日独米のサービス事情いろいろ

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バーニングマンExodusでは、BRC市内から県道(?)447に出るまで9時間かかりました。1時間完全に17レーン全停止のあと数百メートルノロノロ進んでまた止まるの繰り返し。普通にいけば10分くらいの道のりなんだよな。あれほどの待ち時間はそんじょそこらではないだろー貴重な体験じゃったなーと、ベルリンに戻ってきました。

今日はドイツがパブリックに提供しているコミュニティカレッジへ語学学校の質問をしに行きました。Volkshochschule -フォルクスホフシューレ-と言います。どんなクラスがあるか、タームの途中からでもレジスターできるのか、料金体系はどんなか、といったベーシックな質問をしたかったんです。

結果、長ーい列に並ぶことになりました。

あー、そうだった!この国、The 待ち時間だったじゃん!と思い出す。

日本みたいに「受付窓口」という緩いくくりでみんなの何でもに対応してくれる所がドイツの役所や機関にはないらしいと気が付き始めました。市役所も外人局もコミカレも、1階はほぼ何もなくてまず2階に行く。レジストレーションオフィスがあるけど、ここは完全にレジストレーションのみ!雑多な質問、相談は受け付けません。

レジストレーション部屋に並んでた人が親切に「奥の◯◯番の部屋に行くと対応してくれるわ」と教えてくれたので行ってみると、部屋の前の廊下に長い列。入口にはドイツ役所系でお馴染み!整理券発券機。どんな仕組みで何が行われているかわからぬままとりあえず整理券ゲット。椅子に座って様子を伺ったり、すでに用事を済ませたらしき人に話を聞いてみると、どうやら1人1人ドイツ語テストを受けてレベル分けしてから申し込み用紙に記入してレジストレーションという流れみたい。

お金はいるの?

IDはいるの?

単に質問したい人はどこにいけばいいの?!

試験は全部ドイツ語??

さまざまな疑問がぐるぐる渦巻くものの、他に質問に行った人があえなく玉砕して並んで待つように促されてるのを横目に見て、沈着冷静に待つことにしました。この待ち時間、日本だったらブチ切れるところですが、ドイツの列が長い理由は「サービス」の概念が日本ともアメリカとも違うからだということが解り出したので、仕方ないと感じれるようになってきた。先週までアメリカに帰ってたからこそ作ることができた3つの視点はとてもとても大事。日本とアメリカが似ててドイツだけ全然違う部分。ドイツとアメリカが似てて日本が全然違う部分。日本とドイツが似ててアメリカが全然違う部分。どの国もてんで違う部分。3国民とも共通の部分。いろいろ。

それに、ベルリンで私は何の予定に切迫されてるわけでもないから、何時間待とうが別にどーってことないのよね。先を急がねばならぬことはないし、他にやらなきゃいけないことがあるのにできなくなってしまうー!というフラストレーションもないから、待つことが「無駄な時間」にならない。時間の意味合いはライフスタイルとその土地の文化で劇的に変わるね。

ちなみにドイツのサービスは全く画一化されてないのが特徴のようです。さすが、ホフシュテッド(超古典w)の比較異文化研究で “individualistic” の強度がダントツ高いドイツ。個々人のニーズが満たされるまでマンツーマンで話し合いがなされます。 Super customized とも言えるかしら。だから長い列になるんだね。待たせることが「サービス上の悪」と捉えない。1人1人とじっくり話す。ここがサービスの質。その人が終わったら次。とてもシンプル。

706から720にいくまで小1時間。途中5,6人は待ちきれずに帰ってしまったのかいなかったので、一気に私の番号まで来たからこの時間。全員いたら2時間以上待っただろうなぁ。

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ドイツの役所系の建物に行くと、普通のオフィス部屋に通され、担当者のワークデスクの前に座ってやり取りします。受付用のカウンターや応接室ではなく、その人が普段仕事してるデスクに行くの。だから、部屋に入るとリラックスするけど、外で待ってる間は中の様子がまったく見えないので、何がどうなってるやら不安になります。

呼ばれて担当者のデスクに行って座ると、まずシーンってなります。これもドイツのサービスの特徴だと思う。日本とアメリカでは、お客さんが席についたら開口一番「どのようなご用件でしょうか?」「今日は何が必要ですか?」「◯◯についてご質問ですか?」など、必ず役所なりお店側の人がリードを取ります。お客さんから話しだすプロトコルではない。

ドイツは違うのだ。こっちが用件言わないとシーンとしたまま。向こうはむっつり待ってます。恐らく、何か用事があってここに来てるんだから、わざわざ “how can I help you today?” なんて美辞麗句を言う必要がないって感覚なんだろうな。そして、用件は自分は知るよしもなくお客さん本人が知ってるんだから、さあどうぞ言ってください。それに応じて動きますよ。というスタンス。

2秒ほどシーンとしちゃってから「あ、そうだそうだ、私が用件言わなきゃ」という見えないコミュニケーションルールを思い出し、基礎コースを受けたいからレジストレーションしたいと伝えると、それから一つ一つ丁寧に私の質問に答え、入りたいクラスに登録してくれました。テスト受ける必要なかったし、レジストレーションオフィスにも行かずに明日から授業に出て、お金は休憩時間に払えばいいですよ、だって。

帰り道に教科書を購入。ただ質問して様子を見るだけと思って行ったら、あっという間に明日から学校となりました。

ベルリンからのつぶやき。日本。

日本は行きつくところまで行きついてしまった国/社会だなぁ。

千年単位の歴史と文化を保有し、テクノロジ—も経済も医療システムも成熟し、治安は抜群によく、町は清潔。戦後ずっと平和を維持してきたおかげで、諸外国から日本人(日本国ではない)に対する信用度はありがたいほどに高い。サービス産業のクオリティは他国の追随を許さない。美しい海に四方を囲まれ、豊かな山林と水脈を宿し、狭い土地ながら幾つもの気候があり、季節を巡らす。とにかく、さまざまなことが豊かで、恵まれている。経済大国になったし、平和大国になったし、ネットが安定して超速いし、suica1枚で日本中どこでも電車とバス移動できるし、長寿国だし、並べればきりがなり。こんなに隅々まで整ってて、住みやすくて、綺麗な国はないのだ。

一方で、高齢化社会、人口減少、それに伴う医療と福祉の話、資本主義の行き詰まり、そして原子力事故の見えない行く末、というように、違った角度の物事を並べてみてもきりがないブッチギリっぷり。民主主義を進化させるのか、それとも全く違う方向に走り出すのか?政治の面でも壁にぶつかってる。日本はいい意味でも悪い意味でも、先進国の中でダントツトップで先を行ってしまった。他のどの国も知らない世界に突入してる。だから人類のモダーンソサエティの実験場になってると思う。

私たちはこんなに遠くまで来てしまった。チョロQみたいな走り方で。

今の日本の文脈に合うものって、もう海外からは持ってこれないと感じる。例えばTEDxというフォーマット。もう合ってないんじゃないかな。4年間がっつりやってきたからこそ感じる。2012年までは合ってた気がするけど、2013年の夏の今は、だんだん日本社会の置かれている場所と、TEDとTEDxが提供してるものはズレてきてる気がする。っていうか、TEDは一例であって、外から何か持ってこようとしても、どこにも見つからないんだって。日本が日本から生み出してくしかないフェーズなんだ。

と言いつつも、ベルリンには希望を感じる。この町ね、ほんとにすごい歴史を通ってきてる。私はまだまだ勉強不足。だからこれから学んでいこう。ベルリンには何かある。東京にも撒ける種がある気がする。デザイン思考とか、ファブとか、エコとか、TEDとか、クリエイティブうんちゃらとか、ワールドカフェとか、1つの理論やテクノロジ—やフォーマットを持ち帰るってことではなく、町そのもののうねり。辿ってきた道のり。そこに生きた人間たちの軌跡。そーゆーバイブレーション。

バイブレーションを持ち帰るためには何かしらの器が必要だから、デザイン思考とかファブのように「切り取られた形」になって広まってくんだろうけどね。だけどほんとは、バイブレーションそのものが伝わったらいいのにな。方法論や技法やシステムではなく、スピリットを学ぶって感じかも。

それにしても上記になんとなく挙げたものって大概がアメリカ発じゃない?あるいはUK?

そうさ。

つまりは、日本よ。

世界は広いのだ。

広い世界にまるっと繋がってから、日本で生み出していく。

世界の突端で。

丸いから、端っこだけど端じゃない。

またもとに戻る。

かな。