翼の話

4月末からGWにかけて、長野と関西に行った。父の五回忌は長野のひなびた温泉地へ。父と私は温泉友達だった。その後、3月に一周忌を迎えた友のお墓参りに奈良へ赴き、そこから京都、高野山、京都と旅をしてきた。

出国前に2人の墓前に挨拶をできてよかった。アメリカ在住時代の1番身近な友達の1人が彼だった。父の命日は私のアメリカ生活最後の日になったのもあり、2人の死は、人生の一つの時代に明確な区切りをつけるものだった。何をも怖れず、守るものがあることや、生きることがどういうことかをまだ知らずにいた、無知がもたらす輝かしさ。10代ほど幼気でもなく、30代ほど謙虚でもない、20代だけが持つnaiveさゆえの強さ。それは空を飛べる翼だった。

翼がもげ、意図せぬ形で戻ってきた日本。ここはもしかしたら体を回復させる休息地だったのかもしれない。休息という言葉とは裏腹のえぐられるような日々だったけれど。何度も何度も脱皮を繰り返し、傷を癒し、膿を出し、痛みに葛藤した。そしてやっと新たな翼が生え、飛び立てるだけに成長したように思う。その間にしっぽも生えた。

日本での5年間は、アメリカで失った翼を取り戻すための費やされたような気もする。2人の死者の墓前に向かうことは、これから新たな異国の地へ旅立つ前の儀式だったのかもしれない。

 

2012年の仕事納めの日に

2012年12月18日に開いたTEDxTokyo 2013チームのキックオフにて、TEDxTokyo オペレーションディレクターを正式に引退しました。

2009年1月24日に青山で開かれたワークショップで偶然トッドに出会い、2月に自由が丘のカフェでパトリックと3人で話をし、カーラという女の子と一緒にローンチチーム立ち上げのために動き始めました。トッドが思い描くbig pictureのあらすじと、そのためにTEDxTokyoを5月にやると聞いただけ。他には大した情報も知識も指示も枠組みもありませんでしたが、迷いも不安も恐れも同じようにありませんでした。なにもなかった。

5年の時を経て突如、日本に再適応しなければならなかったこと。新卒じゃないくせに就労経験ゼロで仕事を見つけなければならなかったこと。そろそろ社会に居場所を見つけなければこのまま落ちてくという腐敗臭のようなものが漂い始めたこと。振り返ってみれば、不利なカードばかりが手元に残っていたけれど、それさえどうでもよくなるような絶望にまみれていたなぁと思います。父の無惨な死は、私にこの世の無情を叩き付けました。たった28年ですが、それなりに築き上げてきた価値観が粉砕されました。この世に生を受けたものとしての限界と、わたしの限界がピッタリと一致した時でした。

死なない限りはなんとかなる。それ以外はすべて下らない。本気でそう思っていたので、当時はイメージと可能性以外は何もなかったTEDxTokyoという得体のしれぬものに飛び込む決意をすることも、そこでフリーランスの道を開拓していくことも、恐れや不安を呼び覚ましませんでした。失敗したってそれが何なの?生きてるんなら、なんでもいい。「毎日の生活」と「働くこと」と「死」に繋がりが見えたころ、社会人1年目を走り出しました。亀の甲より年の劫。

時間とコミュニケーション能力と組織心理学の知識だけはあった私にとって、野原のようにだだっ広くて「動いたもん勝ちだよ。どんどん好きにやっちゃって!」なTEDxTokyoは最適なコンテイナーだったんだなぁ。改めて納得。「これはよい乗り物になる!」という直観は正しく、觔斗雲のように、1人では辿り着けない所へ次々と運んでくれました。

2010年からはオペレーションディレクターとして(英語ではCommunity Catalystだけど、日本ビジネス界には通じないので何となくつけたw)チーム育成、コミュニティデザイン及びカンファレンス企画執行をやってきました。並行して、TEDxTokyoのスピンオフであるTEDxTokyo yz を代表として始めました。こっちはパトリックとトッドが完全に任せてくれたので、「新しい組織論を作る」という野望な実験を本格始動。2歳半となったTEDxTokyo yzコミュニティは健やかに育ってくれています。2013年2月2日に開催予定のイベントで卒業となりますが、私の弟たち妹たちが引き継いでいってくれるでしょう。

今年の4月25日、人間という動物として生を堪能するという茫洋たる目的のもと(私にとっては単純明快、確固たるものですが)渡欧を予定しています。2008年4月24日に父が他界し(ちなみに父が死んでから「24日」とは因縁があり、摩訶不思議に人生のマイルストーンな出来事が24日に起きてきました。トッドと出会ったのも24日だとさっきカレンダーを見返して発見)、アメリカから帰国したのが翌4月25日。5年目にまた出ます。

そうそう、33歳のお誕生日に「今年の漢字は?」という質問をもらいました。

「出」

です。

「出る(デル)」

「出る(イズル)」

日本の土では発芽しない私の中に宿る種。ヨーロッパという未知の土に触れることで、芽を出してきます。

文化の変容は社会システム変革の後に起こるのかも

今年はヨーロッパに渡ろうと思ってます。

大学3年の就活前に、組織心理学が自分の礎となる学問だと感じたのと、10~15年後には日本にもマーケットが開き始めるはずという勘があったから、就活をせずに好きなことして暮らし、卒業後アメリカに渡って勉強をした。

その直観は幸運なことに敵中していて、特に去年から今年にかけて、自分が勝手につくり出した職業「コミュニケーション・プロセス・デザイナー」や、その方法論の1つとして使っている組織心理学の視点は、日に日にニーズを増している感覚がある。既存のシステム内で新しいものを作ればよかった時代は終わり、システム自体を作り変えないとならない時代に入ったわたしたち。組織心理学は、社会システム構築のための建築学みたいな役割なので、急ピッチで注目が上がってきているのかなと思う。

ヨーロッパに行くのは、あの頃と似たような妙な勘が働いているから。

今の日本では、自分の体のリズムや信念に合うライフスタイルを送るためにはけっこうな努力が要る。他者との関係を疎かにしてしまう羽目になりそうだし、自分の機会損失、あるいは信頼損失にも繋がりかねなかったりして(24時前に寝るには21時には都内を出ないといけないとなると、仕事やそれに関する活動の時間が狭まったりだとか。満員電車はどうしても理解できないし、気分が悪くなっちゃうから避けてスケジュールを組むとか。)自分の送りたい生活が「よいね。っていうか当たり前でしょ。」と習慣化されてる社会/文化にいないと、無駄なエネルギーを払って必死に獲得するものになっちゃう。

じゃあ、それが当たり前の場所に行けば楽チンじゃない!確かに、そこで待っている根本的なカルチャーショックと向き合うのは生半可なことではないけど。

ヨーロッパの中でも、特にラテンカルチャーがなんだかひっかかる。あの人たちは、日本人からすっぽり抜け落ちちゃってる人間的なものを大事にしてるとこがあるんだよね。時間の価値観とか、愛情関係の価値観とか、表現への貪欲さとか。これから10年くらい経ったら、日本でも「そーゆー考えがいいかも!」って、今のソーシャルイノベーションのムーブメントみたいになってる気がするんだよねー。

国や民族単位でパラダイムシフトが起こる時、まず最初に社会システムの抜本改革が興り、続いてそのシステムから醸成されて生まれる文化の変革になるのだろうなーと思った。今、私たちは社会システムの転換期にあるから、次の10~15年で社会システムだけでなく、文化の変革に至るんじゃないかと。

なので、ラテン文化をわたしが芯まで吸収して日本に戻ってくることは、のちのち日本で何かしらベネフィットになるんじゃないかなぁと思う。

緩い。。。
アメリカ西海岸ベイエリア文化も、日本の文化/社会的枠組みの影響で日の目を見てなかった私のエッセンスにピッタリだったからズコーーーンとそこを開発できて、今それが日本に帰ってきて役に立ちまくってるし。

まずは行ってみよーと思うのです。(それについてのプロジェクトも立ち上げた!)