人生をアートするとはなにか。
人は私をアーティストだと言う。
だから私はアーティストを名乗ってみることにした。
すると(私のことを知らない)人は問うてくる。
「あなたのアートは何ですか?絵ですか?彫刻ですか?」
ストリートパフォーマンスですか?踊りですか?歌ですか?」
「どうやって発信するんですか?エキシビションはいつですか?」
文章を書くのが好き。
絵を描くのは好き。
歌を歌うのも好き。
音と自然に包まれて踊るのは至福。
でも、既存の「これがアートです」という出力方法に囚われず
私独自のアート表現を生み出したい。
楽器、絵の具、コンピューター、劇場といった
エクスターナルなメディアを介して表現をするのではなく、
コミュニケーション、身体、意識そのものを取り扱う。
つまり、自分自身がメディアである。
だから、コミュニケーションプロセスデザインという職業を生み出し、
組織の目的や機能構造ではなく、組織文化をベースに組織を作るという
違った組織デザイン方法を生み出し、
コミュニティ生成が思想の表現形態となり、
生き様に対して愛をもってお金を流す実験を始めた。
どうやって私の生そのもの、
日々の呼吸の一つ一つ、
そこから生まれる一つ一つの意思決定、
意思決定が導く出来事の数々が
アート表現となりうるのだろうか。
社会(圧倒的多数の他者)から「アーティスト」と
認められることを欲していない現時点での私は、
それを無視して自らの探求活動に埋没すればよいのかもしれない。
人からの認識や格付けに依らなくても、自らの内に平安なる静寂をを作れるようになり、
これまでのアイデンティティを静かに手放す練習をしている。
これから先にまた社会や地球に捧げるフェーズがくるのかもしれないけれど、
今は純粋に命を日々、社会貢献や自己実現や目的達成のためではなく、
他の動物や植物のように営むことに充足がある。
意味を見いださなくても、自己が崩壊せず健やかにいれるのだ。
平和ではないだろうか。
何をしていても呼吸に常に気づき、
現実と夢の意識を地続きにすることが
言うなれば私のアート表現の練習だ。
さっとデッサンしたり、ゴルフの素振りをしたり、
シュートの練習をしたり、ピアノを何時間も弾くのと一緒だ。
寝ている間もやっているので、文字通り24時間練習している。
私が追求したいアートは、人間という動物の本来性を知り、
意識と身体の繋がりを拡張させていくことだ。
これだけにフォーカスする生活を送るにはどうしたら
よいかを模索していくのが2年目である。
ワープの入り口に近づいている。
ベルリンに渡って1年未満でAFTER25という作品を発表できたのは喜びだ。
様々なジャンルの人を繋ぎ、直観が教えてくれたベルリンの魅力と
事実とのボタンを一つ一つ掛け合わせながらストーリーを作り、
インスピレーションを与えることができた。
過去にTEDxTokyoとTEDxTokyo yz、Art of Social Innovation, xyzActionなど
いくつものコミュニティ作りを通して学んできたことが結晶化できた。
日本という古巣とベルリンという新天地をまたいで作れたから、
一つ行き着いた気がしている。
1年目をどう(社会と接続するための)アート表現に落とし込むかも考えていきたい。
他者とのやり取りで感じているつっかかりは、
お金を愛で流すという「パフォーマンス」(アート用語での)をしているが、
テーマがメタシステム過ぎて端から分かりにくいことだ。
お金の巡り方そのものを変え、その変化が人の認知、行動、心理や関係性をも
変化させていくという現象を引き起こしているのだが、
ログ&発信をしていないこともあり、アート作品として捉えにくくなっている。
いずれにせよアウトプットをすぐに(2014年中)開始できる感覚はないが、
きっと複数アーティストと境界を越えた共同作品になるだろう。
生きることをアートにする。
今はそれを本能に従ってもくもくと実践し、時がくれば社会と接続し、
他者から受ける期待値を超える明確なアウトプット(アート表現+社会変革)を出せると思っている。
私たちが生きている間はわからないが、
将来、経済活動は芸術そのものになると思う。
ソーシャルグッドやトリプルボトムライン、ソーシャルエンタープライズという
ここ数年で生まれてきた経済の価値軸の向こう。
芸術そのものが経済活動になっていったら、
貧富の差や第3諸国の紛争問題が劇的に変化し得る。
それは、リソースが少なくても、農業や工業や知的財産を製造しなくても
芸術そのものが生きるための活動となるからだ。
自らをアート作品とする。
自らを問いかけとする。
私を見て、人が「これは一体なんだろう?どういうことなんだろう?」
と問い始める存在となること。
マージナルであること。
曖昧であること。
手ではすくえないこと。
でも真理と確かさがあること。
“Thank you for making your life a piece of art.”
パリジャンがかけてくれた言葉が耳の奥で鳴る。