原点回帰

コミュニケーションプロセスデザイナーなどと、何だか捉え所のない仕事をでっち上げてやっていると、「それって何なんですか?」「それで将来は何をしたいんですか?」 「どうしてそれをやろうと思ったんですか?」と訊かれます。

「直観だからよくわかりません。」

「言葉では説明できないんです。」

「積み重ねてきたもので、大きなきっかけは特にありませんでした。」

というのは常套手段な模範回答。まったくその通りだから、私もこう答えることはしょっちゅう。でも一方で、質問を受けるとやっぱり考えるようになります。

それに、せっかく関心をもって聞いてくれた人にできるだけわかってもらえればと思うので言葉にしようとします。自分を観察し、内省し、考え、 感じ、誰かに話してみたり1人でノートに書いてみたり。「ここ (自分の胸に手を当てて)にあるものは何なのか?」を探ってきました。

で、ここ最近わかったことは、コミュニケーションプロセスデザインの根源とは『愛』と『信頼』です!

え?!考え抜いて抽象論かよ?と突っ込まれそうですが、愛と信頼って実践論でもあるんだよね。人間が生きてくために。

どうやって愛を育むか、どうやって信頼関係を築くかという、年齢も性別も職業も肩書きも産業も国籍も民族も関係ない(つまり、どんな場面でも必要になる)コミュニケーションの核を伝える職業?役目?

それが私の思い描くもの。

コミュニケーションプロセスデザイナーを拡張させるべく、今年やりたいと思っている新しい試みの2つ。

  1. 愛する人を失った死を感じ、蓋を閉めてしまった感情を表現するための場。
  2. 自己のセクシャリティに正直に向き合い、パートナーと素直に楽しいsensual relationshipを持つための場。

これを友人に話したら、「生き物の始まりと終わりのことをやりたいんだね」と言われました。

そういやそうだ。

人間含め、生命は生殖によって誕生し、死をもってその肉体は朽ちていきます。

私は、1人1人が死生観とセクシャリティをしっかり育くむことが、あらゆる場面でのコミュニケーションがうまく回る隠し味だと思っています。上司が部下に対して、母親が子供に対して、男の子が彼女に対して、女の子が同性に対して、若者がご老人に対して。

根っこと茎と葉っぱとお花が繋がっているように、私たちの生(性) と死へのまなざしは、毎日の行い(=コミュニケーション)とそこから紡がれる関係性に繋がっていくのではないでしょうか。

Return to the source.

佇まい

年越しは10年来の遊び仲間と長野県戸隠に行っていました。蕎麦で有名な戸隠の中でも人気のお蕎麦屋さんに並んで年越し蕎麦を堪能し、元旦は温泉で体を温めてから戸隠神社に初詣。

戸隠には思い出があります。ちょうど10年前の2001年、音楽、踊り、旅を通じて出会った仲間達と戸隠で平和のための祭を開催したんです。祭の一週間前にニューヨークの911があり、何の巡り合わせだろうと感じたものでした。

戸隠は一面深い雪景色。手に取ると優しい感触を残すふわふわの粉雪に家々が埋もれていました。宿からスキー場までは板を履いてそのまま滑って行き来できます。

久々に見る豪雪に感動して涙が出そうになりました。別に何ってわけじゃないんです。ただ雪景色を見ただけ。

自然の美しさはストーリーなどいらず、ダイレクトに琴線に触れます。私は昔から荒涼とした崖や岩肌、枯れ木を見てはあまりに綺麗で羨ましく思います。他の存在を必要とせず、ありのままで美しくあれる。自然の型どる曲線美は、生きる以外、何のためでもないのです。

人間だって自然の一部なのですから、ストーリーを語らずとも佇むだけで美を表せるはず。そんな女性になりたいなぁと思います。

キーワードは「触れる」

2011年。

また1つ新しい年を迎えました。どうぞよろしくお願いいたします。

2月は旧暦新年、4月は年度の始め、7月末はマヤ暦の始め、9月はアメリカでの年度始めなので気持ちを新たにする時期って一年に何度もあるんだけど、西暦の1月1日は世界中の多くの地域で共有しているものだし、小さい頃から馴染んでいるから大事な習わしだなぁ。

私は1979年11月生まれなので数えで33歳になりました。(生まれた時点で1歳で、1980年1月1日ですぐ2歳になるから。)本厄、しかも大厄なるものらしい。厄に科学的な根拠はないと言うけれど、「だいたいこの年齢になると体にガタが来るのよね〜。」という事実の観察に基づいた東洋的統計学なのだと思う。「いや、データなんてとってないけどさ、だってそうじゃん?」というような。人間の自然な成長(=老い)や、社会的立場の変化が影響して、多くの人が心身の変化を経験するのだと。なので、大厄だからと恐れるのではなく、暴風波浪警報的に受け取っていきます。気をつけはするけど毎日びくびく過ごせないし、どんなに事前に対策取ってても結局来ちゃったらそれまでだもんね、ははは。

去年は気や血の巡りが悪かったのかたまに体調が下り坂になったものの、風邪など目立った病気には一度もかからず元気に過ごせたので、今年はもうワンランクアップ元気にいきたいと思います。

今年はCommuniation Process Designerって何なの?ってところの、2009年、2010年でまだ出してなかった引き出しをジャカジャカ開けていければなぁ。私の頭の中ではいい感じにCommunication Process Designerモデルが構築されてきてる。だけど、多面的ポリゴンだし聴覚的でもあるし、何より直観的(五感ですらない)なので、どうやって現実世界(他者がいるところ)に表出させるかがチャレンジ。そのためには言語化が必要になってくるのだよー。言語って言うと文字だけになっちゃうから、記号化、かな。絵や色や音も含まれる。建築士が頭の中にある建造物のイメージを設計図に落とし込むように、「自分」という設計図を引いていくことによって他者に伝えて行く。製図するために色んな術(the art)を習得する。それがコミュニケーション。

話し言葉のコミュニケーション、文字のコミュニケーション、色のコミュニケーション、形のコミュニケーション、音のコミュニケーション、間(ま)のコミュニケーション、身体のコミュニケーション、心のコミュニケーション、魂のコミュニケーション。

自分と誰かのコミュニケーション、文化/社会/経済組織におけるコミュニケーション、自分自身とのコミュニケーション、対面でのコミュニケーション、時空間あるいはアイデンティティをまたいだバーチャルコミュニケーション、民族文化や言語を越えたコミュニケーション。

人とのコミュニケーション、他の動物とのコミュニケーション、植物とのコミュニケーション、土や空気や水や光とのコミュニケーション、星や月や太陽とのコミュニケーション。

この文脈でコミュニケーションを日本語に直すと「触れる」かもしれない。「繋がり」ではない。すでに繋がってるから。繋がってるものものに「直接(もしくは比喩的にか)触れる」ことが私の中では大事。

さらに、Communication Process Designerとして、新しい組織論の実験、新しい経済モデルの実験(現行の経済学ではすでに語れないもの)を試みるための土台を創っている最中なのだけれども、ってことはCommuniation Process Designerというプロフェッショナルを育て、根付かせていくためには、これまでのビジネスで必要/有効であったセールス術、交渉術、ブランディング力、マーケティング力、戦略などは一切関係ないのだ、という至極単純当然なことに今朝の瞑想で気づきました。オペレートしている理論が違う(パラダイムが違う)わけだからね。

西洋哲学、心理学、そこから派生する組織心理学に魅了され、学び、実践してきているので、たまーーーーに「心理学はほにゃほにゃだから、それを使っている君は結局うんぬんかんぬん。」と批判を受けることもあるのだけど、私は心理学が醸成された土地柄とは根本的に違った「日本という世界観」から生まれてきているので、私なりの西洋心理学〜組織論の解釈+応用にしかならない。私がいいと思ってる組織心理学の部分しか使ってないしね(笑)。実際、大学院で行き着いた研究は、組織論の根源である機能主義を完全にひっくりかえすような、東洋/日本人的視点+ラディカルヒューマニズム(機能主義と対置されるパラダイムの1つ)から組織論を組み立て直すとか、西洋と東洋という二項対立からではすでに語れない「井口奈保」という視座を徹底的に素因数分解しながらオリジナルの組織論はどこに向かうのか試してみるという論文だったりする。

新年から話はまとまらないわけだが。。。

Communication Process Designer というものは、私の生き様そのものがブランディングになりセールスになり付加価値になること、なのかもしれないな。うむ。

ある意味アンパンマン。「僕の顔をお食べ!」

違うか。

もう1つ最近思ったのが、Communicationを多角的に捉えていく仕事だからこそ、結婚しても産休とっても「現場から退いてブランクができる」心配がまたーくないどころか、パートナーとの人間関係構築、愛情の育み方、出産、育児は究極の修行の場であり、コミュニケーション力に磨きがかかる絶好の機会でラッキー♪

今年も I will BE Communication Process Designer!

A blog post while on the air!

What I miss about America:

I miss raw broccoli, pretzel, beets, artichoke, eggs Benedict, eggnog latte, hot apple cider.

I miss toughness of Chinese American,
liveliness of Mexican immigrants,
humor of African American,
gentleness of Thai,
queerness and particularity of gay people,
craziness of Russian Jews,
assertiveness of Indian,
joyfulness of hippies,
rhythm of Brazillian.

I miss this diversity. Amazingly different lives and values exist out there.

I’m comfortable with being a stranger. I love it.  

30歳最後の数日と31年目最初の1週間

30歳から31歳の変わり目は、19歳から20歳より、29歳から30歳より濃厚だったと思う。新しい仕事に挑戦する緊張、同志を得た時の歓喜、誰かに惹かれる高揚、家族の未知の領域に足を踏み入れる不安と抵抗、聴いているだけで笑顔になってしまう音楽の恍惚、仲間に囲まれる安心感、死と対峙する痛みと哀しみ。そんな色とりどりの感情が大潮のようにやってきた。

11月28日。友人がオーガナイズした温泉でチルアウトミュージックを愉しむという大人な日曜の午後イベントに行く。そこでトリを務めたミュージシャン。私は遠くに座っていたにもかかわらず、部屋に入って来た彼に気付き、何故かはさっぱりわからないが、しばらく凝視した。そしてデジャヴを覚える。演奏が始まった。観客と彼とで最初のチューニングが始まる。

どんなお客さんだろう?
ノリはいいのかな?

この人のギターはどうだろう。
歌声は?

彼のリズム感とアレンジ力は秀逸だった。でもそれよりも、気になっていたのはこの妙な感覚。パフォーマンスの合間合間に入るMCを聞いていてデジャヴのわけがわかった。この人、もしもう1人自分がいて、今と違った人生を歩んでいたらこんな感じだろう、というような人物像にそっくり。物理的にもう1人いたら、という話もそうだけど、今すでに自分の中にいる何人かの自分のうちの1人みたい。「僕の音楽にメッセージなんてない。ただ気持ちいいからする」と屈託のない笑顔で言い切った彼。「ああ、そうそうそれそれ!」と私は心が温かくなった。

11月29日。30歳最後の日。2ヶ月振りの2連休。アメリカから来た友達と遊び、夜は仲間とミーティングと称した前夜祭。

11月30日。お誕生日ファンドレイザーというお調子企画を実施。非常にゆるーーーい企画だったので一体誰がいつ来るのか、何人現れるのかよくわからなかったから内心ドキドキものだった。仕事先のオフィスをお借りしてポトラックパーティー。総勢20名近くの友人がお祝いをしてくれた。空き箱を使って即席募金箱を作成。グラスルーツ感満載。来れないからと国内外から振込んでくれた友達もいて。嬉しいとありがとう以外言葉がない。

12月1日。先月始めた新規プロジェクトのシリーズ第1回が無事終了。アメリカ帰国後からの2ヶ月間続いた大きな山を登り終えた充足感と安堵でこと切れる。

12月2日。MIT教授のオンラインコースの課題に取り組む。personal change project とorganizational (not necessarily professional) change projectを実際に起こしていくというもの。組織文化についての理論と分析法を学ぶ。とてもいい復習。夜はお世話になっている方のイベントに行き、色んな人から話が聞きたいと声をかけていただき名刺を頂戴する。改めて、自分が関わっているものの影響力を実感。イベントもテーマが組織文化で驚く。

12月3日。アポイントメント4件をこなす。夜は仲間と薬膳鍋に舌鼓を打ちつついくつかのプロジェクトの振り返り。なんのためにこんな活動をしているのか?それはビジョンや目的といった達成すべき対象のためじゃなく、 「ただ好きだから。惹かれたから」でもいいのだということ。そして、家族の死と、それに向き合うことに話は及んだ。父が急逝してすぐに近所の道端で見た雀の死骸を思い出す。父の死体と雀の死骸に、違いはなかった。同じ屍。

12月4日。予てより計画していたorganizational change projectに具体的に着手する。大きな大きな一歩を踏み出した。緊張と不安は大きかったが、やってみると普通に時間は過ぎた。問題は、これから続けていくということ。その過程での不確定要素に寛容であること。夜は先週出会ったミュージシャンが地元にライブに来るという偶然を満喫。やっぱり似てる。

12月5日。10年来の音楽踊り仲間たちと集まり、友人の3周忌を祝った。懐かしい映像、音、エピソード。動く彼を、みんな久しぶりに見た。ご両親もいらっしゃっていた。そして、彼と共に音楽を創り続けてきた私の兄のような人と、音と共にしか在れない彼らを支え続けた私の姉のような人。この大事な人たちにとって大事な人は、私にとっても大事なのだと痛感。

曲が未完成のままこの世を去った友人。それをどんな思いで私の兄貴は完成させたのだろう。最後に遺作をライブでしてくれた。彼が遺した彼の分身を、ギターで、ハーモニカで演奏しながら、兄貴はどこに旅していたんだろう。父が遺した手記のことが頭に浮かんだ。半分以上読めていないままだ。来年の春にはこちらも3周忌。感情と記憶はごちゃまぜになり、涙をこらえきれなくなった。

帰り道、鉛のように足が重く、すぐ近くにある駅に辿り着くのにけっこうかかった。体を刺し貫く痛みを伴なった美しすぎるメロディーラインに震撼して、どこにも帰れなかった。そんな時、もう1人の自分かとデジャヴを覚えた彼の幸せそうな声を思い出した。「快楽のために音楽をやっているんだよ」

音楽と共にしか生きることを知らない人々。喜びと暖かさを運ぶ彼らの紡ぐ音色。でも、快楽にもなれば苦悩にもなる。生を愛しむのか、死に誘われるのか。

極上に美しいにもかかわらず、快楽とは程遠かった日曜の夜のライブ。先週の日曜の繊細で無防備で喜びに満ちた時間と、鮮明なコントラストを描いていて、私は体を貫く哀しみに溢れた音楽をどうすればいいかわからなかった。

だけど、同じなのかもしれない。
音はいのちなんだ。

わたしの家は、急勾配の坂の中腹にあった。

自転車で帰るときは辛かったが、寝室の大きな窓から見える景色は格別だった。まっ白い壁の石造りの家が、長い坂道に沿って連なり、まっ青で雲一つない空と、照りつける太陽の光が反射して、町は息づいていた。はす向かいの角には小さなリカーショップがあり、店主とその息子たちは日がな店先でひなたぼっこやキャッチボールをしていた。道路に面したその窓から、恍惚とするほどに透明感がある、青い空の下で毎日を生きる人びとの姿を見ると、まるで小説を読んでいるような気分になった。あの空の色は、日常をドラマチックに色付けた。

しかし、君を最後に見た日、一体空はどんな色をしていただろう。

雨は降っていなかった。いつものように青と白に照らし出された明るい世界だったはずなのに。記憶は茫洋とし、でたらめだった。君は、チェックインカウンターの列に並んだわたしを見送りに来たが、あまりに長いので休みに行くと言い、ゆっくりとたどたどしい足取りで遠ざかって行った。背中を微妙な角度に少しだけ傾げたのが「じゃあ、また。」のサインだったのだろう。人混みに消えていく君に向かって、大きな声で呼びかけようかとも思ったがやめた。振り返らないのはわかっていたから。

それが最後だと、君は知っていたのだろうか。

君がいなくなった後、君が当時持っていた財布を見つけた。中を見るのは躊躇われたが、そのまま放っておくわけにもいかないと開けてみた。喉の奥の筋肉がひきつってきゅっと鳴った。そしてこの目を疑った。わたしを空港まで見送りに来た、まさにあの日の日付のレシートが1枚入っていた。空港へ向かう車の中で、わたしと落ち合う前に立ち寄って軽くランチを済ませたと君が話していたカフェの名前が記されていた。1年以上も前のものなのに。どうして?途端に、記憶は残酷過ぎるほど鮮やかに蘇えり、胸を締め付けた。どうして君はこんなものを後生大事に持ち歩いていたのだろう。想像だけが駆け巡って、思考は行き詰まり、頭がくらくらした。だけど、どうしても空の色が思い出せない。

克明に刻まれた、色褪せた記憶。

今日も窓から見上げた空は、どこまでも高く突き抜けた青だった。来る日も来る日も、鮮烈な空の色が目に焼き付く。それなのに、あの日の記憶が塗り替えられることはなかった。

色がないまま、立ち止まっていた。

Visualize Your Process ワークショップ、またやります。

先月、土曜日の午後半日、机なんて取っ払っちゃって、体を動かして壁にも床にも自由に練習していくというスタイルでVisualize Your Prcess -グラフィックファシリテーション&beyond- ワークショップを行ないました。

来週11月10日(水)19時からは、Change The World (CTW) という会社とのコラボレーション企画で Visualize Your Process を開催します。CTW は日本社会に「創発」を生み出すイノベーターを育てて行くことをビジョンに、そのために必要な技術、知識、体験を多彩な講師陣を招いて提供しています。その名も、表参道アカデミー。

表参道アカデミーでの Visualize Your Process は、平日の夜3時間×3回の計9時間コース。グラフィック・ファシリテーションの基礎知識や、グラフィック・レコーディング(ファシリテーションしないでレコーダーとして徹する)の技術を教えるという根本的なところは揺るぎません。

違うところは、グラフィック・レコーディングをしている時に

  • どんな風に頭の中が動いているの?
  • どうやって情報を整理して、それを視覚的にデザインして、紙の上に落とし込んでるの?

という疑問をモジュールに分け、ステップバイステップで学んでいくスタイルにしました。

実際にグラフィック・レコーディングで使う「情報のレイアウト術」を試しながら、今現在の自分の人生にとって大事なこと、心にひっかかっていることをビジュアルマッピングしていきます。テクニックも学べるし、頭の中を少しクリアにしてあげられる、そんなワークショップです。

まだ残席があるのでお申し込みお待ちしています!

詳細はこちら→ 「表参道アカデミー Visualize Your Process -グラフィック・ファシリテーション&beyond-

11月30日に自分ファンドレーザーします!

TEDxTokyo のオペレーションディレクター、TEDxTokyo yz の代表として活動して2年弱となりました。TEDx は単発/瞬間的ではあれど、多くの人のエネルギーを集める契機となるカンファレンス/イベントです。

その運営を基軸として、

  • おかしなお金の回り方
  • おかしな国の動かし方
  • おかしな学校教育
  • おかしな医療制度
  • おかしな会社勤め
  • 毎日疲れちゃうな〜
  • 東京混み過ぎじゃない?
  • 赤ちゃん育てにくいわよねぇ
  • やりたいことやれてねーなー
  • そもそも働くってなに?

など、「?」を「uh huh!」に変えていくためのアクション・コミュニティーを創る、という私のビジョンを具現化するためにやっている大きなプロボノプロジェクトです。

地球に生きる私たち人間、特にこの愛しき島国に生まれついた自分たちが、おもしろおかしく幸せに生きていくためにはどうしたらいいだろうか、という私なりのアイディアを形にしていっています。

へー!おもしいことしてるね!ということで、TEDが初めて「女性の生み出す未来」というテーマで、12月7,8日にアメリカ、ワシントンD.C.にて開催する TEDWomen に招待されました。

今さらフェミニズム?男女平等?女性起業家?なになに?

と思う人もいるかもしれない。

でも、現実問題「女性」というテーマは世界的に見てまだまだ大きいんだと思います。社会的、経済的、宗教的、生理学的、身体的、、、、な視点から言って。こういった切り分けや既存の概念を越えた、女性のありのままを伝える場がTEDWomen であることを期待しています。

で。

この栄誉あるオファーを受けたい!

とは言っても先立つものが必要です。

そこで、11月30日は31歳の誕生日なので、その1週間後の12月6日に旅立つ私にプレゼントとして、渡航費及び滞在費をサポートしてはいただけないだろうか、とファンドレージングお誕生日会を開くことにしました。なんとちょうどいいタイミングにお誕生日がやって来るのだろう!なんとずる賢い私(fundraiser culture Bay Area で培ったポジティブマインドと受け取っていただければ幸い)。

かわいい子には旅をさせろじゃないですが、日本女子力を世界に!ということで、お誕生日を一緒にお祝いしていただけたら嬉しいです。

場所:TBA (都内某所)

時間:夜(多分19〜22時くらい)

目的:お誕生日会及び、TEDWomen参加の渡航滞在費をお誕生日プレゼントとしていただく(爆)

内容:企みちう

ご興味のある奇特な方はコメント、メールください。

ツイッター @nafnaf

よろしくでーす。

感謝の瞑想

瞑想、座禅といったものに関心を持ち始めたのはおよそ10年前。大学生の頃だった。それから、色んな種類・流派を体験した。時にはまったく離れてしまう時期もありながら、自分の無意識を探求し、魂と繋がり、知恵を培う時空間である瞑想をのらりくらりと続けてきた。友人曰く、「種を持ち続けた」。

じょじょに自分の生活に浸透してきたのはアメリカに住んでいる頃。「多感な時期」とは10代の思春期に使う表現だが、私にとっては20代こそさらに多感な時期で、迷ったとき、苦しい時、心を鎮めたい時に座った。

それが、自分の中で「あ、毎日座ろう。」とごく自然に切り替わった瞬間があった。今年の6月だ。毎日座るように努力して日課にする、I try to sit everyday ではなく、毎日座る、I sit everyday。自分の内側から能動的に、空気を吸うがごとく不可欠なものとなるのは、こういうことなんだと実感した。瞑想会や禅堂でおこなうほど長時間はやっていないが、毎朝5〜20分座っている。

今朝はまた切り替わる「その瞬間」があった。私は直観的で大らかでおおざっぱなのだが、一方、実は小心者でものすごい細部にこだわる。プランを立て、ロジカルに整理をして物事を進めていく。事前準備は怠らない。カバンの中にはいつもなぜだか「◯◯持ってない?」と友達に聞かれた時にさっと出せるようなものが入っている。ウェットティッシュとか、携帯の充電器とか、安全ピンとか、頭痛薬とか、糊とか。だから、朝、目覚めると頭の中にはTo Do Listが浮かんで、ちょっと心配気味に起きることがよくある。たまに、明け方の夢の中でさえconcernsが表れて、起きる前から焦っていることもある。心配性。そうすると、寝ている間も胸や肩のあたりは固く収縮し、疲労を貯めてすっきりしないまま起きる。

今日も首、肩、肩甲骨のあたりをほぐしながら瞑想に入った。一昨日、青山の禅堂で長めの座禅をしたので数分で深い状態に入っていけた。体全体へ意識が周り、頭で思考をしながらも身体感覚を保持する。背中や腹筋の微妙な筋肉の位置を整えた。

そしてふと、言葉が降りて来た。

「毎朝『あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ。何時の電車に乗って何をするんだっけ?』と考えて胸をきゅーっとさせる前に、こうやって温かいお布団で寝られて、五体満足で起きられて、生い茂る木々の向こうに透ける青空を朝から見られ、好きなことをして日々を過ごせることに感謝して、幸せな気持ちになればいい。」

頭の中の自分が囁く、というのでも、空から知らない誰かかが話しかけてくるのとも違う(それは幻聴!)。文字通り、自分に降りて来る言葉。魂からの知恵。

言葉に従って1つ1つに感謝をしたら、頬の筋肉が緩み、舌が落ち着き、背中の凝りからくる痛みもすーーっと消えて体が温かくなってきた。

チベット・ハート・ヨーガでやる感謝の瞑想。ヨガの時に習った。頭では感謝の大事さを知っていて、感謝の祈りのマントラを唱えたけれど、実践はこれか!と悟った。

これが感謝の瞑想だ。

 

Visualize Your Process ワークショップのこだわり

先週の土曜日に

Visualize Your Process 〜グラフィックファシリテーション&beyond〜

というワークショップをしました。

photo by Junya Mori

満員御礼ありがとうございました。12名の参加者+3名のチームメンバー+わたし

場所はgreenz.jpのオフィスをお借りしました。(ありがとー!!!)

1年半くらいグラフィックファシリテーション(GF)、グラフィックレコーディング(GR)をやってきて、たくさんの方から「これってどうやったら学べるんですか?」という質問、「教えて下さい!」というリクエストを受けてきました。これまでは依頼された組織へ向けてのクローズドなワークショップしかやっていなかったんだけど、この度、満を持してGFのオープンワークショップをしました。複数のファシリテーターやコンサルタントと組んでチームベースで仕事をする場合が多いので、今回のように自分1人でプログラムの骨子を考え現場を回していくというのは、実はけっこう久しぶり。(企画初期段階からサポートしてくれている、玲ちゃん、さとぽ、チャーリーというチームがいますが、ファシリテーター/トレイナーとしてはピンで入った。)

in-houseトレーニングの場合は、GRのテクニックのみを教える場合が多い。だけど、Visualize Your Process は私発信のサービス/プロダクトなので自由奔放に創りました。GFという側面だけではなく、コミュニケーション・プロセス・デザイナーとしての価値観をプログラムの隅から隅まで盛り込んでいきました。グラフィックレコーディングの技術、ファシリテーターとしての心得、普段の殻を破って創造的にアイディアを膨らませていくこと、ワークショップという経験をどうやってデザインしていくか、そんなことを体感し学べる場。

プログラムそのものの説明は置いといて、ここでは裏側のこだわりについて話そうかと。

(参加者の1人、@DiscoveryCoach さんがブログに書いて下さっています。どうもありがとうございます!!)

【こだわりポイント1】部屋のレイアウト

英語では “out of the box thinking” などと表現される、自分の殻を破って考え行動すること。これが重要ってのは理解できるけど、いきなりやれと言われてもどうすればいいのかわからない。そこで、物理的な環境を少し変えることにより行動パターンを変え、結果、考え方の転換をもたらすという認知行動学的なアプローチをワークショップの会場デザインでやってみました。

って、論理的にエラそうな説明してるけど後付けで、パッと思いついたアイディアをやってみただけです(笑)。

具体的には、机と椅子は取っ払い、広い空間を作って床に直接座るスタイルにしました。講師/ファシリテーターである私と参加者の間に遮るものは何もない。必要な人は椅子、机を出してこれます。私も床に座ったり、椅子に腰掛けたり、立ってGFしたり、常に体を動かしていました。

床にGFで使用するロール紙を敷き詰めて、カラーマーカーを参加者の手の届く所にたくさん用意。巨大な白い紙の上に座って好きなことを書いたり、GRの練習ができるようにしました。もちろん、壁にもアメリカから持ち帰ってきた120センチ高のロール紙を貼り、参加者みんな立ち上がって、全身を使って思い思いに縦、横、斜めに線を引っぱり、円を描き、アイコンやレタリングの練習をくり返しました。

Photo by Junya Mori

 

【こだわりポイント2】Psychological Safetyを創る

サイコロジカルセーフティーとは心理的安心感のこと。初めて会う人と一緒に初めてのことを学ぶ時、私たちは精神的に不安になり緊張します。自分の言動が「正しい」かどうか疑念が生まれ、技術的に下手な部分を他人に見せるのは羞恥心が先立って体が固くなってしまう。こういった気持ちを和らげ、新しいこと/苦手なことを試すというリスクのある行為をするには、それ相応の準備が必要になります。

そこで、ワークショップ開始と同時にアイスブレーカーに「うろ覚えお絵描き」をして、

「絵が苦手な私でもグラフィックファシリテーションできるの?」

という多くの人が持つ不安を溶かしてあげました。私のうろ覚えドラえもんやバカボンのパパを見たら「奈保さんは絵が上手だからグラフィックファシリテーションできるんですよ」などと口が裂けても言えないだろうなぁ。。。かんなり変なもん描く時あるからねー。

ちなみにこれが私のうろ覚えスネ夫と

 

うろ覚えアンパンマンです。

これでいいんですよ。十分(笑)!

参加者同士が親しくなっていくことも大切。緊張がほぐれ、Psychological Safetyが醸成されます。そのために、そこまでダダっ広くない部屋を選び、人数も許容範囲ギリギリまで入れました。こうやって物理的に密な距離感になると(しかも机や椅子という、他者との身体を切り離すものも入れなかったので)自然と親近感が生まれます。あと、実はどーーんと広い空間で野放しにするより、少し詰まった感じの方がクリエイティブになれたりして。

Photo by Junya Mori

【こだわりポイント3】おいしいお茶

創造性や刺激に富んだ発想は視覚からだけでは生まれない。味覚や嗅覚も重要な感覚器。視覚よりも記憶に残る場合があります。と、これももっともらしそうな説明で、要は、私がおいしいもの食べるのが好きだから、みんなにもおいしいものを食べて欲しい!ってシンプルな気持ち。その方が絶対に楽しくなるでしょ。笑顔になるし、会話が弾む。

というわけで、おいしいお菓子と飲み物を用意しました。私が大好きな地元のお菓子屋さん、ラマーレ・ド・チャヤのクッキーと、フレンチパン屋さんのブレドールからチーズとココア2種類のラスクと、有明屋さんの胡麻せんべいと昆布あられ。甘い系としょっぱ系バランス良くね。飲み物は数種類のフレーバーコーヒーと、秋を感じさせる「いもくりかぼちゃ茶」というルピシアのブレンドティー。飲むと本当にほっこりイモ、栗、カボチャの香りが鼻孔をくすぐるんです。スイートポテト食べてるみたい。ノンカフェインの黒豆茶も用意しました。

短いトイレ休憩を数回より、1度のお茶の時間をしっかり入れた方が心身がリフレッシュできるし、ワークショップというシチュエーションを少しでも外れた雰囲気で参加者同士が交流できるので使える仕掛けです。

【こだわりポイント4】匂い

コーヒーや紅茶と同じように、お部屋全体の香りも大事。あと、匂いで気になるのはやっぱりおトイレ。メイン会場が綺麗でも一旦そこを出ると「くわっ」ってなっちゃうのはイヤだよね。というわけで、おトイレの飾り付けと香り付けにも気を配りました。秋らしい一輪挿しをし、タオルを用意し、レモングラスのお香を焚いて快いおトイレ時間を!

【こだわりポイント5】私が自然体であること

ワークショップという場の責任者=ホストであり、参加者を楽しませるエンターテイナーであり、GFを教える先生であり、参加者同士のコミュニケーションを生み出していくファシリテーターであり、というように、私が何役もこなすのが “Visualize Your Process” の肝なんだなーと、やってみて実感。

こうやって場の状況に応じて即興で変幻していくには、何よりも私自身がリラックスしていないといけません。私が緊張していたり焦ってしまっては、それが参加者へ伝播し、私はますます立て直そうと頑張り、、、どんどんドツボにはまっていきかねない。そのため、ワークショップのイントロでプログラム概要やhouse keeping info(携帯電話、飲食、トイレの場所等のエチケットに関する基本情報)を説明する際に、自分がもっとも効果的なコミュニケーションをするために以下のことを伝えました。

  • 友人/知人が参加者の場合、講師ー参加者という関係性ではなく、いつも通り友人としての呼び方、話し方で接っする

これまで同僚や友達が私のワークショップに参加してくれた時、「ファシリテーター」「トレイナー」というプロとしての社会的役割を果たそうとすることに気を取られていました。普段は名前で呼び合ってるのに「さん」付けにしたり、丁寧語で話しかけることで、友人としての自然な距離感が崩れ、妙によそよそしくなり、私は違和感に苛まれ、結局、ファシリテーターとして効果的に立ち振る舞うことができないという事態を経験しました。去年は、違和感にさえ気づかなかった。今年は、違和感に気づき始めたけれど何が原因がはわかっていなかった。それが最近、「はっ!!」っと発見したんです。なので、今回はしょっぱなに「今まで通りの距離感で」と宣言してみました。初めて出会った参加者に対しては、初めての人として接することも伝えました。

普段の生活において、親しい仲間と新しい人と同時に過ごす機会ってよくある。ミーティングの時や、ご飯を食べに行く時。要は、そういう普段の状況下において私が自然に取る態度を、ワークショップという枠組みの中でも取りたかった。ワークショップだからという理由で、さらに違ったレイヤーをコミュニケーションの中に敷きたくなかった。

私にとっては効果的な戦術だったと思います。

Photo by Junya Mori