キーワードは「触れる」

2011年。

また1つ新しい年を迎えました。どうぞよろしくお願いいたします。

2月は旧暦新年、4月は年度の始め、7月末はマヤ暦の始め、9月はアメリカでの年度始めなので気持ちを新たにする時期って一年に何度もあるんだけど、西暦の1月1日は世界中の多くの地域で共有しているものだし、小さい頃から馴染んでいるから大事な習わしだなぁ。

私は1979年11月生まれなので数えで33歳になりました。(生まれた時点で1歳で、1980年1月1日ですぐ2歳になるから。)本厄、しかも大厄なるものらしい。厄に科学的な根拠はないと言うけれど、「だいたいこの年齢になると体にガタが来るのよね〜。」という事実の観察に基づいた東洋的統計学なのだと思う。「いや、データなんてとってないけどさ、だってそうじゃん?」というような。人間の自然な成長(=老い)や、社会的立場の変化が影響して、多くの人が心身の変化を経験するのだと。なので、大厄だからと恐れるのではなく、暴風波浪警報的に受け取っていきます。気をつけはするけど毎日びくびく過ごせないし、どんなに事前に対策取ってても結局来ちゃったらそれまでだもんね、ははは。

去年は気や血の巡りが悪かったのかたまに体調が下り坂になったものの、風邪など目立った病気には一度もかからず元気に過ごせたので、今年はもうワンランクアップ元気にいきたいと思います。

今年はCommuniation Process Designerって何なの?ってところの、2009年、2010年でまだ出してなかった引き出しをジャカジャカ開けていければなぁ。私の頭の中ではいい感じにCommunication Process Designerモデルが構築されてきてる。だけど、多面的ポリゴンだし聴覚的でもあるし、何より直観的(五感ですらない)なので、どうやって現実世界(他者がいるところ)に表出させるかがチャレンジ。そのためには言語化が必要になってくるのだよー。言語って言うと文字だけになっちゃうから、記号化、かな。絵や色や音も含まれる。建築士が頭の中にある建造物のイメージを設計図に落とし込むように、「自分」という設計図を引いていくことによって他者に伝えて行く。製図するために色んな術(the art)を習得する。それがコミュニケーション。

話し言葉のコミュニケーション、文字のコミュニケーション、色のコミュニケーション、形のコミュニケーション、音のコミュニケーション、間(ま)のコミュニケーション、身体のコミュニケーション、心のコミュニケーション、魂のコミュニケーション。

自分と誰かのコミュニケーション、文化/社会/経済組織におけるコミュニケーション、自分自身とのコミュニケーション、対面でのコミュニケーション、時空間あるいはアイデンティティをまたいだバーチャルコミュニケーション、民族文化や言語を越えたコミュニケーション。

人とのコミュニケーション、他の動物とのコミュニケーション、植物とのコミュニケーション、土や空気や水や光とのコミュニケーション、星や月や太陽とのコミュニケーション。

この文脈でコミュニケーションを日本語に直すと「触れる」かもしれない。「繋がり」ではない。すでに繋がってるから。繋がってるものものに「直接(もしくは比喩的にか)触れる」ことが私の中では大事。

さらに、Communication Process Designerとして、新しい組織論の実験、新しい経済モデルの実験(現行の経済学ではすでに語れないもの)を試みるための土台を創っている最中なのだけれども、ってことはCommuniation Process Designerというプロフェッショナルを育て、根付かせていくためには、これまでのビジネスで必要/有効であったセールス術、交渉術、ブランディング力、マーケティング力、戦略などは一切関係ないのだ、という至極単純当然なことに今朝の瞑想で気づきました。オペレートしている理論が違う(パラダイムが違う)わけだからね。

西洋哲学、心理学、そこから派生する組織心理学に魅了され、学び、実践してきているので、たまーーーーに「心理学はほにゃほにゃだから、それを使っている君は結局うんぬんかんぬん。」と批判を受けることもあるのだけど、私は心理学が醸成された土地柄とは根本的に違った「日本という世界観」から生まれてきているので、私なりの西洋心理学〜組織論の解釈+応用にしかならない。私がいいと思ってる組織心理学の部分しか使ってないしね(笑)。実際、大学院で行き着いた研究は、組織論の根源である機能主義を完全にひっくりかえすような、東洋/日本人的視点+ラディカルヒューマニズム(機能主義と対置されるパラダイムの1つ)から組織論を組み立て直すとか、西洋と東洋という二項対立からではすでに語れない「井口奈保」という視座を徹底的に素因数分解しながらオリジナルの組織論はどこに向かうのか試してみるという論文だったりする。

新年から話はまとまらないわけだが。。。

Communication Process Designer というものは、私の生き様そのものがブランディングになりセールスになり付加価値になること、なのかもしれないな。うむ。

ある意味アンパンマン。「僕の顔をお食べ!」

違うか。

もう1つ最近思ったのが、Communicationを多角的に捉えていく仕事だからこそ、結婚しても産休とっても「現場から退いてブランクができる」心配がまたーくないどころか、パートナーとの人間関係構築、愛情の育み方、出産、育児は究極の修行の場であり、コミュニケーション力に磨きがかかる絶好の機会でラッキー♪

今年も I will BE Communication Process Designer!

組織論 再考 Organization is to die.

最初のエントリーはどんな内容にしようかいくつか迷ったけれど、私の専門「組織心理学」の大黒柱とでも言うべきOragnizaion Theoryについて院生時代から考えていたことを記してみまふ。

昨年、twitterで組織論に関する考察をツダったのでまずはそれを紹介。

  • 新しい組織論を構築する上で、その上位部分を形成する経済理論を見直すことは不可欠。院生時代に資本主義の次のイデオロギーを考えてる学者はいないか尋ねたら、教授はコミュニズムから資本主義 をスキップして次にいこうとしている中国の経済学者はマルクスを読み直していると言っていた。中国語わかる組織論、組織心理学やってる人いないかねぇ。
  • 「経済成長をしなければならない」という命題は真なのか?この前提から考え直さねばならない。これは「組織は拡大成長し続けなければならない」という前提も同様だ。

これらの発言の裏にある私の問題提起は「現行の組織論への違和感」。組織論の根底には「機能主義」というパラダイムが脈々と流れています。例えば18、9世紀の哲学者、コント、カント、ヘーゲル、ディルタイ、ミード、ウェーバーなど。

機能主義というのは、「社会」という箱のなかで、人間が起こす多様な事象がパズルのピースのようにかちっとはまって相互に影響し合ってる様や、どんな風に個々のパズルピースとしての役割を担っているかを分析するもの。

別の言い方をすると、社会ってのは人間が客観的に捉えられるもの、「外」に「対象物」としてれっきとしてドーーーンと存在しているよね、という世界観。禅仏教や脱構築などとは鮮やかなコントラストを奏でる理論。

組織心理学の前身である「サイエンティフィック・マネージメント」の祖と言われるフレデリック・テイラーは、1つの製品を作り上げるための様々な行程作業を緻密に分析し、以前は統一されていなかった労働者の仕事に作業内容、労働時間、クオリティーなどの標準を設定し、上から管理することによって作業効率をあげていくというシステムを導入しました。

機能主義に根ざした組織論の大前提は「組織というのは時間と共に拡大し、また、競争の中で生き延びていかなければならない」。これは組織論ができた資本主義最盛期の20世紀は有効な価値観だったでしょう。でも、今、実際に世の中で起こっていることは、チームベース/プロジェクトベースの仕事の仕方だったり、テクノロジーを駆使して地理的/時間的距離を縮め、国や文化を越えたところでビジネスが生まれていたり、ソーシャルメディアの躍進による個人の台頭であったりで、これまでの巨大な組織がその目的遂行のために集団を管理していくという形からは離れていっており、より多くの点が線で縦横無尽に結ばれていくネットワーク型の組織体系が増えつつあります。成功例かどうかはまだ実験段階でわかりませんが、EUだってその例。国家のボーダーを越えて経済的、社会的リソースを運搬、共有し合っている。

チームベース/プロジェクトベースの働き方という点で言えば、プロジェクトが終わったら契約は終わり、そのチームは解散、自分の仕事も終わります。つまり、半永久的に規模を拡大し生き残っていかなければならないという、組織論がこれまで疑問視してこなかった命題は揺らぎ始めている。

そこで私がでっち上げた新しい組織論は「組織は死んでもいい」。別に社員数が数百人、数千人にならなくたって、店舗数増やさなくたって、自社ビル持たなくたって、上場しなくたって、目的が終わったら「会社は今日で終了です!」とか言っちゃう企業ができてもいいじゃないか。