先週まで行っていたヴィパサナ。瞑想コースが終了した後、お昼過ぎまでセンターに残りお掃除やお料理のお手伝いをしてきました。全く違う文化圏で1つ1つ勝手が分からない上に、何しろドイツ語が話せないので、私ができる仕事は非常に限られています。日本でどんな立場にいても、有能であったとしても、英語が話せる者同士ならば問題なく持っている力を発揮できるとしても、それ以外の場所に行ったら知的作業はどうにもなりません。できることはひたすら手足を動かすこと!
というわけで、サラダ用にKohlrabiという得体の知れない野菜とピーマンを切る役目を仰せつかりました。Kohlrabiはカブと大根とビーツの間のようなもので生でも食べられます。
ランチが始まると「ナホの切ったピーマンはすごく薄くスライスされてて美味しかった。上手ね!どうやって切ってたのか見ておけば良かった。」と褒められました。
言葉がわからなくても気持ちは通じ合える!というのは、ある側面では真理です。私も色々な場所を旅して実感しています。でも、「暮らし」「働く」場において言語ができないのは致命的で、一気に「あまり役に立たない人」に陥ります。そんな「陥る」経験を年を重ねてもたまにすることは非常に重要なんだと思います。己が本当は何を纏った人間なのかわかる。そして言葉がわからず役立たずな中でも何が自分にできるか探し、一生懸命それを果たそうとします。必死に言葉も覚えようとする。
ピーマン上手に切れてよかったな。