Sensuality -導入-

年齢、民族、言葉、セクシャルオリエンテーション、、、様々な境界を越えて魅力的と思われる人の笑顔や仕草は 芳しく、何気ない一言にハッとさせら、つい聞き惚れたり見惚れてしまいます。そこには色気が漂います。その雰囲気は一体どこから来るのでしょうか。

魅力の構成要素を挙げれば切りがありませんが、「自分の欲望を熟知し、表現できる人」から魅力が溢れ出しているように感じます。これは性的な意味に限ったことではなく、仕事においては追求すべきミッションを持っていることであり、夢に向かって進む輝く無謀さであり、 送りたい暮らし方を得るために政治へ意見を表明できることです。 家族においてはどんな夫婦関係、親子関係 を結びたいかを思い描き、行動に移していることです。恋人にベッドの上でどんな風に愛撫して欲しいか色っぽく伝えられることでもあります。でも、欲しいものをスト レートに表現することは容易ではありません。エゴを剥き出しにすれば周りを傷つけ、 自分が後悔します。嫌われるのが不安で本心を出すのを躊躇すれば、欲求は陰に潜んでしまいます。

他者へ丁寧に意識を傾けながら、自分の欲求に忠実でいるためには、理屈や感情に引きずられた「あれが欲しい」「これが必要」ではなく、生をまっとうするために本当に必要なものを捉える感覚(senses)を育てなくてはなりません。周りに対する思慮や、物事を分別する良心(sensibility)を磨かないといけません。満たされない気持ちや虚栄心を埋めるためのwantsではなく、社会が決めたwantsでもなく、わたしとして存在するためのピュアで野性なwantsを感じる力。生れてから現在までの時間の積み重ねによって できた「今のわたし」を素直に表現すること。痛みや恥じらいも含めて偽りがないこと。これを私は ”Sensuality” と呼んでいます。

Sensualityを研ぎすます=この体、この脳みそ、この心、この魂をまるっと引き受けるために、「わたしは何者か」を探求し、複雑に絡み合った糸を解いていきま す。自分の嫌いな部分や隠したい部分にぶつかります。見て見ぬ振りをするのではなく、その時に浮かび上がる情景や、沸き起こる感覚・感情と向き合い、享受し尽くします。すると不思議なくらい、それまでは言葉にすることは愚か、認めることすらできなかった弱さについて、さらりと話せてしまったりするんです。人間が持つあらゆる感覚を鋭敏にして、真に表現すべき欲求を抽出していくプロセスは、一枚一枚体を覆っていたベールを脱いでまっさらになっていくことです。裸に近づけば 近づくほど、わたしが露になり、sensualになります。そしてやがて、わたしというアイデンティティはなくなるのです。

セクシャリティー、センシュアリティー、そしてインド。

明けました2月。

前のブログエントリーにも書いたのだけど、私が創っている「コミュニケーション・プロセス・デザイン」という概念/アプローチの根底には、ビジネスとかプライベートとか政治とか教育とか医療とか、子供とか大人とか、人間とか動物とか植物とか、私たちの認知が生み出す境界線を取っ払ったところで、生きとして生けるものとしてコミュニケーションの本質を捉えたい欲求がある。

愛情と信頼ある関係性を築くためのコミュニケーションをしましょ、ってこと。

愛情は自分へ向けて。

周りの存在へ向けて。

でもそれは机上の空論ではなく、行動に落とし込める実践哲学。

だから、ビジネスの文脈で翻訳コンニャクなら、組織変革のコンサルティングになったり、グローバルリーダーシップの話になったり、イノベーション創出の場作りになったり、おもしろ人材育成トレーニングになったりする。

教育の文脈に翻訳コンニャクならば、大学生にプロジェクトマネージメントって何よって一緒に考えたり、小学校の先生にグラフィックファシリテーション教えたり、子供と一緒にガラス窓に絵を描いたりする。

個人のライフスタイルの文脈に翻訳コンニャクなら、キャリアチェンジのコーチングになったり、米MBA合格に向けて「俺って何者?」的英論文をサポートしたり、体と頭と心をシンクさせてあげるお手伝いをしたりする。

それ以外のたくさんの場面でも翻訳コンニャクを使う。

愛情と信頼を生み出すコミュニケーションをするための基盤には、「セクシャリティー」と「死生観」としっかり向き合うことが不可欠だという結論に今のところ達しているので、この2つのテーマにゆるっと切り込んでいきたい2011年。

本当は「センシュアリティー」という言葉を使いたいのだが、カタカナ語として聞き慣れないからセクシャリティーにしている。もっと本当を言うと、カタカナ語も撤廃したいので「何かないもんかねー」と思っていたら、昨日、尊敬する方とランチをご一緒した時に彼の口からこぼれ出てきた。

「教育って色っぽくて魅力ある人間を育てることと言い換えることもできるよね。」

ああーーーっ、それそれ!!

誰でも魅力ある人になりたいし、誰でも魅力ある人と一緒に時間を過ごしたい。会社の上司でも、バカやる仲間でも、恋をする相手でも。そして親になれば、子供に魅力ある人に育って欲しいと多かれ少なかれ感じるのでは。

私たち日本人の馴染みある場所で、ビジネスリーダーに対して「色っぽい」という表現を使うことはまずない。女性リーダーに対してであればジェンダー問題も出てくるからなおさらのこと。

組織学の中のリーダーシップ論で、フェミニズムの寵児であった女性2人の学者が “Leadership” という言語を脱構築していく論文を読んだことがある。ポジティブな意味合いで利用されるリーダーシップ”Leadership” という単語と、ネガティブな意味を含みやすい女性を揶揄するセダクティブ(魅惑的な、誘惑する)”Seductive” という単語。実は、辞書内の定義や2つの単語が使われている様々な文章を比較すると、両単語の持っている性質は驚くほど同じ。単語を入れ替えて文章を読んでも意味が通じるくらいなのだ。

言語的な意味合いは同じであるにもかかわらず、リーダーシップは好意的に、セダクティブは否定的に解釈されるのは男性優位な社会構造の影響に他ならない、という論旨。

これがニュートラルに受け取られてるのがフランス。色っぽさ、艶っぽさを性的な意味としてだけではなく、性別関係ない人間の魅力として捉えている。というより、性的な魅力が社会的にタブー視されていず、ビジネス、政治、文化などの分野に関係なく、普通に1つの魅力要素として見なされているらしい。”sensualite”  という単語だそう。

やっぱ、センシュアリティーって言葉の方が私が言いたいことにしっくりくるなぁ。それを日本語化すると「色っぽさと魅力」になるのだなぁ。誤解されやすい響きだけども。

色っぽさ、魅力が漂ってくる人間になるには、セクシャリティー/センシュアリティーと死生観の構築が大事。

このポイントと関連があるね、と彼と話して盛り上がったのが、私たちの中にある心理学的な女性性と男性性。双方のバランスが取れている人、女性性を受け止め表現できている男性と、男性性を受け止め表現できている女性は優れたリーダーですよね!という体験談。

自分の性的なニーズを満たすためには、女性性と男性性を両方活性化させなくちゃいけない。それができている人は個としての自尊心と自信が生まれ、自己へ溢れる愛情を注げ、最終的には「自分」とか「他人」というアイデンティティみたいなものから解き放れた段階に進む。

ユング心理学、人間性心理学、社会構築主義、脱構築、組織論、リーダーシップ、教育、セクソロジー、コミュニケーション。大学時代から辿ってきた色々な分野がネットワークになってきてるわ。

そして、昨日のランチでもう1つ示唆的な言葉をいただいたので最後に記しておく。

「女性性と男性性の秘密はインドにあるかも。」

2週間後にはデリーだ。