2010年10月25日午前11時の想い

父が他界してからちょうど2年半が経った。般若心経を日常的に唱え出してからも同じくらい(それまでは禅堂に行った時だけだった)。初めて一度も教典を見ることなく、目を閉じたまま、間違えずにスラスラと唱えられた。お経を唱えてると次の部分の音が自然とぽわ〜っと浮かんで来て導かれたから間違えなることがなかった。自分が口から唱えている現在の音と、頭の上に浮かんでいるちょっと未来の音。物理的な音と心の音の重なり。それは不思議な体験。

これまで、哀しみを癒そうとプッシュにプッシュを重ねたCoping Process に臨んできたけれど、今朝新たに気づいたのは「哀しみは癒えない」ということ。この2年半、ヒーリングのためにあらゆる手段を尽くして来たからこそ辿り着いた場所が「今のココ」なのだから、これまでの試みや成し遂げたことはcrucialなことだった。だけどやっぱり、哀しみは癒えないのだ。哀しいのだ。

哀しみを癒そうとするのではなく、この巨大などうしようもない哀しみを、そのまま自分の一部としていくしかないんだな。だから、絶望から這い上がるために、そして、哀しみを癒そう/埋めていこう/少なくしていこうとするためにビジョンに向かって行動を起こしたり、新しい幸せを築こうとするのではなく、純粋に単純に自分にとって心地よく、素敵なアクションをとっていけばいい。

月は、欠けた部分を補完するために満ちるのではない。というか、本当は欠けてない。いつでも丸い。私たちの角度から見ると欠けているように見えるだけ。欠ける時もあれば満ちる時もある。

私も、生きていく中で哀しみや喪失があっても、本当はいつでも丸いんだ。だから、本当に欠けちゃったと錯覚してそこを補完しようとしても、より倦怠と悲愴を生むだろう。翳ってしまった欠けたように見える部分を、また見えるように照らしていけばいいんだ。

私は10年後も、30年後も、今と同じだけ父を失った哀しみに涙を流すだろう。

そういうもんなんだ。

 

皆既日食

私にとって皆既日食は、ソウルメイトとの約束です。

同じ場所から、共に、くっきりと、太陽が月になり、そして消える瞬間をこの目に納めること。

2005年春、「パナマに皆既日食を見に行く」と彼は言いました。日本から中米へと太陽を追って旅立った彼を北米から見守りました。

同じ夏、その足跡をどうしても辿りたくて、私はメキシコ、グアテマラへ赴きました。テオティワカンの太陽と月のピラミッドの上から広い空と大地を眺めながら、ティカル遺跡のピラミッドの上から深いジャングルを見下ろしながら、ソウルメイトの確かな温もりを感じました。

2006年3月、彼はトルコへ皆既日食を捉えに行きました。私はその時も夢叶わず行けませんでしたが、当時住んでいたバークレーの家から瞑想をして繋がりました。

2009年7月、日本に戻っていた私はいよいよこの足で皆既日食ハンティングに出ました。種子島の海辺で1週間キャンプをしながら待ちました。彼は硫黄島の近くで船上から日食を待ち望んでいました。当日は曇りでダイアモンドリングは見えなかったけれど、皆既の時に訪れる神秘的な暗闇を体感し、心から畏怖の念を感じました。

2010年7月11日、イースター島での皆既日食。彼はまた旅立ちました。私はライブストリーミングで、完璧な雲一つないダイアモンドリングを初めて目にしました。今頃その余韻に浸って、笑顔で海と空と太陽を噛み締めているんだろうと思います。

次は2012年11月。約束を果たしに向かいます。