人生をアートする

今回のプレゼンテーションを準備する際に、
会場に問いを投げかけて欲しいと言われました。

私がみなさんに問いかけたいのは、
「ちゃんと二足歩行できていますか?」ということです。

瞑想やヨガは、呼吸を使って骨格や筋肉の付き方に変化を及ぼします。
曲がってついているもの、歪んでしまったものが、
元のあるべき場所に、あるべき形で納まっていく。
前傾になった肩、狭まった胸骨、丸くなった背骨が開き、
平らかになっていきます。
頭部、首、背骨、腰、股関節がしっかりと連動すると、
歩行の仕方に変化が表れました。
31歳にして、今まで自分はちゃんと二足歩行ができていなかったことに気が付きました。

人間として当たり前にやってきていること。
自分にはきちんとそれができると信じて疑わないこと。
そういったものはたくさんあります。
歩くこと、食べること、目で見ること、耳で聞くこと。
しかし、本当にそうなのでしょうか?
私たちは、きちんと歩けているのでしょうか?
きちんと食べているでしょうか?
しっかりと目で見ているでしょうか?

本来の人間が持っているものを活かし切っているでしょうか?
真に人間らしい、自分らしいとはどういうことでしょう?
私はずっと、このことを探求してきました。

私たちの生きる目的とは何でしょうか?
100年後の地球のためだったり、次世代の子供たちのためだったり、
今ある社会にポジティブな変化をもたらすためだったり、
私たちはそれぞれ、なぜ生を与えられたのか、
社会の中で成すべきことは何なのかを模索しています。

TEDxTokyoといった活動をしていると、
「この先はどんなことをしたいの?」
「次の目標はなに?」といった質問をよく受けます。
でも、私は特に社会で成し遂げたいことはないし、
10年後のビジョンなんてものはありません。
私がしたいのは、自分を表現し尽くすこと。
なんとも利己的ですが、それが素直な想いです。

10年来の親友が出会った頃間もなく、私をこう言い表してくれたことがあります。

「人生をアートする人」

何のためでもなく、ただ自分のあるがままの姿を追求し、
それを日々の生活で体現していくこと。
自分自身が作品であり、表現の結果となります。
どんな人と出会い、どんな場所で暮らし、どんな言葉を紡ぎ、
どんな働き方を模索し、どんな愛を育むか。
私の作品は、絵でも彫刻でもメディアアートでもなく、私の生き様です。

私がこの生を全うする中でとても大事にしていることは、
自分が下手な努力や無理をせず、ありのままの自然体でいることによって、
他者のためになる存在となること。
自己犠牲でもなく、自己の抑圧でもなく、
人生を謳歌しながら周りの人を笑顔にし、
他の生き物や自然と共にあれたらそれ以上のことはありません。
利己と利他が合一するところに、わたしのアートがあります。

人間という動物に生まれたわたしらしくあるために、
自分の生き様を作品として表現していく。
日々の生き方をアートにしていくために、
絵の具となり筆となるのはコミュニケーションです。

私たちは、生れ落ちた瞬間から死ぬ間際まで、
コミュニケーションを絶え間なく続けています。
国や文化や言語を違えても、年齢や性別、あるいは生物の種に関わらず。
仕事をしている時、勉強している時、家族と過ごしている時。
1人でいても自分とコミュニケーションをしています。
頭の中で妄想を膨らませ、寝ている間は夢を見る。
話す、書く、絵を描く、記号を使う、メロディーを奏でる、スポーツをする。

空間を共にするコミュニケーション。
電話を介するコミュニケーション。
インターネット越しのコミュニケーション。

私たちは命の誕生から終りまで呼吸を止めることはありません。
同じように、生まれてから死ぬまで、
コミュニケーションをひたすら続けます。
人間の社会的活動の最小単位がコミュニケーションであると私は考えています。

コミュニケーションの1つ1つが、
わたしというアート作品を描くために
選び取られた筆であり、
選び抜かれた色となります。

そんな生き方を持続させるために、
コミュニケーション・プロセス・デザイナーという職業を創り出しました。
人間らしい生き方とは何か。
社会や文化で規定された枠ではなく、
生まれながらにして持っている自分らしさとは何か。
その探求を仕事を通してしていくためです。

個人が自身の内にある価値観に触れ、
その人に合ったキャリアを発見するのを手伝ったり、
同じような想いを抱く人びとが共感し、支援し合うコミュニティを育成したり、
イベントをプロデュースしたり、組織をデザインをしたり、
リーダーとなってプロジェクトを執行したり、
コミュニケーションに関する幅広い活動をしていますが、
コミュニケーションプロセスデザイナーの根底にあるのは
「あるがままの自分」を受け入れ、
そんな自分を体現していくための環境と
信頼ある人間関係を築くことです。

呼吸を通じて体の中の歪みが消えていくように、
コミュニケーションを通じて、
社会、つまり、人間関係の網の目の中の歪みを消していきます。

身体と精神を浄化するために、いくつもの呼吸法がありますが、
私たちを取り巻く社会のひずみに働きかけるには
今、どんなコミュニケーションが求められているのでしょうか?

生まれてから何十年もやり続け、
当たり前にできていると思い込んでいるコミュニケーション。
しかし本当に、私たちらしい、自然で心地よい、
お互いが寄り添うことのできるコミュニケーションを行なっているでしょうか?
その力を私たちは培ってきているでしょうか?

 

note: this was presented at Miratsuku Forum, the theme of which was “Collective Innovation,” on Dec. 23, 2011.

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