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monologue

翼の話

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4月末からGWにかけて、長野と関西に行った。父の五回忌は長野のひなびた温泉地へ。父と私は温泉友達だった。その後、3月に一周忌を迎えた友のお墓参りに奈良へ赴き、そこから京都、高野山、京都と旅をしてきた。

出国前に2人の墓前に挨拶をできてよかった。アメリカ在住時代の1番身近な友達の1人が彼だった。父の命日は私のアメリカ生活最後の日になったのもあり、2人の死は、人生の一つの時代に明確な区切りをつけるものだった。何をも怖れず、守るものがあることや、生きることがどういうことかをまだ知らずにいた、無知がもたらす輝かしさ。10代ほど幼気でもなく、30代ほど謙虚でもない、20代だけが持つnaiveさゆえの強さ。それは空を飛べる翼だった。

翼がもげ、意図せぬ形で戻ってきた日本。ここはもしかしたら体を回復させる休息地だったのかもしれない。休息という言葉とは裏腹のえぐられるような日々だったけれど。何度も何度も脱皮を繰り返し、傷を癒し、膿を出し、痛みに葛藤した。そしてやっと新たな翼が生え、飛び立てるだけに成長したように思う。その間にしっぽも生えた。

日本での5年間は、アメリカで失った翼を取り戻すための費やされたような気もする。2人の死者の墓前に向かうことは、これから新たな異国の地へ旅立つ前の儀式だったのかもしれない。

 

解放

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年末年始は家におにぃが帰ってきています。今夜は葉山のお寿司屋さんにママンと3人でお夕食を食べに行きました。私の渡欧の件、昨年の春頃からママンには刷り込んできていました。秋にはおにぃに報告し「好きにしなさい。」と言ってくれました。

不思議なもので、1対1だと気張れば言えることが、同じ相手でも「皆揃って」になると言い辛くなることってあって。なんだろね。「公認の事実」のパワーすごし。

「よし、新年2日目だし改めて家族の前で渡欧のことを話そう!」と思い、ドキドキしながら言う機会を伺っていたら、ママンが予期せぬキラーパス。「ナホちゃんまた出てっちゃうのよ。」

いや〜、集団の利点は自分だけで気張らなくてもいいとこですね(笑)。全部1人でやろうとしなくても、相手が勝手にやってくれる時がある。そんなわけで、和やかに家族内の周知のこととなり、渡欧へ大きく大きく一歩近づきました!何と言っても、ただ1つの心配は、初めての1人暮らしになるママンと、とにかく色んなことをまるっと引き受けてくれてるおにぃだったからね。

ママン「すぐ帰ってくればいいのに〜。」

おにぃ「1、2年、楽しんだら帰ってきたらいいよ。」

という言葉にはホッとしたわぁ。行くことも、帰ってくることも異議無し。井口家は、各々の人生を相談することが皆無に近い。決断に反対することもない。

今夜、もう1つ大きな変化があった。父のことがおにぃの口から出た。葬式で棺桶の蓋を閉めている時に涙を少し流したのが、彼の唯一の父の死に対する反応だった。あれから4年と8ヶ月。家族3人で初めて父の話が出た。ほんの少しだったけど。

日本に帰国してからの日々は、父の死との葛藤だった。葛藤は、わたしを己と向き合わせた。対峙すると、生まれてから重ねた齢の分だけ蓄積された、心や記憶や体のあくなき探求へ導かれた。何度も何度も嘔吐のような脱皮を繰り返した。32歳の時、先天的なものと後天的なもの、両方合わせて自分が持っているすべてを引き受けられたと感じた。受精してから今までという「過去」に降服した。過去をすべて見渡すと、過去は今となり、もう過去を捉えたり、癒したりすることで今を感じようとせずに済むようになった。生まれつきのことや、幼い頃にたまたま与えられた環境や、過去の出来事と、現在の私の因果関係から解放された。あるのは今と未来と、それを支えてくれる過去。

父の死という現象からの解放と共に、32年間の自我からの解放が起こり、これから新たな地(知)(血)へ赴きます。

ヴィパサナ瞑想の質も変化してきました。これまでは、無意識層の身体に潜む過去を解きほぐしていく手術と治癒のプロセスだったのが、最近は、自分の死をきちんと取り扱うための「意識化の技」を身につけるためにやっています。死はわたしたちの未来です。未来に向かってする準備の瞑想。

行く年来る年

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昨日はお誕生日でした。満33歳になりました。33年間、五体満足、心身共に健やかに生きてこれたことに平伏します。

33年生きて初めて、生まれてから今までの辿ってきた道をすべてサーチライトで照らし、向き合い、消化し、治癒し、承認し、受け入れ、愛することができたなという実感を抱いています。生まれつきの肉体や体質が与えるいい、悪いもの。この家族に生まれた素晴らしいこと、チャレンジングなこと。幼い頃に刻まれた甘い記憶と厳しい体験。私の生まれ持ったカルマ。肉体レベル、心理レベル、魂レベル、すべてにおける私の33年間の蓄積。

今朝のメッタの瞑想では、頭になんとはなしに思い浮かんだ色んな生き物や、色んな人ー仲のいい人も会ったことがない人もーが幸せであるようにと愛の振動を送りました。他の幸せを想うと、自分が癒される気がします。錯覚かもしれませんが、ここに平安が生まれます。

最近、友人を亡くしたので、今日はこれまで亡くなった大切な人たちのことをたくさん思い出しました。自分の生を確かめることは、死を想起させます。

死とはどこか遠くにあるものではなく、ここ=私の中に、内包されています。死が道端に転がっていて、遭遇したら死ぬわけではありません。人間含め、生き物はいつ死ぬかわからない。死(の可能性/存在)は常に私たちに属しています。この認識は、恐怖ではなく謙虚さをもたらしてくれます。

また、「明日死ぬかもしれないから毎日を大切に生きよう」というような勤勉で勇気ある感覚は私にはありません。というより、先ほどの死への認識は「死ぬかもしれないから」という仮説の立て方から解き放ってくれます。死の客体化から抜け出ます。頭でする観念的な死への理解ではなく、本能的な「死との共存」です。

33歳の生活の指標を二つ決めました。一つは月経周期に合わせたスケジューリングをすること。排卵期、ホルモンの移り変わり、満月とのシンクロなど、肉体的に知覚できる明確なサインがあるので、心と体の求めるものに合った優しい暮らし方を意識的にプランニングしたらどうなるか試してみたいと思います。

もう一つは、living = dying。
死ぬ準備をしながら生きるとでも言うのでしょうか。ただこれは、老後を考えたり、遺言を書いたり、やり残したことをチェックリストに入れて一つ一つ達成するわけではありません。あるいは、病気になって死期が近付いた際に、事実を真正面から受け止めていけるような精神力を今から培うことでもありません。もっと実際的に死にいくことを取り扱う技を身につけたいと思っています。

現代日本やある一定の地域での常識では、死んでいく肉体と死んでいく意識は、脳や心臓の停止で判断されます。一方で、死んだ後も残る微細な意識レベルがあり、それは訓練によって養うことができると考える世界観、死生観もあるそうです。例えばチベット仏教僧は、輪廻のための次の肉体へ魂が無事渡るために、瞑想、夢、睡眠などのヨーガタントラを通して訓練します。

将来のビジョンは何かと聞かれても特にない私ですが、1番やりたいことは、人間という動物を探求し、可能性を発掘することです。人間を知るためには自分を実験台にするのが簡単です。

人間を人間たらしめているのは脳の発達からくる意識のスペクトラム。だから心理学にも関心を抱きました。この肉体が、この世界で行きつける最果てはどこか。山登りでもダイビングでもなく、私はそれを意識を乗りこなすことでやってみたいようです。

死は与えられるのだろうか?

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宿の管理人さんの運転する車で眠りこけていて、起きたら崩れた校舎と、花に飾られた墓石が目の前にあった。なんとはなしに北上川沿いの道を河口に下っていってぶつかったのが大川小学校だった。60余名の子供の命が亡くなり、避難経路の確認や遺族からの訴訟が始まっているらしい。この立地ならば、もしすぐ隣の山に逃げていれば助かっていただろうに、という思いを拭い去ることはできないだろう。でも、生き物の生死に「もし」はない。死ぬのだ。否応なく。どのように死がもたらされるか、そこには私たちの力の入る余地はない。

先導した先生たちに、子供たちの死への責任はあるのか?ないのか?墜落した飛行機のパイロットに、乗客の死の責任はあるのか?ないのか?いじめを受けて自殺をした子をいじめていた人たちに、その子の死の責任はあるのか?ないのか?暴行殺人に及んだ犯罪者に、被害者の死の責任があるのか?ないのか?

闘病を必死にして死の準備をして死んでいく者と、突然交通事故で死ぬ者と、彼らの死には何か違いがあるだろうか。後者は本人が予期していず、無念だと感じながら死ぬかもしれない。それが問題なのだろうか。問題ではないのだろうか。前者の方が自分の死に責任をもっているのだろうか?いないのだろうか?

死は他者から与えられうるものなのか?
死は自ら選び取ることができるのか?
死の範囲とはなんだろうか?
あるいは、死の責任の範囲とはなんだろうか?

私の死は何によって与えられるのだろう。

2013年4月25日に。

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ちょうど1ヶ月前の7月11日、天啓がくだり、2013年4月25日にベルリンへ渡ることを決めた。2008年の同日、私はアメリカを去り日本に戻ってきた。父親の命日の翌日のことだ。カリフォルニアの深夜に、日本の兄から父の訃報の電話を受け、錯乱状態の中、どうやって飛行機を取ったかはあまり覚えていない。成田に降り立った時、すでに「日本は3年」と決めていた。縁があってもう少し長く居ることになっているが、丸5年経過する来年の同じ日に、日本を離れることにした。

振り返れば、この4年間は父の死によって突き動かされてきた毎日だった。無慈悲と絶望を知り、あらゆる感情の極限を体験し、不信に苛まれ、己を責めた。3年が経過する頃、やっと崖から這い上がってきた感覚を得られるようになった。彼の死に様は28年生きた私を粉々にし、今の私の骨格を形成したと思う。

父はいくつか不思議なものを残していた。1つは死んだ時に持っていた財布の中身。生前、私と最後に会った日に行ったコーヒーショップのレシートが入っていた。物持ちがいいというか、何と言うか。もう1つは小説だ。病気になってから死ぬまでの1年半(実際に動けるようになってからなので最期の半年)で、10本ほどのフィクションと、6〜7本のエッセイを書き残している。エッセイは死後すぐに読んだが、小説にはなかなか手が付けられず、ずるずる時間は過ぎていった。今年に入って読む決心がつく出来事があったので、約4年振りにのろのろとフォルダを開くこととなった。

大学を卒業して間もなくアメリカに渡った私は、そのまま学生を続け、とうとう社会人になるかという間際に父は逝ったので、1人の人間としての彼と接する機会は一度としてないままだった。代わりに今、彼の小説を通して、彼という人間が何者かを学んでいる。

今月は、3月に他界したアメリカ時代の親友の新盆だ。出張がたまたま彼の実家のある奈良であったので、訪ねに行った。新盆特有の「臭い」が仏壇にはあって、2008年の夏を思い出した。彼が息を引き取る直前まで寝ていたベッドに寝泊まりした。部屋にはアメリカを急に去ることとなった私が彼にあげたスピーカーがあって驚いた。これまた物持ちのいい人だ。家には彼の気配がするとご両親が仰っていた。父が死んだ当時は、私が背負っていると言われたこともあったから、気配の話はなんとなくわかる。実際、翌朝、起きてベッドで座っていると、ドアをコンッとノックされた。「はい!」と返事をしたから、満足したんだと思う。

父も今ごろ、安曇野の家に戻ってくつろいでいるのだろうか。今年はお彼岸に会いに行く。その頃までには、すべての小説を読み終わっているかもしれない。

ツァラトゥストラはバルセロナでかく語りき

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バルセロナでした買い物がタックスリファンドできるということでお店で書類を受け取って、空港で手続きするところで、税関のおやじがまじグランピーでムカつく奴でみっちりケンカした挙句、書類を破り捨ててきた。

そもそもタックスフリーいらない。手続き面倒くさいし、同じことやるはずなのに各国、各空港で手順が違い過ぎて紛らわしいし、こっちの国では税金払わなくていいけど、あっちの国では払ってね、みたいな国を境にした考え方がよくわからないー。私はタックスフリーの用紙を破り捨てたので、スペインに税金を払ったわけだけど、別にいいじゃんね。払うよ。誰か使ってください。

世の中ってお金がより多くある人に便利になってるよね。医療を考えると命も守りやすいし、クレジットカードが10万円限度と100万円限度と無制限は収入とか所属で決まって、限度額が低いほど、何か困ったことがあったら助けてもらえない。

カードが何かのエラー(海外行くとよくある)で急に使えなくなって、この場で今すぐ払わないと訴訟だと言われ、なんとか別の打開策を提案して問題解決したけど、クレジットカードはすっごい不便!って思った。

この頭くるやりとりをしながら、そもそもカード持てない人が世の中にはたくさんいるなぁと思い。それはお金があるかないかで決まるのだなーって。

クレジットカード持てない人と持てる人の間にある、命と徳の差はなんだ?

クレジットってそもそも信用だよね?信用じゃなくて疑いから成り立ってるじゃん。Doubt cardって名前変えた方がいいよ。

わたしには日本国民ですって意識は十分ある。それは私にとってすごく大事。でも、認識的文化的な部分だけあればいいのかもと思った。社会システムのための法や国籍については、もっとボーダレスにしていきたいな。

ドイツでは、self-employed ビザ保有者にペンションプランの税金を支払わせる法案が可決するかもしれないらしい。きっと老後はそこにいない外国人ビザ保有者が支払う多額の税金は、そんな何十年先の保険のためではなく、今の国家の金欠のために使われるわけで。

ロシア人の友達は、ドイツでツーリストビザを取るのさえありえないくらいのひどい対応と、システムと法の縛りに振り回されたって。でも彼女はアメリカでグリーンカード持ってて、ドイツでのビザ申請中にアメリカ国籍が取得できたから、その瞬間から、ドイツでの対応はガラリと変わった。どんな下らん奴でもアメリカ人ならウェルカム、ロシア人はファック。(これはドイツでの例ね。)

歴史的なものがあるからその条件反射もわからんでもないけどねー、とロシア人の友達w

国籍なんておかしなもんだよと、移民暮らしが長い仲間たちは言う。自分の国が崩壊したら、地球の人間界での存在権を確保するために国を移動して国籍を取る。

日本のために何かしたい気持ちは単純にあるけど、国のためなのかな?この島にあるものと、いる人と、培われてきたもののために何かしたいだけだよ。それがたまたまこの数千年は「国」って呼ばれてるけど。

各国で別々の国家や法や税金がないと機能しないという論点はもっともだ。いっしょくたにしたら、ゴチャゴチャになって、犯罪も増えるし、秩序なくなるよ。

でも実際、もはや機能してないよね??世の中見てみるとさ。

お金にまつわるしちめんどくさいことを連チャンで体験してすぐに、『ツァラトゥストラはかく語りき』を読んだら、ツァラトゥストラはこう言ってた。

新しい価値の創造の自由を手に入れるために獅子となり、
新しい価値を生み出すために、無垢であり忘却であり遊戯である幼な子となる。

精神の支配者である竜はこう言う。
「汝なすべし」

精神の自由を求め、おのれの求める砂漠における支配者たらんとする獅子はこう返す。
「我は欲する」

私は砂漠を求める獅子であり、さらに新しいものを創り出す遊びを楽しむ幼な子なんだなー。

めっちゃ腑に落ちた。ニーチェ!

旅の終わりに思うこと

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この痛みは、自己表現の欲求からくる痛み。

自分でありたいと願うことが、自分を痛ませている。

この痛みが消えたら、わたしはわたしじゃなくなるのか?

そんなことはない。

わたしをわたし為らしめているものを捨て去ったら、わたしはわたしでなくなるのか?

そんなことはない。

この痛みが消えても、わたしはわたしでありつづける。
今のわたしが大事にしてるものが失われることはない。

西洋心理学の言うアイデテンティティ(自己同一性)やエゴ(自我)を、人間精神の核として捉える見方の、さらに奥深くには、もっと違う世界が広がっていることを体感した。

わたしの存在を支えている核は、そこではない。

文化の変容は社会システム変革の後に起こるのかも

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今年はヨーロッパに渡ろうと思ってます。

大学3年の就活前に、組織心理学が自分の礎となる学問だと感じたのと、10~15年後には日本にもマーケットが開き始めるはずという勘があったから、就活をせずに好きなことして暮らし、卒業後アメリカに渡って勉強をした。

その直観は幸運なことに敵中していて、特に去年から今年にかけて、自分が勝手につくり出した職業「コミュニケーション・プロセス・デザイナー」や、その方法論の1つとして使っている組織心理学の視点は、日に日にニーズを増している感覚がある。既存のシステム内で新しいものを作ればよかった時代は終わり、システム自体を作り変えないとならない時代に入ったわたしたち。組織心理学は、社会システム構築のための建築学みたいな役割なので、急ピッチで注目が上がってきているのかなと思う。

ヨーロッパに行くのは、あの頃と似たような妙な勘が働いているから。

今の日本では、自分の体のリズムや信念に合うライフスタイルを送るためにはけっこうな努力が要る。他者との関係を疎かにしてしまう羽目になりそうだし、自分の機会損失、あるいは信頼損失にも繋がりかねなかったりして(24時前に寝るには21時には都内を出ないといけないとなると、仕事やそれに関する活動の時間が狭まったりだとか。満員電車はどうしても理解できないし、気分が悪くなっちゃうから避けてスケジュールを組むとか。)自分の送りたい生活が「よいね。っていうか当たり前でしょ。」と習慣化されてる社会/文化にいないと、無駄なエネルギーを払って必死に獲得するものになっちゃう。

じゃあ、それが当たり前の場所に行けば楽チンじゃない!確かに、そこで待っている根本的なカルチャーショックと向き合うのは生半可なことではないけど。

ヨーロッパの中でも、特にラテンカルチャーがなんだかひっかかる。あの人たちは、日本人からすっぽり抜け落ちちゃってる人間的なものを大事にしてるとこがあるんだよね。時間の価値観とか、愛情関係の価値観とか、表現への貪欲さとか。これから10年くらい経ったら、日本でも「そーゆー考えがいいかも!」って、今のソーシャルイノベーションのムーブメントみたいになってる気がするんだよねー。

国や民族単位でパラダイムシフトが起こる時、まず最初に社会システムの抜本改革が興り、続いてそのシステムから醸成されて生まれる文化の変革になるのだろうなーと思った。今、私たちは社会システムの転換期にあるから、次の10~15年で社会システムだけでなく、文化の変革に至るんじゃないかと。

なので、ラテン文化をわたしが芯まで吸収して日本に戻ってくることは、のちのち日本で何かしらベネフィットになるんじゃないかなぁと思う。

緩い。。。
アメリカ西海岸ベイエリア文化も、日本の文化/社会的枠組みの影響で日の目を見てなかった私のエッセンスにピッタリだったからズコーーーンとそこを開発できて、今それが日本に帰ってきて役に立ちまくってるし。

まずは行ってみよーと思うのです。(それについてのプロジェクトも立ち上げた!)

メッタの瞑想

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大きな病にかかっている人、貧困にあえぐ人、自分より明らかに苦境に立たされ、しかも生命の危機に晒されていような人たちに慈愛と哀れみ与えるのは、実はそんなに難しいことではない。人は、そういう風にできているから。それよりも本当に難しいのは、身近な人間関係の中で、自分の体や精神や心の領域を、自分にとって好ましくない、望ましくない方法で脅かす人に対して、怒りや牙を剥けず、罵らず、蔑まず、それでも愛情を「示す」ことだ。愛情を持っていても、恐れから示さないことが私たちはよくある。それは怒りや憎しみ、諦めや自己否定に変化する。

だから、愛情をかけている人と、自分の身を守ることが先決であると感じるようなギリギリの辛い状況に陥った時に、それでも愛情を示すことが大事だ。私はそうする。

ヴィパサナ瞑想では10日目に「メッタの瞑想」を習う。自己の身体を通して時々刻々と移り変わるありのままを観るヴィパサナに対し、メッタは、ただ純粋に内から湧き出る愛を周りに広めていく瞑想だ。内なるエネルギーを周りに共有するものなので、自分の中で違和感がある時はやらないようにと教えられる。自ずとメッタを捧げたいと感じた時にだけやるべき瞑想だ。

ヴィパサナを毎日やってきたこの10ヶ月の間、一度もメッタの瞑想をしようと感じたことはなかった。でも今朝は、自然とそうなっていた。祈るように、メッタの瞑想をした。

心の平安というものが何か、初めて体で少し感じ取れたんだと思う。

 

posted on FB on January 13th, 2012

意識のスペクトラム

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という言葉はずいぶん昔にケン・ウィルバーの本で初めて知った。瞑想中に何が起こっているかというと、この意識のスペクトラムを行ったり来たりしているのだと思う。

これまで生きてきた過程で経験したこと、その時に沸き上がってきた感情の数々。記憶は脳に刻まれるように体にも刻まれる。通常は脳から指令がいって体が動くのだが、瞑想中は、身体から脳をアクティベートしているよう。脳と体のインタラクションが精緻になっていくにつれ、意識は明瞭ながらも揺らぎ、スペクトラムの深みへ深みへと降りていく。鮮明な視覚的聴覚的な記憶と共に、感情的なものや体の感覚が蘇ってくる。さながら退行催眠をしているように、唐突に無秩序に過去の記憶がフラッシュバックする。

そうしていると、「わたしの過去はこれこれこうだったから今こうなんだ」という精神分析学的な問題把握と解決が起きるし、「こういう状況に陥るとわたしはこれこれこう反応してしまうからああしよう」という認知行動学的な問題把握と解決も起きるし、「今のわたしはこう感じているのだからこうしてあげよう」というゲシュタルト療法的な問題把握と解決も起きる。多様な意識レベルを浮遊する。

しかし、最終的に行き着くところは、過去にフォーカスすることでも、原因(過去)と結果(未来)のメカニズムにフォーカスすることでも、今だけにフォーカスすることでもないのだ。

体の感覚を細部まで観察していると、最初は表面の皮膚しか知覚できないが、そのうち体内にある筋肉、骨、臓器、そして脳みそを知覚できるようになってくる。継続すると視点はさらにズームインされていき、血管内の血の巡りや、筋肉を組成する組織(tissues)にまで及び、細分化のプロセスは終りがない。不思議なのは、感覚がミクロになればなるほど体の各パーツに意識が向いてしまい断片的な現状把握になるかと思いきや、逆に身体全体が1つの何の隔たりもないものとして感じられるようになってくること。

金属板でも入ってるのかと思うように凝り固まってしまった体のさまざまな部位。それに対して凝った、痛いと反射的に反応してしまうと、それは岩のように厳然と立ちはだかる。しかし、どんなに堅くて微動だにしないものも、ミクロレベルでは躍動する粒子でできていのだということが感じられるようになってきた。動かぬものの内部には無数のダイナミズムが潜んでいる。そこを突く。そこに入っていく。そうすると、鉄板のようだった凝り固まりが、繻子のリボンのように解けていく。

大きな塊として知覚していたものが、じょじょに小さくなっていき、さらに細かくなり、ついには粒子の波のようになる。この身体レベルでの現実認知の変化は、上記の心理学的な現実認知と呼応していると思う。現在、未来、過去といった時間軸による経験と意識の蓄積が、じょじょに不可逆的な時間の理解を越え、過去、現在、未来といった隔たりはなくなり、ついには時間感覚は空間が混ざった波となる。

身体を流れるエネルギーは時間を超越しているのだ。