セクシャリティー、センシュアリティー、そしてインド。

明けました2月。

前のブログエントリーにも書いたのだけど、私が創っている「コミュニケーション・プロセス・デザイン」という概念/アプローチの根底には、ビジネスとかプライベートとか政治とか教育とか医療とか、子供とか大人とか、人間とか動物とか植物とか、私たちの認知が生み出す境界線を取っ払ったところで、生きとして生けるものとしてコミュニケーションの本質を捉えたい欲求がある。

愛情と信頼ある関係性を築くためのコミュニケーションをしましょ、ってこと。

愛情は自分へ向けて。

周りの存在へ向けて。

でもそれは机上の空論ではなく、行動に落とし込める実践哲学。

だから、ビジネスの文脈で翻訳コンニャクなら、組織変革のコンサルティングになったり、グローバルリーダーシップの話になったり、イノベーション創出の場作りになったり、おもしろ人材育成トレーニングになったりする。

教育の文脈に翻訳コンニャクならば、大学生にプロジェクトマネージメントって何よって一緒に考えたり、小学校の先生にグラフィックファシリテーション教えたり、子供と一緒にガラス窓に絵を描いたりする。

個人のライフスタイルの文脈に翻訳コンニャクなら、キャリアチェンジのコーチングになったり、米MBA合格に向けて「俺って何者?」的英論文をサポートしたり、体と頭と心をシンクさせてあげるお手伝いをしたりする。

それ以外のたくさんの場面でも翻訳コンニャクを使う。

愛情と信頼を生み出すコミュニケーションをするための基盤には、「セクシャリティー」と「死生観」としっかり向き合うことが不可欠だという結論に今のところ達しているので、この2つのテーマにゆるっと切り込んでいきたい2011年。

本当は「センシュアリティー」という言葉を使いたいのだが、カタカナ語として聞き慣れないからセクシャリティーにしている。もっと本当を言うと、カタカナ語も撤廃したいので「何かないもんかねー」と思っていたら、昨日、尊敬する方とランチをご一緒した時に彼の口からこぼれ出てきた。

「教育って色っぽくて魅力ある人間を育てることと言い換えることもできるよね。」

ああーーーっ、それそれ!!

誰でも魅力ある人になりたいし、誰でも魅力ある人と一緒に時間を過ごしたい。会社の上司でも、バカやる仲間でも、恋をする相手でも。そして親になれば、子供に魅力ある人に育って欲しいと多かれ少なかれ感じるのでは。

私たち日本人の馴染みある場所で、ビジネスリーダーに対して「色っぽい」という表現を使うことはまずない。女性リーダーに対してであればジェンダー問題も出てくるからなおさらのこと。

組織学の中のリーダーシップ論で、フェミニズムの寵児であった女性2人の学者が “Leadership” という言語を脱構築していく論文を読んだことがある。ポジティブな意味合いで利用されるリーダーシップ”Leadership” という単語と、ネガティブな意味を含みやすい女性を揶揄するセダクティブ(魅惑的な、誘惑する)”Seductive” という単語。実は、辞書内の定義や2つの単語が使われている様々な文章を比較すると、両単語の持っている性質は驚くほど同じ。単語を入れ替えて文章を読んでも意味が通じるくらいなのだ。

言語的な意味合いは同じであるにもかかわらず、リーダーシップは好意的に、セダクティブは否定的に解釈されるのは男性優位な社会構造の影響に他ならない、という論旨。

これがニュートラルに受け取られてるのがフランス。色っぽさ、艶っぽさを性的な意味としてだけではなく、性別関係ない人間の魅力として捉えている。というより、性的な魅力が社会的にタブー視されていず、ビジネス、政治、文化などの分野に関係なく、普通に1つの魅力要素として見なされているらしい。”sensualite”  という単語だそう。

やっぱ、センシュアリティーって言葉の方が私が言いたいことにしっくりくるなぁ。それを日本語化すると「色っぽさと魅力」になるのだなぁ。誤解されやすい響きだけども。

色っぽさ、魅力が漂ってくる人間になるには、セクシャリティー/センシュアリティーと死生観の構築が大事。

このポイントと関連があるね、と彼と話して盛り上がったのが、私たちの中にある心理学的な女性性と男性性。双方のバランスが取れている人、女性性を受け止め表現できている男性と、男性性を受け止め表現できている女性は優れたリーダーですよね!という体験談。

自分の性的なニーズを満たすためには、女性性と男性性を両方活性化させなくちゃいけない。それができている人は個としての自尊心と自信が生まれ、自己へ溢れる愛情を注げ、最終的には「自分」とか「他人」というアイデンティティみたいなものから解き放れた段階に進む。

ユング心理学、人間性心理学、社会構築主義、脱構築、組織論、リーダーシップ、教育、セクソロジー、コミュニケーション。大学時代から辿ってきた色々な分野がネットワークになってきてるわ。

そして、昨日のランチでもう1つ示唆的な言葉をいただいたので最後に記しておく。

「女性性と男性性の秘密はインドにあるかも。」

2週間後にはデリーだ。

原点回帰

コミュニケーションプロセスデザイナーなどと、何だか捉え所のない仕事をでっち上げてやっていると、「それって何なんですか?」「それで将来は何をしたいんですか?」 「どうしてそれをやろうと思ったんですか?」と訊かれます。

「直観だからよくわかりません。」

「言葉では説明できないんです。」

「積み重ねてきたもので、大きなきっかけは特にありませんでした。」

というのは常套手段な模範回答。まったくその通りだから、私もこう答えることはしょっちゅう。でも一方で、質問を受けるとやっぱり考えるようになります。

それに、せっかく関心をもって聞いてくれた人にできるだけわかってもらえればと思うので言葉にしようとします。自分を観察し、内省し、考え、 感じ、誰かに話してみたり1人でノートに書いてみたり。「ここ (自分の胸に手を当てて)にあるものは何なのか?」を探ってきました。

で、ここ最近わかったことは、コミュニケーションプロセスデザインの根源とは『愛』と『信頼』です!

え?!考え抜いて抽象論かよ?と突っ込まれそうですが、愛と信頼って実践論でもあるんだよね。人間が生きてくために。

どうやって愛を育むか、どうやって信頼関係を築くかという、年齢も性別も職業も肩書きも産業も国籍も民族も関係ない(つまり、どんな場面でも必要になる)コミュニケーションの核を伝える職業?役目?

それが私の思い描くもの。

コミュニケーションプロセスデザイナーを拡張させるべく、今年やりたいと思っている新しい試みの2つ。

  1. 愛する人を失った死を感じ、蓋を閉めてしまった感情を表現するための場。
  2. 自己のセクシャリティに正直に向き合い、パートナーと素直に楽しいsensual relationshipを持つための場。

これを友人に話したら、「生き物の始まりと終わりのことをやりたいんだね」と言われました。

そういやそうだ。

人間含め、生命は生殖によって誕生し、死をもってその肉体は朽ちていきます。

私は、1人1人が死生観とセクシャリティをしっかり育くむことが、あらゆる場面でのコミュニケーションがうまく回る隠し味だと思っています。上司が部下に対して、母親が子供に対して、男の子が彼女に対して、女の子が同性に対して、若者がご老人に対して。

根っこと茎と葉っぱとお花が繋がっているように、私たちの生(性) と死へのまなざしは、毎日の行い(=コミュニケーション)とそこから紡がれる関係性に繋がっていくのではないでしょうか。

Return to the source.

11月30日に自分ファンドレーザーします!

TEDxTokyo のオペレーションディレクター、TEDxTokyo yz の代表として活動して2年弱となりました。TEDx は単発/瞬間的ではあれど、多くの人のエネルギーを集める契機となるカンファレンス/イベントです。

その運営を基軸として、

  • おかしなお金の回り方
  • おかしな国の動かし方
  • おかしな学校教育
  • おかしな医療制度
  • おかしな会社勤め
  • 毎日疲れちゃうな〜
  • 東京混み過ぎじゃない?
  • 赤ちゃん育てにくいわよねぇ
  • やりたいことやれてねーなー
  • そもそも働くってなに?

など、「?」を「uh huh!」に変えていくためのアクション・コミュニティーを創る、という私のビジョンを具現化するためにやっている大きなプロボノプロジェクトです。

地球に生きる私たち人間、特にこの愛しき島国に生まれついた自分たちが、おもしろおかしく幸せに生きていくためにはどうしたらいいだろうか、という私なりのアイディアを形にしていっています。

へー!おもしいことしてるね!ということで、TEDが初めて「女性の生み出す未来」というテーマで、12月7,8日にアメリカ、ワシントンD.C.にて開催する TEDWomen に招待されました。

今さらフェミニズム?男女平等?女性起業家?なになに?

と思う人もいるかもしれない。

でも、現実問題「女性」というテーマは世界的に見てまだまだ大きいんだと思います。社会的、経済的、宗教的、生理学的、身体的、、、、な視点から言って。こういった切り分けや既存の概念を越えた、女性のありのままを伝える場がTEDWomen であることを期待しています。

で。

この栄誉あるオファーを受けたい!

とは言っても先立つものが必要です。

そこで、11月30日は31歳の誕生日なので、その1週間後の12月6日に旅立つ私にプレゼントとして、渡航費及び滞在費をサポートしてはいただけないだろうか、とファンドレージングお誕生日会を開くことにしました。なんとちょうどいいタイミングにお誕生日がやって来るのだろう!なんとずる賢い私(fundraiser culture Bay Area で培ったポジティブマインドと受け取っていただければ幸い)。

かわいい子には旅をさせろじゃないですが、日本女子力を世界に!ということで、お誕生日を一緒にお祝いしていただけたら嬉しいです。

場所:TBA (都内某所)

時間:夜(多分19〜22時くらい)

目的:お誕生日会及び、TEDWomen参加の渡航滞在費をお誕生日プレゼントとしていただく(爆)

内容:企みちう

ご興味のある奇特な方はコメント、メールください。

ツイッター @nafnaf

よろしくでーす。

死生観を考えるワークショップをそのうちするよ。

土曜日はgreen drinks湘南に参加してきました。「green drinksって?」という人は

こちら

gd湘南のオーガナイザーの1人で、今回の会場となった平塚、宝善院のお坊さんである弓月くんとは、去年末に「R水素と仏教」というトークショーでご一緒させていただき、それから仲良くしています。3月末には成田山まで一緒に断食道場合宿に行ってきました。初挑戦だったので3日間しかやりませんでしたが、逆に3日目でやめるのが一番体にとってはきついんだって。実際、私は2日目、3日目と飢餓症状というものが出てギリギリを経験しました。今度は5日間やってみよっかなー。

と、今回はその話ではない。

土曜にgd湘南で「百字偈(ひゃくじのげ)」という菩薩様のお経の写経と、和綴じ製本を初体験してきました。

写経&和綴じ製本キット

できあがり

筆を握り文字を書くという行為とあまりにも長い歳月離れ過ぎていたため、体の変なところに力が入ってうまくバランスが取れず苦労しました。それに、難しい書き慣れない文字が多かったので、漢字の形を目で追ったり書き順に戸惑ったりと、瞑想とはほど遠い状態でした。呼吸と共に筆を下ろすということに、体が馴染み始めてテンションがうまく弛み出した頃に100字終了。茶道と同じで、まずは作法と所作を体が覚え込み、動きが無意識に出るようにならないと、自己と対峙するというところには行き着けないのだろうなと感じました。その後、針と糸で表紙を留めていき、手づくり経本が完成!

green drinksの最後は、お酒を飲みながら好きなことを語らいます。その時に弓月くんと話した私たちの野望(笑)について少し。

それは、日常において「死」と「生」に向き合い、自分の世界観はどのような骨組みになっているのか考えるスペースをワークショップを通して創っていくことです。弓月くんは職業柄、お葬式、法事と人の死とそれに関連する儀礼に立ち会うことがしょっちゅうあります。私は父の死によって、自分がそれまで信じて存在してきた世界観の崩壊を経験し、瓦礫の山から新しい世界を構築している、まさにその道すがらにあります。やっとこさ、瓦礫の下敷きになってたところから這い出して来た。父の死を受け止め、悲しみを表現するgrief processを進めてきています。

弓月くんと私はそれぞれ違う立場から「死=生」というものと日々触れています。だから、一見、日々の生活には関係ないような「死」という重々しいテーマを考え内面化していくことが、自分たちのなにげない1日の過ごし方に多大な影響を与えることを実感しています。どんな仕事をし、どんな伴侶を選び、どういったライフスタイルを作っていくかは、どんな風に生き、どんな風に死にたいかに直結していると思うのです。「死」の概念を問い直すことが、ポジティブに生に関わっていく原動力ともなる。

こんなことを安心、安全、居心地のいい空間で話していけるような活動をしていきたい。来年かなー。