21世紀。浪人のススメ

そのうち、日本人としての誇りやアイデンティティを守るために日本国とは対立って図が将来できあがってしまったりするんだろーか。「国を脱して国を守る。」なんかガンダムみたいだな。

いま政治を仕切っちゃってるおじーちゃんたちは、「米国に負けて軍隊がなくなっったから現状に陥ったのだ。だから軍隊復活だ!」などと本気で思ってるんだろうな。こーゆー「実はイロジカル」なロジックを立てちゃう人が寄ってたかって集まると争いごとが起こるのだ。それは国同士でもチームみたいな小さな規模でも同じ。

敗戦して骨抜きにされた結果の今の日本の世の中でダメダメな部分もありまくりだ。それは事実。でも、敗戦と骨抜きというところがあったから出来上がった日本ってものがあるわけで。そこには今の日本の味も含まれるわけで。軍隊を保有しないのは本当に稀に見る、希少価値の存在だと思うんだけど。それをアドバンテージにしてグローバル戦略立ててくことってできる気がするのに。誰だっけ、革命を起こすには、その時に支配してる人たちが死ぬのを待てって言ったの。。。長寿の国の弊害か。

人間2000~3000年、同じことやり続けてきたから、そろそろ新しいことやろうか。そんなわけで、脱法治国家を妄想したりして。国自体がなくならないとしても、そこから脱して違う何かを生み出し始める人が動き出すのはあり。

例えば、日本人が流浪の民になる。このままじゃ本当に住めない土地になるかもしれないしね。

幕末じゃないから日本国内に限らず世界各国で浪人。

剣の代わりにインターネット。

世界に散らばり新たな国家民族の形をつくる。

土地に縛られない国。

…ガンダムの次は剣心かー。似て非なることをすでにやってるのはジューイッシュ(国家でも民族でもなく宗教に根ざしてるけど)と中国人か。ジューでも特に、チェルノブイリとペレストロイカを体験したロシアンジューから学べることは果てしなさそうだな。。

そんな時代の真っただ中。私の渡欧は、個人の生き様のためだけじゃない、大きなうねりの一部として担うものがあるに違いないという感触が強くなってきた。外にいるからできること。仕組みの枠から一旦外れてこそ、中に呼び戻された時に生み出せる熱量はとても違うんじゃないかな。組織論的にも新たなる実験。企業、教育、医療、政党、行政、国家、、、すべてが組織。

利己と利他が重なるところに、アートがある。

解放

年末年始は家におにぃが帰ってきています。今夜は葉山のお寿司屋さんにママンと3人でお夕食を食べに行きました。私の渡欧の件、昨年の春頃からママンには刷り込んできていました。秋にはおにぃに報告し「好きにしなさい。」と言ってくれました。

不思議なもので、1対1だと気張れば言えることが、同じ相手でも「皆揃って」になると言い辛くなることってあって。なんだろね。「公認の事実」のパワーすごし。

「よし、新年2日目だし改めて家族の前で渡欧のことを話そう!」と思い、ドキドキしながら言う機会を伺っていたら、ママンが予期せぬキラーパス。「ナホちゃんまた出てっちゃうのよ。」

いや〜、集団の利点は自分だけで気張らなくてもいいとこですね(笑)。全部1人でやろうとしなくても、相手が勝手にやってくれる時がある。そんなわけで、和やかに家族内の周知のこととなり、渡欧へ大きく大きく一歩近づきました!何と言っても、ただ1つの心配は、初めての1人暮らしになるママンと、とにかく色んなことをまるっと引き受けてくれてるおにぃだったからね。

ママン「すぐ帰ってくればいいのに〜。」

おにぃ「1、2年、楽しんだら帰ってきたらいいよ。」

という言葉にはホッとしたわぁ。行くことも、帰ってくることも異議無し。井口家は、各々の人生を相談することが皆無に近い。決断に反対することもない。

今夜、もう1つ大きな変化があった。父のことがおにぃの口から出た。葬式で棺桶の蓋を閉めている時に涙を少し流したのが、彼の唯一の父の死に対する反応だった。あれから4年と8ヶ月。家族3人で初めて父の話が出た。ほんの少しだったけど。

日本に帰国してからの日々は、父の死との葛藤だった。葛藤は、わたしを己と向き合わせた。対峙すると、生まれてから重ねた齢の分だけ蓄積された、心や記憶や体のあくなき探求へ導かれた。何度も何度も嘔吐のような脱皮を繰り返した。32歳の時、先天的なものと後天的なもの、両方合わせて自分が持っているすべてを引き受けられたと感じた。受精してから今までという「過去」に降服した。過去をすべて見渡すと、過去は今となり、もう過去を捉えたり、癒したりすることで今を感じようとせずに済むようになった。生まれつきのことや、幼い頃にたまたま与えられた環境や、過去の出来事と、現在の私の因果関係から解放された。あるのは今と未来と、それを支えてくれる過去。

父の死という現象からの解放と共に、32年間の自我からの解放が起こり、これから新たな地(知)(血)へ赴きます。

ヴィパサナ瞑想の質も変化してきました。これまでは、無意識層の身体に潜む過去を解きほぐしていく手術と治癒のプロセスだったのが、最近は、自分の死をきちんと取り扱うための「意識化の技」を身につけるためにやっています。死はわたしたちの未来です。未来に向かってする準備の瞑想。