2012年の仕事納めの日に

2012年12月18日に開いたTEDxTokyo 2013チームのキックオフにて、TEDxTokyo オペレーションディレクターを正式に引退しました。

2009年1月24日に青山で開かれたワークショップで偶然トッドに出会い、2月に自由が丘のカフェでパトリックと3人で話をし、カーラという女の子と一緒にローンチチーム立ち上げのために動き始めました。トッドが思い描くbig pictureのあらすじと、そのためにTEDxTokyoを5月にやると聞いただけ。他には大した情報も知識も指示も枠組みもありませんでしたが、迷いも不安も恐れも同じようにありませんでした。なにもなかった。

5年の時を経て突如、日本に再適応しなければならなかったこと。新卒じゃないくせに就労経験ゼロで仕事を見つけなければならなかったこと。そろそろ社会に居場所を見つけなければこのまま落ちてくという腐敗臭のようなものが漂い始めたこと。振り返ってみれば、不利なカードばかりが手元に残っていたけれど、それさえどうでもよくなるような絶望にまみれていたなぁと思います。父の無惨な死は、私にこの世の無情を叩き付けました。たった28年ですが、それなりに築き上げてきた価値観が粉砕されました。この世に生を受けたものとしての限界と、わたしの限界がピッタリと一致した時でした。

死なない限りはなんとかなる。それ以外はすべて下らない。本気でそう思っていたので、当時はイメージと可能性以外は何もなかったTEDxTokyoという得体のしれぬものに飛び込む決意をすることも、そこでフリーランスの道を開拓していくことも、恐れや不安を呼び覚ましませんでした。失敗したってそれが何なの?生きてるんなら、なんでもいい。「毎日の生活」と「働くこと」と「死」に繋がりが見えたころ、社会人1年目を走り出しました。亀の甲より年の劫。

時間とコミュニケーション能力と組織心理学の知識だけはあった私にとって、野原のようにだだっ広くて「動いたもん勝ちだよ。どんどん好きにやっちゃって!」なTEDxTokyoは最適なコンテイナーだったんだなぁ。改めて納得。「これはよい乗り物になる!」という直観は正しく、觔斗雲のように、1人では辿り着けない所へ次々と運んでくれました。

2010年からはオペレーションディレクターとして(英語ではCommunity Catalystだけど、日本ビジネス界には通じないので何となくつけたw)チーム育成、コミュニティデザイン及びカンファレンス企画執行をやってきました。並行して、TEDxTokyoのスピンオフであるTEDxTokyo yz を代表として始めました。こっちはパトリックとトッドが完全に任せてくれたので、「新しい組織論を作る」という野望な実験を本格始動。2歳半となったTEDxTokyo yzコミュニティは健やかに育ってくれています。2013年2月2日に開催予定のイベントで卒業となりますが、私の弟たち妹たちが引き継いでいってくれるでしょう。

今年の4月25日、人間という動物として生を堪能するという茫洋たる目的のもと(私にとっては単純明快、確固たるものですが)渡欧を予定しています。2008年4月24日に父が他界し(ちなみに父が死んでから「24日」とは因縁があり、摩訶不思議に人生のマイルストーンな出来事が24日に起きてきました。トッドと出会ったのも24日だとさっきカレンダーを見返して発見)、アメリカから帰国したのが翌4月25日。5年目にまた出ます。

そうそう、33歳のお誕生日に「今年の漢字は?」という質問をもらいました。

「出」

です。

「出る(デル)」

「出る(イズル)」

日本の土では発芽しない私の中に宿る種。ヨーロッパという未知の土に触れることで、芽を出してきます。

行く年来る年

昨日はお誕生日でした。満33歳になりました。33年間、五体満足、心身共に健やかに生きてこれたことに平伏します。

33年生きて初めて、生まれてから今までの辿ってきた道をすべてサーチライトで照らし、向き合い、消化し、治癒し、承認し、受け入れ、愛することができたなという実感を抱いています。生まれつきの肉体や体質が与えるいい、悪いもの。この家族に生まれた素晴らしいこと、チャレンジングなこと。幼い頃に刻まれた甘い記憶と厳しい体験。私の生まれ持ったカルマ。肉体レベル、心理レベル、魂レベル、すべてにおける私の33年間の蓄積。

今朝のメッタの瞑想では、頭になんとはなしに思い浮かんだ色んな生き物や、色んな人ー仲のいい人も会ったことがない人もーが幸せであるようにと愛の振動を送りました。他の幸せを想うと、自分が癒される気がします。錯覚かもしれませんが、ここに平安が生まれます。

最近、友人を亡くしたので、今日はこれまで亡くなった大切な人たちのことをたくさん思い出しました。自分の生を確かめることは、死を想起させます。

死とはどこか遠くにあるものではなく、ここ=私の中に、内包されています。死が道端に転がっていて、遭遇したら死ぬわけではありません。人間含め、生き物はいつ死ぬかわからない。死(の可能性/存在)は常に私たちに属しています。この認識は、恐怖ではなく謙虚さをもたらしてくれます。

また、「明日死ぬかもしれないから毎日を大切に生きよう」というような勤勉で勇気ある感覚は私にはありません。というより、先ほどの死への認識は「死ぬかもしれないから」という仮説の立て方から解き放ってくれます。死の客体化から抜け出ます。頭でする観念的な死への理解ではなく、本能的な「死との共存」です。

33歳の生活の指標を二つ決めました。一つは月経周期に合わせたスケジューリングをすること。排卵期、ホルモンの移り変わり、満月とのシンクロなど、肉体的に知覚できる明確なサインがあるので、心と体の求めるものに合った優しい暮らし方を意識的にプランニングしたらどうなるか試してみたいと思います。

もう一つは、living = dying。
死ぬ準備をしながら生きるとでも言うのでしょうか。ただこれは、老後を考えたり、遺言を書いたり、やり残したことをチェックリストに入れて一つ一つ達成するわけではありません。あるいは、病気になって死期が近付いた際に、事実を真正面から受け止めていけるような精神力を今から培うことでもありません。もっと実際的に死にいくことを取り扱う技を身につけたいと思っています。

現代日本やある一定の地域での常識では、死んでいく肉体と死んでいく意識は、脳や心臓の停止で判断されます。一方で、死んだ後も残る微細な意識レベルがあり、それは訓練によって養うことができると考える世界観、死生観もあるそうです。例えばチベット仏教僧は、輪廻のための次の肉体へ魂が無事渡るために、瞑想、夢、睡眠などのヨーガタントラを通して訓練します。

将来のビジョンは何かと聞かれても特にない私ですが、1番やりたいことは、人間という動物を探求し、可能性を発掘することです。人間を知るためには自分を実験台にするのが簡単です。

人間を人間たらしめているのは脳の発達からくる意識のスペクトラム。だから心理学にも関心を抱きました。この肉体が、この世界で行きつける最果てはどこか。山登りでもダイビングでもなく、私はそれを意識を乗りこなすことでやってみたいようです。