父が亡くなってから2年半。
彼の死因にこだわっていた。
父の死に様を見て、「彼はこうこうこうだったから」「きっとこれがよかったのよ」と、
そこに何彼と意味を付与しようとする人びとに対して激しい憤りと嘔吐感を抱いた。
「あの人の死に方はあの人らしく立派だった。」
「あの子がどうしてあんな死に方をしたのかしら。」
「あんな死に方をするのも当然だ。」
人は他者の終焉によって、その人生をジャッジする。
「お父さんが今亡くなったことは、あなたにとって何かしら意味があるんだよ。」
と慰めてくれる人たちの気持ちに深い感謝はしたけれど、
まったくもって私はそうは信じていなかった。
そんな意味はクソ食らえ!なのである。
父が死ななければ見出せない使命や意図が私の人生にあったとしたら
そんなものはいらないし、自力で手に入れるから父を死なせるな。
そう思っていた。
これは現在でも変わらない。
父の急逝を機にこう考えるようになった。
人間の生命において、私たちは自律を持って人生を過ごしていくことができるし、
無数の意味あることと、意味のないことが、絡まって進んでいく。
しかし、生まれる瞬間と死ぬ瞬間だけはどうやってもコントロールできない。
死という現象に関してはとりたてて意味はない、と。
「死」、否、「死にゆき方」に意味を見出すのは、地球上の生命で人間だけだ。
それは言語と理性を極度に発達させた異例の動物だからかもしれない。
でも私は思っていた。
道ばたに転がっている雀の屍と、棺に入った父の遺体の一体何が違うのかと。
山の中で倒れている巨木と、人間の死体。一体何が違うのか。
土や海に還るだけなのに。
死を特別視し過ぎだ。
生まれ方はそこまで取り沙汰されないのに。
未熟児や帝王切開で生まれたことで、人格をジャッジすることはない。
意味というものを何にでも与えようとし過ぎだ。
意味をなしえないものもある。
人との出会いには意味がある、すべては繋がっている
という信念を持っていた私にとって根本を覆された。
28年間構築した世界観が木っ端みじんに崩壊し、
条理と不条理の狭間で血の滲むような葛藤を経験した。
最初は瓦礫の上で途方に暮れ、
それから何ものにも向けられない怒りと哀しみに翻弄され、
粉々の瓦礫を修復しようとして絶望し、
新しい材料を集めて1つ1つ積み上げていくほかないと思い知らされた。
1年、2年と時間が経過するうちに、
相反する2つの大きな世界観はいつしか共生するようになっていった。
矛盾が矛盾でなくなった。
一方で、人間の死に様に意味はないという自分の主張と裏腹に、
父の死因にずっとひっかかったままだった。
「なぜあんな風に死んだのか?」
自分が「そうである」と信じていて、他人に伝える考え方(espoused theory)と、
実際に具体的な言動や感情に表出され、espoused theoryとは一致しない
素の自分(theory-in-action)の間に、ギャップがあるのが人間の常だ。
このギャップは他人には割と容易に感知さ れるのだが、
当の本人は無意識で、自分は理想的なespoused theoryを
実践していると錯覚していることが多々ある。
あるいは、ギャップに気づいていてもどうすることもできないのだ。
私は後者だった。ギャップに気づいてたが、埋める術を知らなかった。
ただ、その溝の狭間で痛みを伴う違和感を感じていた。
そして今日。
遺影を見つめていたら、
「どっちでもいいや」
とぽつりと思った。
どう死んだか、何が原因で死んだかは、見る角度によって、感じ方によって変わる。
やっと、自らの主張する世界観を歩き始めた瞬間だった。