お父さんビデオ撮影

イタリアでサステナブル・シティ・プランニングを勉強したユキちゃんが、その学びを東京で発表する会にビデオ出演しました。

ユキちゃんからお題を2つ投げかけてもらい、それに対する解答をあいぽんを使ってセルフ撮影しますた。

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撮影に許された時間は30分!どうやって固定しようかキョロキョロした結果、こうなりました。

出来上がりはこちら。

プロフェッショナル。ボランティア。プロボノ。そしてパーソナル。

プロフェッショナルってなんだろう。

ボランティアってなんだろう。

プロボノってなんだろう。

パーソナルってなんだろう。

私にとってこれらの線引きは曖昧。

「仕事」や「プロ」と呼ばれるものが「金銭を支払われる」という「契約」に基づくのであれば、私のプロとしての仕事の割合は、コミュニケーション・プロセス・デザイナーとしての全活動の半分くらいかもしれない。日本の大学を卒業してから就職せずに渡米し、大学院を終えて、アメリカでも就業経験がないまま日本に帰国することになった。それから半年くらいは「仕事」はしておらず、いきなりフリーランスの道を走り始めた。今年で3年目になる。まだまだスタートアップの私にとって、しかも職業の概念そのもの、仕事そのものを1つ1つ創りながらやっているので、金銭を軸としない就業形態になることがある。それは、端からは「ボランティア」とか「プロボノ」と表現される。あるいは「お金にならない仕事」とか。

資本主義ベースの貨幣経済に生まれた私たちは、お金がないとサステナブルな生活は送りにくい。ここで机上の空論を展開するのは無意味だと考えている。お金は大事。お金自体はツールであって、原因ではない。その運用方法が限界にきているだけ。それに、私は豊かな都市圏で暮らすことに慣れていて、それも一概に悪だとは思わない。生まれ落ちた時代、与えられた現状の中で、自分の価値観と社会や文化、自然を照らし合わせながら、さらには違う国や地域の文化や風習からも学びながら、どんな生き方にしていくか毎日の小さな選択を積み重ねている。

その一方で、私はお金にあまり執着がないというか、お金を生み出すという行為にあまり注力できない人間であることも知った。フリーランスとして食べていってるから can ではあるんだけど、shouldって思ってないな〜と。文字通り、その時その時にいただくもので生きていってる。お隣さんからおかずを分けてもらうフランクさで、お金のやり取りをしている気がする。実際に、お金以外の形でいただくことも少なくない。(working exchangeもそうだし、忘れた頃に「海外のカンファレンスに行ってきなさい」ぽーん!だったり。2ヶ月旅に出てもみんな心から笑顔でその意義を理解し待っててくれたり。)

私にとって「プロ」や「仕事」と言われるものは金銭契約とは関係がない。それがあろうとなかろうと、私のpresence と知識、経験、パフォーマンスを信じて案件を振ってくれる方々に、責任とクオリティーの面でプロとしての役割を果たす。特に、コミュニケーション・プロセス・デザイナーが提供するものは、これまでの市場にない価値形態であり業務内容だから、まずは見て触れて体験してもらって関心や信頼を得ることが必要。いきなりcurrent marketのルールに則る(金銭契約)のが難しいのは当然。Something strangeにbidするって、芸術以外ではハードル高いよね。

そんなわけで、プロフェッショナル、ボランティア、プロボノといった間仕切りは I comprehend it but don’t follow it.

TEDxTokyo や TEDxTokyo yz で私がやっていることは、私にとってはプロとしての仕事。実践/修練の場。私は将来、こういう仕事(プロジェクトベースで次々に組織をローンチしたり、その周辺コミュニティをデザインし、育てていく)が “paid” なメインストリーム市場として成立すると信じてるから先行投資としてやっている。いわゆるボランティア活動という認識は微塵もない。既存のものとは違う社会/経済/政治体系を創り、そのエコシステムの中でおもしろおかしいアイディアがどんどん形になっていく— そんな容れ物をデザインし、こねこねしていく人がコミュニケーション・プロセス・デザイナー。(加えて、自分が構築しているシステム内で、自分のキャリアデベロップメントも行ない、プロトタイプとして提示するという2重構造。)

TEDxTokyo について「ボランティア組織をデザインし、まとめる」という言葉を便宜上使っているけれど、お金という契約を結ばずして、 “Ideas worth spreading”  “Open Source” “Creative Commons” といった哲学から新しい社会システムを築こうとしているTEDとTEDxTokyo を、不特定多数に説明する際に一番端的な言葉だからというだけ。「端的」だけど「的確」だとは思っていない。実際、TEDxTokyo と TEDxTokyo yz コミュニティからは、実際のビジネスプロジェクトやenterprise、新たなコミュニティが出現していっている。まだ、初期段階でsystematicなプロセスデザインになっていはいないけど、まさに「ソーシャル・インキュベーション・システム」として機能し始めてる。あるいは、メタコミュニティか。

この辺りは、「ボランティア」というカタカナ語の持つニュアンスの問題もあるんだよね。英語の voluntary — volunteer には、「ボランティア」の持つアンプロフェッショナルな感じや、組織側の「お金がなくて払えません!」「お金払わないのが原則」的な香りはそこまで強くない。あくまで「お金は受け取りません」というボランティアを提供する側のスタンスに重きがあると思う。

もう1つ。プロフェッショナルとパーソナルの境界線。これも曖昧。

私はコミュニケーションの「過程」「how」をデザインする人。そのフィールドを、組織形態や規模、産業、業種、年齢、国、文化などで絞っていない。ビジネスでも夫婦でも親子でも学校でも病院でも地域でも国際社会でもバーチャルでも、他人に対しても自分に対しても、コミュニケーションのエッセンスは同じ。そこに組織心理学や臨床心理学、東洋哲学やボディワーク、アートの方法論や技法を取り入れてやっている。

家族との関係作り、友人との愛情交換、恋をする時、1人の時間を過ごす時。こういった日常すべてが、コミュニケーション・プロセス・デザイナーの私にとって学びと実践の場。プロとしていつも気を張りつめているという意味じゃなくて、パーソナルもプロフェッショナルもないなーという、それだけ。

人間を追求すること、コミュニケーションのことが仕事だから、一瞬一瞬の触れ合いがプロフェッショナルデベロップメントに繋がってる。スキルアップになったり、新しい仕事をもたらしてくれたり。なんでパーソナルとプロフェッショナルを分けてるんだろう。そういう言葉(概念)があるからかな?だとしたら、言葉に操られて思考が固定化され、それに行動選択が影響されているのかも。人間は自分が編み出したものに逆に操られちゃうんだね。機械とか。言葉とか。

話が逸れてきたのでこの辺で。

モチベーションの話。コミュニケーションの話。

組織のリーダーとなったり、中間管理職的だったり、コンサルタント的だったり、契約社員的だったり、アドバイザー的だったり、様々な立ち位置を経験する中でも、私の主な役割は、

(その時に)属している組織が、信頼溢れるコミュニケーションを結びながら、遊び心豊かなアウトプットを、実践的効果的に出すこと

なんじゃないかと思う。

その際、私は「モチベーション」という要素について殊更考えたり取り組んだことがない。

モチベーションは副産物であって、働きかける対象ではない気がする。私たちはいつでも100%フルパワーではいられないし、いる必要がない。ダラダラしたい時もあるし、イライラしちゃう時もある。それを「モチベーションが上がった下がった」という定規で測って、「そら、今数値が下がってきてるから上げよう!」と賞与システムやら福利厚生やら、コーチングやら、あの手この手でモチベーションメーターをぎゅんぎゅん人力で上げようとすることはエネルギーの浪費かもしれない。「上がんないもんは上がんないっすよ。先輩。」なのである。しかも、「モチベーションって一体なんなんっすか?俺はうまい飯を食べたいっす。」なのである。

モチベーションという1つの項目があるのではなく、モチベーションは1人の人間を構成する複数の要素の期待値の総和、みたいなもんじゃなかろうか。となれば、horizontalな見方をしないとモチベーションは語れない。

それよりも、常に色んなメーターが上がったり下がったりしている人間が寄り集まった時に、全体としてまるっとスムーズに流れる容れ物(組織)を作っていく方がいいんだろうな、というのが経験知。だからこそ、寄り集まる意味があるんでしょ!誰かが下がって前線を退いたら、他のメンバーがカバーしていく。その間にモチベーション下がっちゃったメンバーはエネルギーチャージしてもらう。

あと、モチベーションは私たちの夢や方向性とリンクしているので、モチベーションが下がったということは、もしかしたら、もうその組織に属している根本的な意味が薄れていっているのかもしれない。そういう人のモチベーションを上げようとしたところで、双方にとってプラスはあまりない。その人が次のステップへ向かえるような、別の形のサポートをするのがいいと思う。

モチベーションを間接的に上げていくために必要なのは、自分とそれぞれメンバーとの信頼関係構築に尽きる。でも、他人とばっかり信頼を築こうとしても、その橋は一生出来上がらない。まず最初に、自分自身を受け入れ(愛し)、自信を持ち、信頼してあげること。なぜならば、私たちは自分の中で認められないこと、弱み、自信のないことを、他者にも投影してコミュニケーションするから。勝手に「そうだと」思い込んだ言動が積み重なり、複雑化していく。

他者とのコミュニケーションは、自己とのミスコミュニケーションの延長線上。

だから、自分への愛と信頼に基づいた、他者への愛情と信頼のコミュニケーションが大事となる。

毎日の積み重ねのコミュニケーションプロセスがあれば、その人のニーズがわかり、SWOT分析ができ、キャリアプランニングも見えて来るし、実践的なパフォーマンスも上がる。その背後では、モチベーションという横断的なものがぶわーっと上がっているのだろう。

さらに、各メンバーの強み弱み、性格、好き嫌いがわかると、どんな役割についてもらい、どんな人とチームを作ってもらい、全体としてどんな組織にしていくかが視覚化できるようになる。良い塩梅の組織構造ができると、体臭のような組織文化は自ずと良いものに醸成されていくので、よってモチベーションもまた上がる。

TEDxTokyoの組織論的舞台裏

TEDxTokyo という得体の知れないもの。

そのチームを繋ぐkey roleをしている得たいの知れないワタシ。

実のところ、自分がTEDxTokyoに関わるようになったのは、TEDを知っていたからでも、TEDtalksに感銘を受けていたからでもない。そもそも私が最初に出会ったのは、TEDxTokyo Co-founder の Toddと、まだまったく形がなかったTEDxTokyoという概念だった。それから、「母体がアメリカ西海岸発祥のTEDってものなんだよ。」と彼に教えてもらった。

じゃあ、どうしてTEDxTokyoをやることになったのかというと、純粋に「組織論の実験場」になる♪(* ̄ー ̄)v!!!という思いからだった。なんとも応用(人文)科学系院生活終了間もなかった(と言っても1年経過していたけど)人らしい発想。

以前ブログにも書いたように、私は、現行の西洋哲学に裏打ちされたパラダイムから端を発する「組織学」とは違った組織論がすでに展開されつつあると感じていたし、さらに押し進めた新しい形の組織を創ってみたいという欲求があった。「TEDxTokyoでそれが試せる!」というシグナルが、私をそこに飛び込ませた。

Toddとの出会いから1ヶ月後、当時スタンフォードより日本の大学にteaching exchangeで滞在していたカーラと一緒に、チームをスクラッチから作っていくという任務を遂行することとなった。Toddの家にあった何千という名刺の山と、彼がコツコツと貯めたプロフィールデータを1つ1つ整理し始め、連絡を取り、小さいイベントを開催し、徐々に黎明期コアチームを築いていった。それから2年半。私のTEDxTokyoチームデザインとコミュニティビルディングは終らない。

なんと言っても、十人十色な個々人が集まってボランティアベースでチームを作るのは大変。しかも、TEDxTokyoという蜜に吸い寄せられる蜂や蝶は一筋縄ではいかないキャラ立ち揃い。この人たちと信頼関係を築き(人間的にも能力的にも)、彼らの声を丹念に聴き、そしてリーダーとして声を発し(私はリーダーでもないんだけど、リーダーシップは発揮してる。リーダーという「人」と、リーダーシップという「能力を発揮する人」は別ものなんだと思う。)、それに耳を傾けてもらえるようになるには、love and care and persistence が必要。

具体的にどんなスキルセットが必要か、最近見えてきたので領域別に書いてみると、

  • 愛と信頼を育むコミュニケーション力
  • 組織デザイン力
  • 人のマネージメント力
  • 人の育成力
  • プロジェクト/タスク・マネージメント力
  • プロジェクト・ファシリテーション力
って感じでしょうか。

上記をさらにブレークダウンすることができるけど、それは次回に置いておく。

多くのリーダーに不足しているのは組織デザイン力。不足しているというより、そもそもその視点がないので、competency を伸ばしようがない。

Beware! なのは、プロジェクト・マネージメント力とヒューマンリソースマネージメント力はまったく違ったものだということ。前者ができると後者もできると思い込みがちだが、後者が抜け落ちている場合が少なくない。契約に基づき、明確な役職、責任、インセンティブが設定されている従来の組織であれば、プロマネ力だけでも力技で進んだりするんだけど、ボランティアベースで繋がり方がまったく違う組織内では、この両方を併せもっていることが特に大事で、片方だけが得意な人がリーダーになる場合は、別の人とツートップにして補完すること。あるいは、ヒューマンリソースマネージメント系を組織横断的に見ていくチームを別個作る(多くの会社組織はこれ)。ただ、ボランティアベースの場合にこのやり方をすると、組織が拡大すればするほど重荷になってしまうから、うまいハイブリッドポイントを見つける必要あり。

もう1つ鍵になるのは、マネージメント力(中央管理/監督)とファシリテーション力(自治を与えてエンパワメント)の二刀流であること。前者だけだとガチガチの組織風土になって結局コーポレートの二の舞になり、「じゃあなんでボランティアなの?」みたいなそもそも論になるし、後者だけだと、よくある情熱ありきで物事決まらない進まないの大混乱になる。TEDxTokyo に集まる人は基本、超高速なので、スピーディーかつリズミカルに結果を出していくプロセスデザインをしないと中だるみになる。あとは、アウトプット量が莫大なので速くないと追いつかないってのがそもそもある。今更言うまでもないけど、どんなものを生み出す(製造/生成)組織かで、集まる人も変わるし、組織文化も変わっていく。

In any cases, リーダーに必要不可欠!なものとして絞り込むならば、

  • 愛と信頼を育むコミュニケーション力
  • 組織デザイン力
  • 人の育成力
  • プロジェクト・ファシリテーション力

の4つかな〜。

人のマネージメントと、プロジェクト/タスクマネージメントは、チームメンバーに任せていい。

リーダーは火や風っぽい人が主流だしパワフルだけど、水や土っぽい人もいい気がするんだよねー。(すごい抽象論に一気にすっ飛びました。)全部の要素があればベストだけど、これからは後者のニーズが増えるのでは。

話を戻して、忘れてはならないこと。

TEDxTokyoという得体の知れない組織が、得体の知れないアウトプットを世に送り出し成功し出している秘訣は、TEDのプラットフォームとそこが提供するプログラムをうまい具合に有効活用してること。揺るがぬ哲学と世界観がある。TEDx ライセンサーは、そこを創る必要はもうない。(これが足枷になることもあるが。)

TEDにとっても、TEDxというスキームがなければ自らの哲学を実践に落とし込むことができないので、見事な相互依存ができている。TEDx 組織はTEDに依っているし、その逆もまた然り。自然の生態系に見られる共生によく似ている。これがTEDという新しい組織モデルの旨味。(注:TEDの組織モデルと、各TEDx の組織モデルは共通点はあるがまったく異なるもの。TEDは材料の一部と足場を用意してくれているけれど、実際に土を掘り起こし、土台を固め、設計図を引き、組み立てていくのはローカルのTEDx のリーダーの理念に依る。TEDは木の幹であり、枝葉がどのような形でどのようにして伸びていくかは太陽や水任せ、という感じ。)

そして、TEDxTokyoの成功の一翼は、明確なリーダー、Co-founders の Todd & Patrick の存在。なにより、彼等は信頼され愛されている。ここが1番大事。「まー、しょーがねーからついてってやるか!」と「うわ、この人まじヤヴァイ、やっぱすげーな!」を両方味わえる旨味度が高いリーダー。ちなみにPatrickは火と風を両方持ってて、それだけでも素晴らしいのだけど(普通は火だけとか風だけ)、Toddが土っぽいので絶妙なカップリング。たまに、火が燃え移って地面も火柱上げてるけど(笑)。そこに今度は風が吹いて、火が消し止められる。

これからの組織は、誰でもがリーダーシップを取るエンパワメント型、組織構造はネットワーク型で、collaborative なやり方がますますトレンドになる。しかし、それでも大きなビジョンを打ち出す/まとめるリーダーシップは要る。テントを立てるには、どんな形にしろ、ポールの本数や力点の数は変われど、支点が肝になる。支点って、どっか上の方に飛び出てるもんじゃないんだよね。リーダーも一緒。前に出て引っぱっているだけがリーダーではない。力学の問題と組織論は似ているかもしれない。

組織論 再考 Organization is to die.

最初のエントリーはどんな内容にしようかいくつか迷ったけれど、私の専門「組織心理学」の大黒柱とでも言うべきOragnizaion Theoryについて院生時代から考えていたことを記してみまふ。

昨年、twitterで組織論に関する考察をツダったのでまずはそれを紹介。

  • 新しい組織論を構築する上で、その上位部分を形成する経済理論を見直すことは不可欠。院生時代に資本主義の次のイデオロギーを考えてる学者はいないか尋ねたら、教授はコミュニズムから資本主義 をスキップして次にいこうとしている中国の経済学者はマルクスを読み直していると言っていた。中国語わかる組織論、組織心理学やってる人いないかねぇ。
  • 「経済成長をしなければならない」という命題は真なのか?この前提から考え直さねばならない。これは「組織は拡大成長し続けなければならない」という前提も同様だ。

これらの発言の裏にある私の問題提起は「現行の組織論への違和感」。組織論の根底には「機能主義」というパラダイムが脈々と流れています。例えば18、9世紀の哲学者、コント、カント、ヘーゲル、ディルタイ、ミード、ウェーバーなど。

機能主義というのは、「社会」という箱のなかで、人間が起こす多様な事象がパズルのピースのようにかちっとはまって相互に影響し合ってる様や、どんな風に個々のパズルピースとしての役割を担っているかを分析するもの。

別の言い方をすると、社会ってのは人間が客観的に捉えられるもの、「外」に「対象物」としてれっきとしてドーーーンと存在しているよね、という世界観。禅仏教や脱構築などとは鮮やかなコントラストを奏でる理論。

組織心理学の前身である「サイエンティフィック・マネージメント」の祖と言われるフレデリック・テイラーは、1つの製品を作り上げるための様々な行程作業を緻密に分析し、以前は統一されていなかった労働者の仕事に作業内容、労働時間、クオリティーなどの標準を設定し、上から管理することによって作業効率をあげていくというシステムを導入しました。

機能主義に根ざした組織論の大前提は「組織というのは時間と共に拡大し、また、競争の中で生き延びていかなければならない」。これは組織論ができた資本主義最盛期の20世紀は有効な価値観だったでしょう。でも、今、実際に世の中で起こっていることは、チームベース/プロジェクトベースの仕事の仕方だったり、テクノロジーを駆使して地理的/時間的距離を縮め、国や文化を越えたところでビジネスが生まれていたり、ソーシャルメディアの躍進による個人の台頭であったりで、これまでの巨大な組織がその目的遂行のために集団を管理していくという形からは離れていっており、より多くの点が線で縦横無尽に結ばれていくネットワーク型の組織体系が増えつつあります。成功例かどうかはまだ実験段階でわかりませんが、EUだってその例。国家のボーダーを越えて経済的、社会的リソースを運搬、共有し合っている。

チームベース/プロジェクトベースの働き方という点で言えば、プロジェクトが終わったら契約は終わり、そのチームは解散、自分の仕事も終わります。つまり、半永久的に規模を拡大し生き残っていかなければならないという、組織論がこれまで疑問視してこなかった命題は揺らぎ始めている。

そこで私がでっち上げた新しい組織論は「組織は死んでもいい」。別に社員数が数百人、数千人にならなくたって、店舗数増やさなくたって、自社ビル持たなくたって、上場しなくたって、目的が終わったら「会社は今日で終了です!」とか言っちゃう企業ができてもいいじゃないか。