形見

父が遺してくれたものってなんだろう?

 

あ、そうか。わたしだ。

 

というrealizationを得たのは、遠く離れた異国の地でだった。

 

1つの文化圏で形成された自我を破壊し、国や言語をまたいだ複数の文化を融合していくことで、化学反応が起き、浄化され、自らが新しい文化の源(culture)となる。その過程における大きなステップとして、ベルリンにやってきた。

生きたい生き方、過ごしたい時間の過ごし方に近づいていっている。

自分のsourceに近づいていっている。

ここまで辿り着けて、今、死んでも悔いはないなと思った。

気負うことはなく。

大げさな話ではなく。

死に対する恐れが抹消されたわけでもなく。

ただ、何気なく、通りのアイスクリーム屋さんに立ち寄るような気さくさで、

今、死んでも悔いはないと思った。

 

母や他の人のことを考えたらまだまだ死ねないけどね!

解放

年末年始は家におにぃが帰ってきています。今夜は葉山のお寿司屋さんにママンと3人でお夕食を食べに行きました。私の渡欧の件、昨年の春頃からママンには刷り込んできていました。秋にはおにぃに報告し「好きにしなさい。」と言ってくれました。

不思議なもので、1対1だと気張れば言えることが、同じ相手でも「皆揃って」になると言い辛くなることってあって。なんだろね。「公認の事実」のパワーすごし。

「よし、新年2日目だし改めて家族の前で渡欧のことを話そう!」と思い、ドキドキしながら言う機会を伺っていたら、ママンが予期せぬキラーパス。「ナホちゃんまた出てっちゃうのよ。」

いや〜、集団の利点は自分だけで気張らなくてもいいとこですね(笑)。全部1人でやろうとしなくても、相手が勝手にやってくれる時がある。そんなわけで、和やかに家族内の周知のこととなり、渡欧へ大きく大きく一歩近づきました!何と言っても、ただ1つの心配は、初めての1人暮らしになるママンと、とにかく色んなことをまるっと引き受けてくれてるおにぃだったからね。

ママン「すぐ帰ってくればいいのに〜。」

おにぃ「1、2年、楽しんだら帰ってきたらいいよ。」

という言葉にはホッとしたわぁ。行くことも、帰ってくることも異議無し。井口家は、各々の人生を相談することが皆無に近い。決断に反対することもない。

今夜、もう1つ大きな変化があった。父のことがおにぃの口から出た。葬式で棺桶の蓋を閉めている時に涙を少し流したのが、彼の唯一の父の死に対する反応だった。あれから4年と8ヶ月。家族3人で初めて父の話が出た。ほんの少しだったけど。

日本に帰国してからの日々は、父の死との葛藤だった。葛藤は、わたしを己と向き合わせた。対峙すると、生まれてから重ねた齢の分だけ蓄積された、心や記憶や体のあくなき探求へ導かれた。何度も何度も嘔吐のような脱皮を繰り返した。32歳の時、先天的なものと後天的なもの、両方合わせて自分が持っているすべてを引き受けられたと感じた。受精してから今までという「過去」に降服した。過去をすべて見渡すと、過去は今となり、もう過去を捉えたり、癒したりすることで今を感じようとせずに済むようになった。生まれつきのことや、幼い頃にたまたま与えられた環境や、過去の出来事と、現在の私の因果関係から解放された。あるのは今と未来と、それを支えてくれる過去。

父の死という現象からの解放と共に、32年間の自我からの解放が起こり、これから新たな地(知)(血)へ赴きます。

ヴィパサナ瞑想の質も変化してきました。これまでは、無意識層の身体に潜む過去を解きほぐしていく手術と治癒のプロセスだったのが、最近は、自分の死をきちんと取り扱うための「意識化の技」を身につけるためにやっています。死はわたしたちの未来です。未来に向かってする準備の瞑想。

2013年4月25日に。

ちょうど1ヶ月前の7月11日、天啓がくだり、2013年4月25日にベルリンへ渡ることを決めた。2008年の同日、私はアメリカを去り日本に戻ってきた。父親の命日の翌日のことだ。カリフォルニアの深夜に、日本の兄から父の訃報の電話を受け、錯乱状態の中、どうやって飛行機を取ったかはあまり覚えていない。成田に降り立った時、すでに「日本は3年」と決めていた。縁があってもう少し長く居ることになっているが、丸5年経過する来年の同じ日に、日本を離れることにした。

振り返れば、この4年間は父の死によって突き動かされてきた毎日だった。無慈悲と絶望を知り、あらゆる感情の極限を体験し、不信に苛まれ、己を責めた。3年が経過する頃、やっと崖から這い上がってきた感覚を得られるようになった。彼の死に様は28年生きた私を粉々にし、今の私の骨格を形成したと思う。

父はいくつか不思議なものを残していた。1つは死んだ時に持っていた財布の中身。生前、私と最後に会った日に行ったコーヒーショップのレシートが入っていた。物持ちがいいというか、何と言うか。もう1つは小説だ。病気になってから死ぬまでの1年半(実際に動けるようになってからなので最期の半年)で、10本ほどのフィクションと、6〜7本のエッセイを書き残している。エッセイは死後すぐに読んだが、小説にはなかなか手が付けられず、ずるずる時間は過ぎていった。今年に入って読む決心がつく出来事があったので、約4年振りにのろのろとフォルダを開くこととなった。

大学を卒業して間もなくアメリカに渡った私は、そのまま学生を続け、とうとう社会人になるかという間際に父は逝ったので、1人の人間としての彼と接する機会は一度としてないままだった。代わりに今、彼の小説を通して、彼という人間が何者かを学んでいる。

今月は、3月に他界したアメリカ時代の親友の新盆だ。出張がたまたま彼の実家のある奈良であったので、訪ねに行った。新盆特有の「臭い」が仏壇にはあって、2008年の夏を思い出した。彼が息を引き取る直前まで寝ていたベッドに寝泊まりした。部屋にはアメリカを急に去ることとなった私が彼にあげたスピーカーがあって驚いた。これまた物持ちのいい人だ。家には彼の気配がするとご両親が仰っていた。父が死んだ当時は、私が背負っていると言われたこともあったから、気配の話はなんとなくわかる。実際、翌朝、起きてベッドで座っていると、ドアをコンッとノックされた。「はい!」と返事をしたから、満足したんだと思う。

父も今ごろ、安曇野の家に戻ってくつろいでいるのだろうか。今年はお彼岸に会いに行く。その頃までには、すべての小説を読み終わっているかもしれない。

セクシャリティー、センシュアリティー、そしてインド。

明けました2月。

前のブログエントリーにも書いたのだけど、私が創っている「コミュニケーション・プロセス・デザイン」という概念/アプローチの根底には、ビジネスとかプライベートとか政治とか教育とか医療とか、子供とか大人とか、人間とか動物とか植物とか、私たちの認知が生み出す境界線を取っ払ったところで、生きとして生けるものとしてコミュニケーションの本質を捉えたい欲求がある。

愛情と信頼ある関係性を築くためのコミュニケーションをしましょ、ってこと。

愛情は自分へ向けて。

周りの存在へ向けて。

でもそれは机上の空論ではなく、行動に落とし込める実践哲学。

だから、ビジネスの文脈で翻訳コンニャクなら、組織変革のコンサルティングになったり、グローバルリーダーシップの話になったり、イノベーション創出の場作りになったり、おもしろ人材育成トレーニングになったりする。

教育の文脈に翻訳コンニャクならば、大学生にプロジェクトマネージメントって何よって一緒に考えたり、小学校の先生にグラフィックファシリテーション教えたり、子供と一緒にガラス窓に絵を描いたりする。

個人のライフスタイルの文脈に翻訳コンニャクなら、キャリアチェンジのコーチングになったり、米MBA合格に向けて「俺って何者?」的英論文をサポートしたり、体と頭と心をシンクさせてあげるお手伝いをしたりする。

それ以外のたくさんの場面でも翻訳コンニャクを使う。

愛情と信頼を生み出すコミュニケーションをするための基盤には、「セクシャリティー」と「死生観」としっかり向き合うことが不可欠だという結論に今のところ達しているので、この2つのテーマにゆるっと切り込んでいきたい2011年。

本当は「センシュアリティー」という言葉を使いたいのだが、カタカナ語として聞き慣れないからセクシャリティーにしている。もっと本当を言うと、カタカナ語も撤廃したいので「何かないもんかねー」と思っていたら、昨日、尊敬する方とランチをご一緒した時に彼の口からこぼれ出てきた。

「教育って色っぽくて魅力ある人間を育てることと言い換えることもできるよね。」

ああーーーっ、それそれ!!

誰でも魅力ある人になりたいし、誰でも魅力ある人と一緒に時間を過ごしたい。会社の上司でも、バカやる仲間でも、恋をする相手でも。そして親になれば、子供に魅力ある人に育って欲しいと多かれ少なかれ感じるのでは。

私たち日本人の馴染みある場所で、ビジネスリーダーに対して「色っぽい」という表現を使うことはまずない。女性リーダーに対してであればジェンダー問題も出てくるからなおさらのこと。

組織学の中のリーダーシップ論で、フェミニズムの寵児であった女性2人の学者が “Leadership” という言語を脱構築していく論文を読んだことがある。ポジティブな意味合いで利用されるリーダーシップ”Leadership” という単語と、ネガティブな意味を含みやすい女性を揶揄するセダクティブ(魅惑的な、誘惑する)”Seductive” という単語。実は、辞書内の定義や2つの単語が使われている様々な文章を比較すると、両単語の持っている性質は驚くほど同じ。単語を入れ替えて文章を読んでも意味が通じるくらいなのだ。

言語的な意味合いは同じであるにもかかわらず、リーダーシップは好意的に、セダクティブは否定的に解釈されるのは男性優位な社会構造の影響に他ならない、という論旨。

これがニュートラルに受け取られてるのがフランス。色っぽさ、艶っぽさを性的な意味としてだけではなく、性別関係ない人間の魅力として捉えている。というより、性的な魅力が社会的にタブー視されていず、ビジネス、政治、文化などの分野に関係なく、普通に1つの魅力要素として見なされているらしい。”sensualite”  という単語だそう。

やっぱ、センシュアリティーって言葉の方が私が言いたいことにしっくりくるなぁ。それを日本語化すると「色っぽさと魅力」になるのだなぁ。誤解されやすい響きだけども。

色っぽさ、魅力が漂ってくる人間になるには、セクシャリティー/センシュアリティーと死生観の構築が大事。

このポイントと関連があるね、と彼と話して盛り上がったのが、私たちの中にある心理学的な女性性と男性性。双方のバランスが取れている人、女性性を受け止め表現できている男性と、男性性を受け止め表現できている女性は優れたリーダーですよね!という体験談。

自分の性的なニーズを満たすためには、女性性と男性性を両方活性化させなくちゃいけない。それができている人は個としての自尊心と自信が生まれ、自己へ溢れる愛情を注げ、最終的には「自分」とか「他人」というアイデンティティみたいなものから解き放れた段階に進む。

ユング心理学、人間性心理学、社会構築主義、脱構築、組織論、リーダーシップ、教育、セクソロジー、コミュニケーション。大学時代から辿ってきた色々な分野がネットワークになってきてるわ。

そして、昨日のランチでもう1つ示唆的な言葉をいただいたので最後に記しておく。

「女性性と男性性の秘密はインドにあるかも。」

2週間後にはデリーだ。

複数の真実

父が亡くなってから2年半。
彼の死因にこだわっていた。

父の死に様を見て、「彼はこうこうこうだったから」「きっとこれがよかったのよ」と、
そこに何彼と意味を付与しようとする人びとに対して激しい憤りと嘔吐感を抱いた。

「あの人の死に方はあの人らしく立派だった。」

「あの子がどうしてあんな死に方をしたのかしら。」

「あんな死に方をするのも当然だ。」

人は他者の終焉によって、その人生をジャッジする。

「お父さんが今亡くなったことは、あなたにとって何かしら意味があるんだよ。」
と慰めてくれる人たちの気持ちに深い感謝はしたけれど、
まったくもって私はそうは信じていなかった。

そんな意味はクソ食らえ!なのである。
父が死ななければ見出せない使命や意図が私の人生にあったとしたら
そんなものはいらないし、自力で手に入れるから父を死なせるな。

そう思っていた。
これは現在でも変わらない。

父の急逝を機にこう考えるようになった。

人間の生命において、私たちは自律を持って人生を過ごしていくことができるし、
無数の意味あることと、意味のないことが、絡まって進んでいく。
しかし、生まれる瞬間と死ぬ瞬間だけはどうやってもコントロールできない。
死という現象に関してはとりたてて意味はない、と。

「死」、否、「死にゆき方」に意味を見出すのは、地球上の生命で人間だけだ。
それは言語と理性を極度に発達させた異例の動物だからかもしれない。

でも私は思っていた。
道ばたに転がっている雀の屍と、棺に入った父の遺体の一体何が違うのかと。
山の中で倒れている巨木と、人間の死体。一体何が違うのか。
土や海に還るだけなのに。

死を特別視し過ぎだ。

生まれ方はそこまで取り沙汰されないのに。
未熟児や帝王切開で生まれたことで、人格をジャッジすることはない。

意味というものを何にでも与えようとし過ぎだ。

意味をなしえないものもある。

人との出会いには意味がある、すべては繋がっている
という信念を持っていた私にとって根本を覆された。
28年間構築した世界観が木っ端みじんに崩壊し、
条理と不条理の狭間で血の滲むような葛藤を経験した。

最初は瓦礫の上で途方に暮れ、
それから何ものにも向けられない怒りと哀しみに翻弄され、
粉々の瓦礫を修復しようとして絶望し、
新しい材料を集めて1つ1つ積み上げていくほかないと思い知らされた。

1年、2年と時間が経過するうちに、
相反する2つの大きな世界観はいつしか共生するようになっていった。
矛盾が矛盾でなくなった。

一方で、人間の死に様に意味はないという自分の主張と裏腹に、
父の死因にずっとひっかかったままだった。

「なぜあんな風に死んだのか?」

自分が「そうである」と信じていて、他人に伝える考え方(espoused theory)と、
実際に具体的な言動や感情に表出され、espoused theoryとは一致しない
素の自分(theory-in-action)の間に、ギャップがあるのが人間の常だ。
このギャップは他人には割と容易に感知さ れるのだが、
当の本人は無意識で、自分は理想的なespoused theoryを
実践していると錯覚していることが多々ある。

あるいは、ギャップに気づいていてもどうすることもできないのだ。

私は後者だった。ギャップに気づいてたが、埋める術を知らなかった。
ただ、その溝の狭間で痛みを伴う違和感を感じていた。

そして今日。
遺影を見つめていたら、
「どっちでもいいや」
とぽつりと思った。

どう死んだか、何が原因で死んだかは、見る角度によって、感じ方によって変わる。

やっと、自らの主張する世界観を歩き始めた瞬間だった。

原点回帰

コミュニケーションプロセスデザイナーなどと、何だか捉え所のない仕事をでっち上げてやっていると、「それって何なんですか?」「それで将来は何をしたいんですか?」 「どうしてそれをやろうと思ったんですか?」と訊かれます。

「直観だからよくわかりません。」

「言葉では説明できないんです。」

「積み重ねてきたもので、大きなきっかけは特にありませんでした。」

というのは常套手段な模範回答。まったくその通りだから、私もこう答えることはしょっちゅう。でも一方で、質問を受けるとやっぱり考えるようになります。

それに、せっかく関心をもって聞いてくれた人にできるだけわかってもらえればと思うので言葉にしようとします。自分を観察し、内省し、考え、 感じ、誰かに話してみたり1人でノートに書いてみたり。「ここ (自分の胸に手を当てて)にあるものは何なのか?」を探ってきました。

で、ここ最近わかったことは、コミュニケーションプロセスデザインの根源とは『愛』と『信頼』です!

え?!考え抜いて抽象論かよ?と突っ込まれそうですが、愛と信頼って実践論でもあるんだよね。人間が生きてくために。

どうやって愛を育むか、どうやって信頼関係を築くかという、年齢も性別も職業も肩書きも産業も国籍も民族も関係ない(つまり、どんな場面でも必要になる)コミュニケーションの核を伝える職業?役目?

それが私の思い描くもの。

コミュニケーションプロセスデザイナーを拡張させるべく、今年やりたいと思っている新しい試みの2つ。

  1. 愛する人を失った死を感じ、蓋を閉めてしまった感情を表現するための場。
  2. 自己のセクシャリティに正直に向き合い、パートナーと素直に楽しいsensual relationshipを持つための場。

これを友人に話したら、「生き物の始まりと終わりのことをやりたいんだね」と言われました。

そういやそうだ。

人間含め、生命は生殖によって誕生し、死をもってその肉体は朽ちていきます。

私は、1人1人が死生観とセクシャリティをしっかり育くむことが、あらゆる場面でのコミュニケーションがうまく回る隠し味だと思っています。上司が部下に対して、母親が子供に対して、男の子が彼女に対して、女の子が同性に対して、若者がご老人に対して。

根っこと茎と葉っぱとお花が繋がっているように、私たちの生(性) と死へのまなざしは、毎日の行い(=コミュニケーション)とそこから紡がれる関係性に繋がっていくのではないでしょうか。

Return to the source.

死生観を考えるワークショップをそのうちするよ。

土曜日はgreen drinks湘南に参加してきました。「green drinksって?」という人は

こちら

gd湘南のオーガナイザーの1人で、今回の会場となった平塚、宝善院のお坊さんである弓月くんとは、去年末に「R水素と仏教」というトークショーでご一緒させていただき、それから仲良くしています。3月末には成田山まで一緒に断食道場合宿に行ってきました。初挑戦だったので3日間しかやりませんでしたが、逆に3日目でやめるのが一番体にとってはきついんだって。実際、私は2日目、3日目と飢餓症状というものが出てギリギリを経験しました。今度は5日間やってみよっかなー。

と、今回はその話ではない。

土曜にgd湘南で「百字偈(ひゃくじのげ)」という菩薩様のお経の写経と、和綴じ製本を初体験してきました。

写経&和綴じ製本キット

できあがり

筆を握り文字を書くという行為とあまりにも長い歳月離れ過ぎていたため、体の変なところに力が入ってうまくバランスが取れず苦労しました。それに、難しい書き慣れない文字が多かったので、漢字の形を目で追ったり書き順に戸惑ったりと、瞑想とはほど遠い状態でした。呼吸と共に筆を下ろすということに、体が馴染み始めてテンションがうまく弛み出した頃に100字終了。茶道と同じで、まずは作法と所作を体が覚え込み、動きが無意識に出るようにならないと、自己と対峙するというところには行き着けないのだろうなと感じました。その後、針と糸で表紙を留めていき、手づくり経本が完成!

green drinksの最後は、お酒を飲みながら好きなことを語らいます。その時に弓月くんと話した私たちの野望(笑)について少し。

それは、日常において「死」と「生」に向き合い、自分の世界観はどのような骨組みになっているのか考えるスペースをワークショップを通して創っていくことです。弓月くんは職業柄、お葬式、法事と人の死とそれに関連する儀礼に立ち会うことがしょっちゅうあります。私は父の死によって、自分がそれまで信じて存在してきた世界観の崩壊を経験し、瓦礫の山から新しい世界を構築している、まさにその道すがらにあります。やっとこさ、瓦礫の下敷きになってたところから這い出して来た。父の死を受け止め、悲しみを表現するgrief processを進めてきています。

弓月くんと私はそれぞれ違う立場から「死=生」というものと日々触れています。だから、一見、日々の生活には関係ないような「死」という重々しいテーマを考え内面化していくことが、自分たちのなにげない1日の過ごし方に多大な影響を与えることを実感しています。どんな仕事をし、どんな伴侶を選び、どういったライフスタイルを作っていくかは、どんな風に生き、どんな風に死にたいかに直結していると思うのです。「死」の概念を問い直すことが、ポジティブに生に関わっていく原動力ともなる。

こんなことを安心、安全、居心地のいい空間で話していけるような活動をしていきたい。来年かなー。