死は与えられるのだろうか?

宿の管理人さんの運転する車で眠りこけていて、起きたら崩れた校舎と、花に飾られた墓石が目の前にあった。なんとはなしに北上川沿いの道を河口に下っていってぶつかったのが大川小学校だった。60余名の子供の命が亡くなり、避難経路の確認や遺族からの訴訟が始まっているらしい。この立地ならば、もしすぐ隣の山に逃げていれば助かっていただろうに、という思いを拭い去ることはできないだろう。でも、生き物の生死に「もし」はない。死ぬのだ。否応なく。どのように死がもたらされるか、そこには私たちの力の入る余地はない。

先導した先生たちに、子供たちの死への責任はあるのか?ないのか?墜落した飛行機のパイロットに、乗客の死の責任はあるのか?ないのか?いじめを受けて自殺をした子をいじめていた人たちに、その子の死の責任はあるのか?ないのか?暴行殺人に及んだ犯罪者に、被害者の死の責任があるのか?ないのか?

闘病を必死にして死の準備をして死んでいく者と、突然交通事故で死ぬ者と、彼らの死には何か違いがあるだろうか。後者は本人が予期していず、無念だと感じながら死ぬかもしれない。それが問題なのだろうか。問題ではないのだろうか。前者の方が自分の死に責任をもっているのだろうか?いないのだろうか?

死は他者から与えられうるものなのか?
死は自ら選び取ることができるのか?
死の範囲とはなんだろうか?
あるいは、死の責任の範囲とはなんだろうか?

私の死は何によって与えられるのだろう。

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