立て、ロジカルに整理をして物事を進めていく。事前準備は怠らない。カバンの中にはいつもなぜだか「◯◯持ってない?」と友達に聞かれた時にさっと出せるようなものが入っている。ウェットティッシュとか、携帯の充電器とか、安全ピンとか、頭痛薬とか、糊とか。だから、朝、目覚めると頭の中にはTo Do Listが浮かんで、ちょっと心配気味に起きることがよくある。たまに、明け方の夢の中でさえconcernsが表れて、起きる前から焦っていることもある。心配性。そうすると、寝ている間も胸や肩のあたりは固く収縮し、疲労を貯めてすっきりしないまま起きる。

今日も首、肩、肩甲骨のあたりをほぐしながら瞑想に入った。一昨日、青山の禅堂で長めの座禅をしたので数分で深い状態に入っていけた。体全体へ意識が周り、頭で思考をしながらも身体感覚を保持する。背中や腹筋の微妙な筋肉の位置を整えた。

そしてふと、言葉が降りて来た。

「毎朝『あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ。何時の電車に乗って何をするんだっけ?』と考えて胸をきゅーっとさせる前に、こうやって温かいお布団で寝られて、五体満足で起きられて、生い茂る木々の向こうに透ける青空を朝から見られ、好きなことをして日々を過ごせることに感謝して、幸せな気持ちになればいい。」

頭の中の自分が囁く、というのでも、空から知らない誰かかが話しかけてくるのとも違う(それは幻聴!)。文字通り、自分に降りて来る言葉。魂からの知恵。

言葉に従って1つ1つに感謝をしたら、頬の筋肉が緩み、舌が落ち着き、背中の凝りからくる痛みもすーーっと消えて体が温かくなってきた。

チベット・ハート・ヨーガでやる感謝の瞑想。ヨガの時に習った。頭では感謝の大事さを知っていて、感謝の祈りのマントラを唱えたけれど、実践はこれか!と悟った。

これが感謝の瞑想だ。

 

2010年10月25日午前11時の想い

父が他界してからちょうど2年半が経った。般若心経を日常的に唱え出してからも同じくらい(それまでは禅堂に行った時だけだった)。初めて一度も教典を見ることなく、目を閉じたまま、間違えずにスラスラと唱えられた。お経を唱えてると次の部分の音が自然とぽわ〜っと浮かんで来て導かれたから間違えなることがなかった。自分が口から唱えている現在の音と、頭の上に浮かんでいるちょっと未来の音。物理的な音と心の音の重なり。それは不思議な体験。

これまで、哀しみを癒そうとプッシュにプッシュを重ねたCoping Process に臨んできたけれど、今朝新たに気づいたのは「哀しみは癒えない」ということ。この2年半、ヒーリングのためにあらゆる手段を尽くして来たからこそ辿り着いた場所が「今のココ」なのだから、これまでの試みや成し遂げたことはcrucialなことだった。だけどやっぱり、哀しみは癒えないのだ。哀しいのだ。

哀しみを癒そうとするのではなく、この巨大などうしようもない哀しみを、そのまま自分の一部としていくしかないんだな。だから、絶望から這い上がるために、そして、哀しみを癒そう/埋めていこう/少なくしていこうとするためにビジョンに向かって行動を起こしたり、新しい幸せを築こうとするのではなく、純粋に単純に自分にとって心地よく、素敵なアクションをとっていけばいい。

月は、欠けた部分を補完するために満ちるのではない。というか、本当は欠けてない。いつでも丸い。私たちの角度から見ると欠けているように見えるだけ。欠ける時もあれば満ちる時もある。

私も、生きていく中で哀しみや喪失があっても、本当はいつでも丸いんだ。だから、本当に欠けちゃったと錯覚してそこを補完しようとしても、より倦怠と悲愴を生むだろう。翳ってしまった欠けたように見える部分を、また見えるように照らしていけばいいんだ。

私は10年後も、30年後も、今と同じだけ父を失った哀しみに涙を流すだろう。

そういうもんなんだ。

 

「どうしてそれをやろうと思ったんですか?」

コミュニケーション・プロセス・デザイナーというものをやってます。

え?

他に同じようなことやってる人ですか?

私が勝手に作ったものなのでわかりません。

え?

ああ、ロールモデルとか、過去にこれっていう出来事とかないんですよね。

好きなことをずっとやってきたらこうなったって感じです。

私の仕事の話をすると、大抵こういった会話がなされる。そして必ず訊かれるのが

「どうしてそれをやろうと思ったんですか?」

ロールモデルはいない(尊敬する師匠、先輩はいるけど「この人みたいになりたい」と目指す存在はいない)。特別衝撃を与えたような出来事もない。育った環境もごく平凡。それじゃあ、今やっていることに私を導いたものって何なのか、興味を持つみたい。

組織心理学用語で説明すると、私の場合は intrinsic motivation の方が圧倒的に強い。内的動機と言うのかな。外的な要因 (extrinsic motivation) からではなく、自分の内から湧き出る想いに突き動かされること。外部から受けた影響は、自分の好きなこと、やりたい方向、思い描いているビジョンを確証し、後押ししてくれる副次的なものだなぁ。

じゃあ、intrinsic motivation の核たるものは何なんだろう?何度も自分の考えを言葉にしていく中で、明確になってきたものがあった。

まず根源にあるのは、人間という生き物への探究心。人それぞれの思考、感情、行動に興味があるのはもちろん。でもそれより、普遍的に人間って動物がどんなものなのか知りたい。探求するために最初に出会った具体的な方法論は心理学だった。心理学にのめり込んでいくうちに、この学問と自分が生まれ持った気質と能力がとてもよくフィットしていると実感し、自分の極めるべきは心理学だ!と直観。

精神分析学や精神力動学といった臨床心理学から始まった旅だけれども、人間の深層心理の病を治すというアプローチより、健康な人が健全な生を営むために確立された「第3の心理学」「人間性心理学」と呼ばれるものに可能性を見出すようになった。そこからさらに実際性を重視して、応用心理学の1つである「組織心理学」を修めることにした。

組織というのは一般的に、人が2人以上集まったものを言います(私は、人間個人も組織体という前提で組織心理学を学んできてるけど)。だからその射程範囲は無限大。長期的に機能していく(と考えられている)会社や学校だけが組織じゃない。カップルも組織だし家族も組織。一時的なグループも組織だし国家も組織。国連やEUのような国境をまたいだものも組織。人間は群れを作る習性のある動物なので、必ず組織は生まれる、と私は考えてます。

もう1つ、コミュニケーション・プロセス・デザイナーに辿り着くには不可欠な世界観がある。それは

「人間の活動はすべてコミュニケーションに集約される」

というもの。人は生まれる前の母体にいる時からコミュニケーションしてます。1歳頃から言葉を覚え、寝ても覚めても言語を巧みに操って夢を見たり、好きな子のこと考えたリ、勉強したり、商談を取り付けたり、新しい料理のメニューを考えたり。

集団を形成してコミュニケーションをしながら生きていく動物、人間。

これが私の世界観の枠組み。

そう、人間って動物なんだよ。

なのに、どうして生命維持活動である「食べる」行為をするために、やれ会社に行ってお金を稼いで銀行からお金を引き出してお店に行って食材を買わないといけないのだろう?他の動物はこんな複雑なことしてないのに。

どうして温かい場所で眠るという生命維持活動をするために、家を探して保証人を見つけて収入証明を提出して審査されて、、、って複雑な行程を経てからじゃないとダメなの?断られる危険性もあるってなんで?生きるためには温かいシェルターが必要なんだよ。

一夫一婦制って本当に人間という動物にあっているシステムなの?

国という組織体は人間が幸福に生きていくために適切なシステムなの?

こんなに複雑なプロセスを経なければ、いのちを支えていくことができないなんて、なんか回りくどくないか???

「じゃあ田舎に行って電気を使わずにすべてを自給自足で暮らします」と言うには私の脳内はinfectedされてるからw、原始に回帰するのではなく、現在の環境を踏まえた上での人間の次の進化の行く先にすごーーく興味があります。

資本主義の次の経済理論は何?

国家という形ではない新たな集団組織は一体どんななの?

既存の会社組織を中心とした働き方じゃない、もっと動物「人間」のいのちを育む働き方ってないの?

そもそも働かないと生きていけないって大前提を疑ってるし。誰が決めたのーー。

お金以外での交換システム(つまり契約に拠らない)だって機能するはず。

今ある恋愛の仕方や家族形成の仕方とは異なる方法でのライフスタイルってどんな風にデザインしていけるかな?

社会が生み出す決まりやタブーって、どこまでが人間存在に必須なの?セクシャリティーが罪や恥の対象になってるのって、社会文化的な人的操作が入ってやしない?

などなどなど。

こーゆーのを実験しているのが、コミュニケーション・プロセス・デザイナー。

Connecting to my heart through my body

The Mindful Body.

It’s a name of a yoga studio located in Pacific Heights, San Francisco.

“Mindful” is a very good term that is hard to translate into Japanese. The dictionary defines: attentive, aware, or careful.

Both “attentive” and “aware” are also sort of difficult words to translate precisely into Japanese.  Mindful is a combination of ”気付いている,” “思慮深い,” “気遣う,” “感覚的に鋭い,” “注意深い,” etc. etc.  To me, the word connotes gentleness and tenderness.

My old yoga teacher, Maile, teaches Hatha Flow at the Mindful Body.  Interestingly enough, Maile is my current yoga teacher, Stacey’s best friend. Isn’t it amazing that the best friend of my yoga teacher in SF lives in Kamakura, next to my home town in Japan?  Like-minded people are meant to flock together.

On Friday evening, I went to Maile’s class. A yoga studio at the Mindful Body had a high ceiling with a skylight. Three sides were walled, and one side was completely curtained (that was also an entrance to the studio). This structure gave it to a soft and open touch.

Guided by Maile’s grounded and graceful voice, I gradually synchronized with my breathing. In the downward dog asana, I sensed where pains resided in my deep inner muscles. One line in the left side body from the buttocks all the way up to the neck, and the left arm from the pinkie to the shoulder. The more I pushed my legs onto the floor, the more energy was released and spread into the entire body. As if the wave of energy had penetrated throughout my triangled body. Up. And down. It felt so good. In everyday life, most of us (needless to say, including me) focus too much on the head and use partially just the upper body: the neck, shoulders, arms. We don’t utilize the chest and belly and back, not to mention the lower body. As a result, tension and stiffness is stored in the upper body. Stuck. Stagnant. Aches. Yoga helps activate the parts of the body underused and flow the breath and energy.

Concentrating on each and every asana accompanied with deep breath allowed me to feel pains that had been dormant. Hidden pains veiled underneath rushy busy daily life. I got connected to the pains. I realized how much pain I carried unconsciously yet ignored them.

A pain can be just physical. However, a pain can be emotional as well. We metamorphose an emotional pain into a physical one and accumulate it in the body. As I was stretching the body and plunging into my pains, I became emotional and tearful. The body pains reminded me that I was psychologically hurt. It made me aware of why I have come to the Bay Area on this trip. There is something that I need to and want to take care of.

On the way back home, I took a Divisadero bus. I got off at 18th and Castro, my old neighborhood. Everything seemingly stayed the same as when I left there, except that a few new shops opened. With mixed feelings, I walked up on the steep hill to my old apartment. I looked at the room where I used to live. It was somehow striking that my mirror that I hadn’t taken with me when moving out was still leaned to the window. Perhaps, the new person kept using it.

I walked down on the street, thinking that my life in Castro was filled with struggles and sufferings. Castro is one of the most lively areas in the city. People laugh, chat, hug, sing, dance and get drunk. Struggles and sufferings sound like a total contrast. Nonetheless, maybe that’s the real face of Castro. At the end, I was living in the right place in the right time of my life, and got forced to be out when it collapsed.

I’m happy to be back, ready for recap.