そのうち、日本人としての誇りやアイデンティティを守るために日本国とは対立って図が将来できあがってしまったりするんだろーか。「国を脱して国を守る。」なんかガンダムみたいだな。
いま政治を仕切っちゃってるおじーちゃんたちは、「米国に負けて軍隊がなくなっったから現状に陥ったのだ。だから軍隊復活だ!」などと本気で思ってるんだろうな。こーゆー「実はイロジカル」なロジックを立てちゃう人が寄ってたかって集まると争いごとが起こるのだ。それは国同士でもチームみたいな小さな規模でも同じ。
敗戦して骨抜きにされた結果の今の日本の世の中でダメダメな部分もありまくりだ。それは事実。でも、敗戦と骨抜きというところがあったから出来上がった日本ってものがあるわけで。そこには今の日本の味も含まれるわけで。軍隊を保有しないのは本当に稀に見る、希少価値の存在だと思うんだけど。それをアドバンテージにしてグローバル戦略立ててくことってできる気がするのに。誰だっけ、革命を起こすには、その時に支配してる人たちが死ぬのを待てって言ったの。。。長寿の国の弊害か。
人間2000~3000年、同じことやり続けてきたから、そろそろ新しいことやろうか。そんなわけで、脱法治国家を妄想したりして。国自体がなくならないとしても、そこから脱して違う何かを生み出し始める人が動き出すのはあり。
例えば、日本人が流浪の民になる。このままじゃ本当に住めない土地になるかもしれないしね。
幕末じゃないから日本国内に限らず世界各国で浪人。
剣の代わりにインターネット。
世界に散らばり新たな国家民族の形をつくる。
土地に縛られない国。
…ガンダムの次は剣心かー。似て非なることをすでにやってるのはジューイッシュ(国家でも民族でもなく宗教に根ざしてるけど)と中国人か。ジューでも特に、チェルノブイリとペレストロイカを体験したロシアンジューから学べることは果てしなさそうだな。。
そんな時代の真っただ中。私の渡欧は、個人の生き様のためだけじゃない、大きなうねりの一部として担うものがあるに違いないという感触が強くなってきた。外にいるからできること。仕組みの枠から一旦外れてこそ、中に呼び戻された時に生み出せる熱量はとても違うんじゃないかな。組織論的にも新たなる実験。企業、教育、医療、政党、行政、国家、、、すべてが組織。
利己と利他が重なるところに、アートがある。